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〔三〕 初心の審神者
(十四)
其翌日自分は学校へ出勤して見ると、宮澤君が一週日の欠勤届を出して居るのを発見して大に驚いた。段々聞いて見ると、昨晩自分が辞してから間もなく、又復神懸状態となり、何か奇怪の行動をやったとやらで、両親その他が心配し、帝国大学の精神病科の診療を受けるべく、今朝東京に連れて行き、模様によっては入院させるかも知れぬということであった。
『こりゃ宮澤君は飛んだ目に逢ったものだ。さぞ今頃は弱って居るだろう。』
『お気の毒ですこと。まさか入院はさせられはしますまいネ』
『狂人でもないものを入院もさせはしまいと思うが……』
自分達夫婦は宮澤君の境遇に同情し、其風評ばかりしていたが、如何とも致し方がない。その内什うかなるだろうとは思いつつも、毎日東京方面からの音信を待って居た。
上村工学士が時々やって来て、矢張り宮澤君の風評をやる。『什うも誤解というものは怖ろしいものだ。私が行って宮澤君のお母さんにも、妻君にも、詳しく神憑りの話をしてきかせたが、さッぱり耳に入れて呉れない。一種の恐怖心に襲われて居て、当方のいうことが判らんから困る。宮澤君よりは家族の方が余程発狂に近い』
二三日経つと初めて宮澤君から手紙が届いた。
『一同が僕を狂人扱いにして居るから、馬鹿らしくもあり、腹立たしくもあり、滑稽でもあり、仕方がないから、黙って好きにさせて居ます。昨日大学の精神病科へ連れて行かれて、〇〇博士の診察を受けました。滑稽なのは其診断で、極度に神経が昂奮して居るから、全治迄には約三週間を要すというのです。成るべく入院せいというのですが、そればかりは平に御免を蒙って、只今親戚の家に帰ってゴロゴロして居ます。霊の発動が全く止んだので、幾らか一同が安心したようです。この分なら入院は免れそうに思います。』
此手紙で幾分自分達も安心したが、それにつけても大本の道を天下に布き、世人を霊に目覚めさせることの至難なるを更に痛切に感じたのであった。
更に両三日過ぎると又手紙が同君から届いた。
『とうとう入院丈は免れましたから御安心を願います。昨日僕は義兄に連れられて、江間の所へ行きました。これは発狂か否かの鑑定を受ける為めなのです。病院よりはまだこの方が余程有難い……、江間の霊力は大したものとも思われませんが、しかし何かはあります。江間が発狂でないと言ってくれましたから、親戚も安心しました。その中横須賀へ帰れるでしょう』
十日程経つと宮澤君に東京から戻って来て、無事に出勤することになった。いよいよ発狂でないことが判り、無罪放免ということに決まったのである。但し今後は自分の所へ来て鎮魂はせぬという誓約を、両親その他から強請され、若し之れに服従せねば、又東京へ送るという条件つきであった。宮澤君もこれには一と方ならず弱って、
『まるで罪人扱いだから驚いて了う。仕方がない。朝早く出勤前にお宅へ上りますから、その時鎮魂を願います』
『そうでもするかネ。しかし見つかると又一騒ぎせんければなるまいネ』
自分達は若き男と女との媾引でもするように、通例午前七時頃を期して毎日鎮魂をつづけた。
此頃の鎮魂状態はずっと静粛なもので、大声も発せねば、乱暴もしなくなった。大抵鎮魂毎に自分は古事記を引ッ張り出して質問すると、天狗さんはお師匠さん然として之に答えた。
『淺野はまだまだ古事記の読み方が足らん。少くとも五十回は繰返して読まんければ可かんぞ』
などという。自分も随分精を出して古事記を読んだもので、自分がほぼ神名を暗記するところまでになったのは、偏に天狗さんの賜であった。自分は今でも宮澤君の天狗さんに大に感謝して居る。
しかし天狗さんの説明は、余り深いものではなく、今日から考えると余程ゴマカシが混って居たように思う。時々天狗さん説明に困ると、
『この次ぎまでに教えてやる。只そう質問ばかりしては却って利益にならんぞ』
などと遁辞を設けて逃げる場合もあった。日数を重ぬるにつれ自分は聊か此神の神格に就いて疑惑を挿む様になった。そしてヴェルダン陥落の予言も果して確実であるか什うか少々気に成り出した。
自分が連日妻の天眼通を活用して、ヴェルダンの戦況を視察せしめたのは此際のことであった。砲弾に抉られた、緩傾斜の、赤土の丘陵、累々たる死屍を乗り越えて猛烈に突撃する独逸軍隊、その他戦場の全部並に局部の光景は、手に取るように天眼に映じた。しかし陥落すべき模様は何処にも見えなかった。とうとう自分は心配の余り、戦いの経過を文字で知して貰いたいと妻の守護神に請求した。すると白地の長い旗が現れて、それに大きく『攻』という一字が書いてあった。
『攻めることは攻めるが、陥落わせぬということかしら』と自分は自問自答した。『若し陥落せぬとすれば、宮澤君の神はニセ神に相違ない。武甕槌命というのはドウも怪しい』
神としても至難なる古事記の解釈や、ヴェルダン攻囲戦の予言では、天狗さん少々ボロを出しかけたが、しかし決してただの詰らない野天狗ではなかった。時によると中々際どい腕の冴えを見せた。二三日後の天気の予言などは、百発百中決して外れっこがなかった。又数学の問題にしても、運算なしでイキナリ答を出した。そして百題が百題とも決して誤謬がなかった技倆は、確に舌を捲かすに足るものがあった。兎に角此天狗が修業の初期に於ける自分にとりて尤も大切な教師であり、指導者であったことは争うべくもない。
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