心霊読本

第五篇 精神統一の理論と方法

六、精神統一実習会の設置

 十有余年飛ばず、鳴かずで、ほとんど一切の世間的交渉から絶縁されて居たわれわれ心霊学徒もこの新らしい仕事に着手せぬばならなくなりました。新らしい仕事とは他にあらず、精神統一実習会であります。

 実をいうと私どもは、決して自分から進んでこんな困難な、こんな気骨の折れる仕事を始めたくはない。うまく行っても当然と考えられ、若しもまづくでも行こうものなら、それは指導法が誤っているからだと不足を言われる。私の二十年来の苦い体験から言っても、これ位割の悪い仕事はめったにないのであります。今更いまさら愚痴は言いたくもないが、私が手塩にかけて、何等かの霊媒能力を開発してやった人物について見ても、その中のいかに多くが、私に対し、又心霊科学に対して叛旗を飜して居ることでしょう。『又々あの人物も堕落したか……』覚えず嘆声を漏らしたことが幾度あったでしょう。

 それにも係らず、私がまだ懲りずに精神統一実修会設置の必要を考えるのは、そこにいろいろの理由があるからで、一念それに及ぶ時に、些々ささたる個人的の利害打算などは烟散霧消えんさんむしょうしてしまうのであります。私はそれ等の理由の中で最も重要なものばかりを、左に列挙して見ようと思います。――

 一、何所にも他に本格的の精神統一の修行所がない。

 私の所謂いわゆる本格的の統一とは、簡単に言えば、つまり学術的見地から観て合理的、合法的な修法のことを指すのであります。精神統一の修行には二方面の考慮が必要です。他なし、一は人間それ自身に向い、一は超人間的存在、神並に霊魂に向います。ところでこの目的を完全に達成するには、うあっても近代心霊科学の知識並にその運用を必要としますが、困ったことに、日本国内には真面目にこれを研究している個人も、団体も、他には見当らない。縦令たとえ少しはあるにしても宗派的色彩が加って居たり、営業的意識が強過ぎたりして、その結果、どちらかといえば、弊害の方が利益よりも多いというのが公平な評価なのであります。東京並に大阪の心霊相談所は、まだはなはだ微力でお恥かしいが、それでも某々の手にかかって発狂したとか、又病勢が悪化したとかいう、気の毒な人達を何人救って上げたことでしょう。だんだんう考える時に、精神統一の指導のお鉢は、厭でもわれわれ同人の方に廻って来ることになるのであります。

 二、われ等の道具立が近頃ようやく揃って来た。

 いかにお鉢がわれわれの所へまわって来ても、統一の指導に必要なる道具立が揃わねば、結局われわれは実際の仕事には当り得ないのですが、近頃に至りて、これならば大丈夫という自信がようやくついて来たのであります。一と口に精神統一などと言っても、それは到底一人や二人で引受けられるような、そんな生やさしい仕事ではないのです。第一に必要なのは、修行者の精神肉体の大掃除を行うことですが、これには是非適当な霊媒が要ります。修行者の精神肉体に何等の清潔法も執行しないで、そのままで入神状態に導くから、いたずらに狂人を作ったり、不良霊媒現象を起させたりするのです。第二に必要なのは、修行者の背後に控えている守護霊、司配霊しはいれい並に憑依霊の看破能力で、これができて初めて霊的指導の任務がつとまります。何にしろ対象物が無形無声の存在ですから、うっかりすれば、飛んでもない見損じをやり、自他ともに大損害を招くことになります。私として多年頭脳を痛めたのも、実にその点に存しましたが、二十年がかりで、ようやく幾人かの照魔鏡式能力者を造り上げることに成功しました。で、今日では縦令たとえ七千万同胞全体の耳目をゴマ化し得るほどの妖魔が現れても、すくなくともわれわれ同人の耳目をゴマ化すこと丈は到底不可能なのであります。以上の外数え立つれば、精神統一の指導に要する道具立は、まだまだいろいろあり、われわれとてももちろん理想的完備を誇ることはできないが、しかし今やようやくこの大任に堪え得るところまで漕ぎつけたと謂ってよいのであります。その何よりの証拠は、この両三年来、われわれが内輪で、会員中の特殊の志望者に対して挙げつつある実績を観ればよく判ります。心身が見違えるように浄化したもの、天賦の能力が著しく増進したもの、特殊の能力が発達したもの、等が相当多数に上りますが、これに反して失敗の実例は只の一件もないのであります。んなことをあまり書き立てると、自画自賛になって面白くないから、よい加減に止めますが、兎に角われ等の道具立は小規模ながら、昨今に至りてようやく出来上ったと言ぴ切りたいのであります。

 三、時代がようやく第六感的又は天才的人物の輩出を要求して居る。

 数年前までは、日本国を司配しはいする全体の空気がいかにも表皮的唯物的で、心霊学徒の主張を容るる余地は絶無に近いものがありましたが、その中だんだん内外の情勢が深刻化するに連れて、人の心も次第に内面に向い、殊に最近に至りては、単なる物質的の施設や、人為的の工夫のみでは、到底駄目らしいと言ったような感じが、幾分国民の脳裡に閃いて来ました。勿論むろんまだその感じは多量に灰色がかって居り、何とか遣繰やりくっている中に、うまい逃路が見つかりそうだ位の、はなはだ浮すべりなきらいはありますが、ヤレ日本精神だ、ヤレ国体明徴だ、ヤレ選挙の革新だ、と騒いでいるところに、一脈の真面目さがうかがわれるのであります。これがもう一段進んでくれれば、初めて竪子じゅし教うべし、の境地に達するのですが、その時になって、初めて精神統一の修行に着手するのでは、時期すでに遅しで、所謂いわゆる泥棒を見て縄をうの類であります。で、私としては丁度現在が、日本国民中の粒選りの先覚的人物を捕えて、縄の仕度に取りかからせるべき時期ではないかと思うのであります。世人は口癖のように、日本に人物の払底していることを嘆きますが、私からいえばそれは杞憂に属するように感ぜられます。日本に人物がないのではない。人物は幾らでも居る。ただ十分に磨きをかけないめに、それ等の人物の高等能力が肉体意識の裏面に隠れて用を為さないまでてある。われわれの手でウンと身を入れて本格の精神統一の修行をしてあげれば、きっとどうにかなる…………。

 兎に角日本国民全体がこのままで愚図愚図ぐずぐず手ぬるい真似をして居たのでは、到底浮ぶ瀬がないことは確かで、そしてこの際死中に一活をせしむべき、ほとんど唯一の手段が、心霊科学の活用による人材の養成策であることもまた疑問の余地はないようです。れが私をして思い切って、の難事業を始めさせた所以であります。


第五篇(五)

目  次

(完結)


心霊図書館: 連絡先