心霊読本

第五篇 精神統一の理論と方法

三、精神統一の特殊的目標

 霊媒志願者に対する特殊的目標としては、私はず第一に衆生済度を数えたいと考えます。衆生済度という言葉は、多少曖昧かも知れませぬが、要するに病苦災厄に悩める人達の霊的救済を目標とするもので、これは特に奉仕的、犠牲的精神にとめる、所謂いわゆる善良なる信者型の人物の仕事として適当であります。もちろん厳密に言ったら、それがはたして最高の意義の衆生済度であるか否かは疑問ですが、兎も角も不治の難病、又災厄等に呻吟しんぎんする人達の極度に多い現代の社会相はこの種の霊媒の出現を渇望して止まないのであります。

 すでに衆生済度が目標である以上、この種の霊媒能力は、通例一種特別の現れを有します。曰く悪因縁の解除、曰く不良霊の処理、曰く地縛の亡霊の善導……。多くはそう言った方面に力点が置かれます。私は疾病災厄の全部が、霊的故障に基くとは認めないが、しかしながらそれ等の少なからざる部分が、そこから出発している事も、心霊実験の結果どうあっても認めない訳に行かないのであります。就中なかんずくかの神経性、道徳性の諸疾患――発狂、瘋癲ふうてん、神経衰弱、等の大部分が悪霊の憑依又は感応の結果であることは、正規の医学者によりても、近来次第次第に認められる傾向にあります。薬物療法はもとより大切であります。その他針灸、按摩あんま、マツサージ、各種の光線療法等、それがいささかも真面目な性質のものである限り、大いに利用すべきであります。が、それ等のいずれもが充分の効果を奏せぬ時に、純真なる信者型の霊媒が、神仏の加護を背景として、適宜の修法を行うことははなはだ適当であります。仮りに一歩を譲りて、それが単なる暗示であるとしても、それはあらゆる暗示中の最も善良な、そして最も有効な暗示たるを失いません。一部の人士は、衆生済度式の霊媒の多くが学術的心霊実験に堪えないのを観て、その存在価値を疑おうとしますが、私としては軽々しくこれに左袒さたんすることはできません。衆生済度と学術研究とは、それぞれ独立した別箇の仕事であります。若しも衆生済度の霊媒が、忠実に済度の目的を達しさえすれば、それで結構だとするのが、すくなくとも社会の現状として、穏富な態度と思考されます。但しかの衆生済度の善名に隠れて、営利売名を事とする山師的霊媒に至りてはもとより論外であります。そんな連中は謂わば社会の寄生虫で、一時も早く日本の国土から影を没するようにしたいものです。

 次に霊媒志願者の第二の目標としては、私は幽明交通を挙げたいと思います。死後個性の存続がすっかり学術的に証明されている今日、旧態依然として、いつまでも精神的鎖国主義を墨守ぼくしゅして良い理由が何所にありましょう。殊に日本国民は、古来敬神崇祖をもって立国の基本として居る国民であります。私はこの際、日本国内に幽明交通に堪能な霊媒が、せめて百人位あってほしいと思います。われ等の優秀なる祖先、又われ等の親愛なる骨肉は、自国内に適当な幽明交通機関の設置がないめに、どんなにもあちらの世界で、もどかしがって地団太踏んで居ることでしょう! 関門海峡の鉄道連絡も勿論むろん大切であります。が、顕幽の連絡はそれに比して遙かに大切であります。私は霊媒的天分の所有者が、奮然蹶起ふんぜんけっき、取るにも足らぬ先入的偏見等からきれいに超脱してこの神聖な仕事に、精進努力されんことを切望に堪えませぬ。現在の英米二国では、霊界通信と銘打った書物が、毎月すくなくとも数冊は刊行されつつあります。無論すべてが有価値とも言われないが、中には往々にして多大の教訓と、慰安とをもたらす好著に接します。顧みて日本国の出版界を見渡す時に、われ等はそのあまりの寂寞じゃくまくさに心から憮然ぶぜんたらざるを得ませぬ。

 次に霊媒志願者の第三の目標としては、私は学術的心霊実験能力を挙げたいと思う。実験の種類は透視でも、縄抜けでも、物品の浮揚でも、自動書記でもその他何でも構わない。ただそれがあくまで正確、あくまで学術的の審査条件に合致して居ることが肝要で、それがこの種の霊媒の生命であります。現在の英米二国には、この目的に向って、献身的努力を辞せざる霊媒がようやく多く、その結果、彼地の識者間には、所謂いわゆる心霊常識がほとんど遺憾なく普及しつつある現状にあります。諺にも百聞一見に如かずとある通り、正確無比のたった一回の心霊実験は、往々にして人生千古の疑問を解決する力があります。私どもが万難を排して、多年この種の能力者の養成に努力したのも、つまりはここに鑑みるところがあったからで、最近に至り、本邦にもようやく立派に学術実験にえる二三の霊媒が現れました。が、たった二三人ではどうにも仕様がない。現在の日本として、せめて二三十人は欲しいというのが、私どもの切なる念願であります。

