心霊読本

第五篇 精神統一の理論と方法

五、指導者の選択

 以上私は精神統一の理論と方法とに就きて、一と通り講述を終りましたが、もともとこの修行は、あらゆる修行中の最大難物で、従って自分一人でこれを試みることは危険であります。私の経験から言っても、これには是非ぜひ適当な指導者が必要だと考えます。古来日本では統一の指導者を審神者さにわと称し、神主かんぬし(霊媒)よりはむしろこれに重きを置く傾向がありましたが、たしかにそれが正当かと思考されます。何にしろ当面の相手が霊界の居住者であり、それ等が霊媒の体に感応して、まるきり霊媒の人格をかえてしまうのであるから、指導者たるものの気骨が折れることは正に言語に絶します。で、事によるといかなる人間にも、統一の指導者たる資格が完全に備わって居るとは謂い得ないというのが、本当かも知れませぬ。指導者として第一に必要なるは、心霊上の学識と経験、第二に必要なるは正しい判断力、第三に必要なるは金鉄の信念、第四に必要なるは高潔な人格、第五に必要なるは博大な同情、第六に必要なるは不惜身命ふしゃくしんめい式の胆力、第七に必要なるは照魔鏡式の看破力……。う数え立てて見ると、大抵の人は皆落第です。試みに最後の看破力一つが不完全だったとしても、間断なくイタズラ好きの不良霊からめちゃめちゃに翻弄され、巧みに声色こわいろを使う狸の前に低頭平身したり、上手に法螺を吹く野天狗の前に三拝九拝したりするようなひどい目に逢わされましょう。いかがわしき信仰団体の間には、うした猿芝居が常に繰りかえされて居るようであります。

 で、私としては極度に此等これらの点に警戒を払い、何は措いても、ず自己の力量の不備を補充すべき能力者――就中なかんずく照魔鏡式の霊視能力者の養成に全力を挙げましたが、幸い二十年の苦心がいささか酬いられて、今日では大抵の場合に、みぐるしき失配を演ずる心配丈は、ようやくのことで除かれました。かの自称生神様自称聖師様もわれわれの前には、最早一向無価値であります。何となれば、彼等の背後に策動しつつある霊達の正体は、最も明瞭にわれ等の有する幾挺かの照魔鏡に照らし出されてしまって居りますから……。

 これを要するに、精神統一の本格的指導は、どうあっても正規の心霊科学的組織団体――つまり心霊参謀本部の受持つべきもので、孤立無援の一個人の仕事たるには、余りにそれが難事業であるらしく痛感さるるのであります。私はわれ等の親愛なる同胞が、一時も早くこの間の機微に目覚め、自己の貴重なる魂を、いかがわしき不良性の宗教的山師連などの翻弄ほんろうに任せぬよう、甚深じんしんの注意を怠らないことを切望にえませぬ。


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