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死後の世界
四 著者の態度
ワアド氏は霊界探検の続篇『サパルターン・イン・スピリット・ランド』に長い序文を書いております。そして自分の立場から心霊問題につきてなかなかくわしく意見を書いておりますから、其一部を紹介して置くことに致します。―
『私の弟の死はわれわれを取り巻く所の「未知の世界」と更に新らしい一つの連鎖を作ることになりました。弟の行ったのは霊界ではなく、幽界の方ですから、自然私の注意は後者に集注されました。幽界は当時戦歿者の霊魂で充満し、全然変調を呈していましたが、それが却って後に生き残っているわれわれに取り一層興味深く感ぜられるのであります。
『私は自身で一年の中に近親のものを三人まで亡っておるのですから、過ぐる五ヶ年の戦役中、いかに多くの人達が悲しい思いをなされているかはよくお察しすることができます。私には読者の多くの方々に恵まれていない一つの長所があります。私は幽界へ出掛けて行って、面のあたり死者の霊魂とお話しができるのです。それであり乍ら私は人の死を世にもつらいものと感じます。然らば私のような真似のできない方々の悲痛は更にいかばかり深いでありましょう!
『私が本書を発表するに至った動機は、私と同様の不幸な境涯にある方々にいささかでも慰安を与えたいと感じたからであります。私は弟の死ぬるずッと以前から死者は決して死ぬものでないことをよく存じていました。しかし死者が幽界でどんな風の生活を送っているかは当時の私にはよく判りませんでした。幽界の事情はA氏の霊魂並に陸軍将校の霊魂からの消息によりて少しばかり判っている丈で、私の知識は主として霊界の方に限られていました。戦闘状態の幽界につきては何等の知識もありませんでした。
『私の著わした「ゴーン・ウェスト」の売行が莫大であったと同時に、多数の読者から奨励の手紙を恵まれたところから察すれば余程同書が世間の注意を引いたことは判ります。一体われわれが死後の世界の真相を世間に発表するについては、一般の普通人並に各既成宗教の牧師達からの非難攻撃を覚悟してかからねばなりませぬ。時には愚物として嘲けられ、時には又妖術者として排斥されます。甚だしいのになると少々キ印ではないかと疑われます。が、これは新しい真理が最初是非とも遭遇せねばならぬ道程であります。とは云え、私はまるきり普通平凡な人間であります。即ち身を実業界に置き、複雑なる現世的事務を処理して行くことによりて生計を立てている所のただの人間であります。為替相場の変動、原料の仕入先き、独逸人の貿易発展策、貿易上の統計表――此等が平生私の関与して居る問題で、私がこんな事柄につきて論文なり、報告なりを書きますと、方々の貿易雑誌商業雑誌は喜んで採用掲載してくれます。
『私は爰に自白しますが、単に金銭上の見地から云えば心霊上の書物を書くよりも、南米に於ける英国貿易の進展策とか何とかいうものを二ツ三ツ書いた方が遥かに有利なのであります。私は謝礼を目的とする職業霊媒ではないのであります。読者諸君が、私と会食でもなさる場合に、若し私が何も申上げなかったならば、他の多くの多忙なる事務的の人間と何等相違点のないことを発見されるでありましょう。果して然らば、世の所謂批評家達が私の頭脳の健全を疑わるるのは謂れなきことではありますまいか? 普通の明晰健実なる実業的脳力が、心霊現象を研究する時に限りて混乱を来したり、詐欺的方面に馳せたりするという理窟があるでしょうか? 若しこの霊界消息が真実でなく、又悲みに充ちたる現世界の人達に何の役にも立たぬものと感じたなら、私は断じて自分自身に取りて絶対に神聖なる此等の文書を公表はしなかったでありましょう。
『それはそうと私の筆に成れる死後の生活の描写――これが果して不自然なものでありましょうか? 私の見る所ではこれは絶対に合理的であり、われわれが幼時頭脳の中に注入された天堂地獄等の空漠にして嘘らしき物語よりも比較にならぬほど有力なものであると感ぜられます。在来の既成宗教は死後の生活に就きて何等合理的な物語をわれわれに教えない。その点に関しては羅馬旧教が一番結構だと存じますが、その教ゆる所の多くは私が入手しつつある通信によりて初めて証明を与えられます。之を要するに、公平に言えば羅馬旧教は一時曾て門戸を開いたが、後再び之を鎖し、往時の予言者達がもらした所は後の人達によりて曲解されたり、誤解されたりして見る影もないものになって了ったというべきでありましょう。
大体に於て既成宗教は人類の口から発せらるる最も痛切な質疑――死後われわれは何所に行くか? という問に対して何等の解答を与えて居ない。吾々は暗黒より出でて暗黒に帰る。何所より来り、何所に行くか殆ど判らないというのが実際の事実であります。既成宗教にして人間の痛切なるこの質疑に応うることが能きない以上宗教家以外のものがこの要望に当るより外致方がありますまい。われわれは既に科学的眼光を以て「自然」の秘密を撥きました。これと同一筆法で「死」の最大秘密を撥こうではありませんか。この仕事は既に已に着手されて居ります。日毎に真面目なる研究者の数は加わり、日毎に新らしい発見が現われつつあります。若し宗教者流がこの大事業に参加協力することを拒むならば、遺憾ながら真理に目覚めたるわれわれのみで勇往邁進しようではありませんか。
『今や新らしき黎明が開けつつあります。そして至重至貴の知識が吾人の掌裡に帰しつつあります。外でもないそれは死後の生命の連続ということの信仰にあらずして実証であります。
『霊界通信に対して屡々耳にする所の非難の一ツは、各自の描く所に相違点があるということです。しかし乍ら批評家達が広くそれ等の諸書を通読するならば、重要なる諸点に於て悉く一致して居り、ただ部分的の相違があるに過ぎないことを発見するでありましょう。この「未知の世界」は広大無辺であります。不一致の点が存在することは寧ろ当然でありましょう。若し火星の住民がわが地球に数人の特派員を送り、地球の住民の状況を無電で報道せしめたと仮定するならば、火星の新聞紙は恐らく霊界通信に対すると同様の酷評を下すでありましょう。
『試みに火星の新聞記事の模様を忖度するならば恐らく斯んな塩梅ではありますまいか。――近頃地球探検に出掛けたと称する迷信家連の手に成れる通信なるものは実に荒唐無稽、辻褄の合わぬこと甚だしきものである。数人の通信は殆んどその各部分に於て矛盾して居る。甲の通信には地球は一の砂漠で水が無いとある。乙の通信には地球は草木の鬱生した、じめじめした林野だとある。丙の通信には地球は一の氷原で、其住民は毛皮を被て居るとある。そうかと思えば丁は地球の住民は黒ン坊で陋屋に住んで居ると言い、戌は機械類や運輸交通機関の完備して居る大都市の模様などを面白く述べている。人間が空中を飛ぶなどという報告があるかと思えば、地上の人間は黄色で、殆んど機械類などを所有せず、下らない村落生活を営んで居るなどとも報告する。てッきりこれは詐欺にあらずんば狂人の囈言に過ぎない……。
『所が、事実は火星の特派通信員が、それぞれサハラの砂漠、ロンドン、コンゴー、支那、グリーンランド等の各地に着陸して見聞したままを報告しただけのことで、記事の相違していることが却って極めて合理的なのであります。』
私はこのワアド氏の言説に余程尤もなところがあると感ずるものであります。ワアド氏も職業宗教家達や新聞記者達の態度には余程手古摺っている様子が見えますが、この点に於ては英国でも日本でも余り相違はないようです。