 霊媒志望者の第四の目標としては、察知偵察能力を挙げたい。もちろん一種の察知能力、偵察能力は専攻の仕事を目標として、統一の修行を行う人達には自から備わります。が、それ等の多くは、所謂いわゆる正規の霊媒現象としてよりも、むしろ一種の直覚、一種の「勘」としての形式を執る傾向があり、つその直覚の働く範囲は、主として其人そのひとの専門の畑に限られ、専門以外の事柄にはほとんど適用し得ないうらみがあります。ここに察知偵察を目標として働く霊媒の養成を必要とする理由が存在します。極度に敏感性の人物が、極度に敏感性の他界の居住者と密接な連絡を取りて、調査偵察の任務に当る時に、往々破天荒の好成績を挙げることがあります。勿論むろん霊媒能力を、日常の些事さじ濫用らんようすることは大いに慎まねばならない。人間はどこまでも人力の限りを尽し、成るべく他界の居住者の御厄介にならないように心掛けねばなりませぬ。が、どうあっても人間の思慮才覚に及ばない難問題が起った場合には、その解決を他界の居住者に求むることも、また余儀なき次第と謂わねばなりませぬ。私が察知偵察能力の獲得を、霊媒修行の目標の一つに数うる所以であります。言うまでもなく、この種の能力者は実際上そう沢山は見出される筈がない。が、縦令たとえ一人でも、二人でも鋭利雋敏えいりしゅんびん、よく無声に聴き、無形に視得みえる霊媒が、自国に存在するということになれば、どれ丈国民の自信を高め、どれ丈国民の志気を鼓舞することでありましょう。今や内外ともに多事多難、われと思わん人達の奮起すべき秋かと痛感します。

 最後に私は霊媒希望者の第五の目標として、真理の追窮を挙げたいと考えます。もちろん広義に言ったら、能率増進だって、幽明の交通だって、又各種の心霊実験だって、ことごとく真理追窮の一助でないものはありません。が、それ等はいずれも特殊的、部分的の性質を帯びて居り、統体としての思想問題、信仰問題、又道徳問題等に触れて居りません。で、私としては霊媒能力を極度に精錬し、又活用して、そうした方面の開拓に当らせたいのであります。御承知の通り、霊媒が直接交渉を有するのは、その人の守護霊、司配霊しはいれいでありますが、しかしそれ等の守護霊、司配霊しはいれいが媒介者となりて、所謂いわゆる中継放送式に、より優秀なる他界の霊達の意見を取り纒めて、これを人間界に伝達することは、決して難事ではないのであります。霊界通信中の白眉というべきものは、皆うした手続で出来て居るので、そのめにどれ丈人間の視野を増大せしめ、どれ丈人間の見識を向上せしめたか知れません。もとより頭脳の飛び離れて秀でた人物が、思いをひそめて、哲学的思索にふけることははなはだ大切であります。しかしながら人間の智能には限度があり、ややもすれば半面の真理を捕えて、これに拘泥する傾向があります。これは三千年来世界の思想界、哲学界の辿たどきたれる跡を観れば、思い半ばに過ぎましょう。そこへ行くと超現象の世界からの霊的放送――所謂いわゆる啓示、天啓等の中には、時として断然異彩を放つものがあります。近代的の啓示的産物としては、ステーントン・モーゼスの手を通じて現れたる「霊訓」、カムミンス嬢の手を通じて現れたる「永遠の大道」又、少し品位は降るが、ステッドの手を通じて現れたる「死後」等が、代表的産物であります。欠点は欠点として、それ等は他の何物にも見出し離き、すぐれたる教訓と示唆とを包蔵して居ります。しかしわれわれ日本の心霊学徒としては、いつまで彼等の下風に立ちて満足して居るべきでない。われわれはあくまで偉大高邁なる、われ等の祖神祖霊からの天衣無縫式の新啓示に接し、もって精神的に全世界の人類を率いるべく精進すべきであります。古経典の価値も絶大であるが、二十世紀人はすべからく二十世紀式の、より進歩した新経典の大成に向って心血をそそぐべきであります。

 以上列挙した特殊的目標五ヶ条――私はこれで大体要領を尽しているかと考えます。細かい点は何卒各自思をひそめて、それぞれ工夫して戴きます。私が右にのべたところを十分味読してくださらば、邪路に踏み入る憂はず絶無かと思考されます。

 ついでに私は精神統一の目標として是認すべからざるものを、左に表示して諸君の御参考に資することに致します。

(一) 慾望又は野心の満足――これは愚劣低級な不良霊との感応を招致することになるから、絶対に避けたい。

(二) 好奇心の満足――せいぜい茶目気分の動物霊、又は自然霊によりて翻弄ほんろうされる位のものだから、勿論むろん面白くない。

(三) 不合理な暗示――批判力のとぼしき人達が引っかかるのは、多くはこの種に属します。例えば『吾は神なり』とか、『われ等の救主はイエス様である』とか、言ったような宗教的暗示は、皆この部類に属する。実をいうと、向上進歩の階段を一歩一歩昇らねばならぬのが人間の免れぬ宿命で、一足飛びに神様を気取るほど不心得極まる話はない。従って自分の救主は自分であって、イエス様でもなければ又お釈迦様でもない。いわんやその他の自称神様、自称聖師様でないことは勿論むろんである。こんな不健全な暗示を抱いて、精神統一の実修をやることは、丁度爆薬を抱いて身を火中に投ずるが如きもので、その危険は想像以上であります。

(四)糊口の方便――現代の生活難は正に同情に値するが、縦令たとえ乞食になろうとも、霊媒になって飯を食おうとは考えぬがよい。糊口の方便としてはこれほど迂遠うえんな、そしてこれほど緑の遠いものはめったにないからである。霊媒志願者は生活の顧慮のない人か、すくなくとも生活問題を他に何とか解決した人に限ると考えます。

(五) 無目標――精神統一さえれば、何とかなるだろうと言ったような、散漫な気持でこの修行を志すのははなはだつまらない。請合って何にもならないのであります。


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