心霊読本

第三篇 心霊現象の体験事実

十二、北村氏の第六感能力

 人間に第六感的の鋭利不可思議な異常能力が具わっていることは、私自身として相当ふるくから確乎たる体験をって居ります。イヤ私が心霊問題に知らず識らず深人りした最大の動機も実にその点に存します。既に紹介した石井ふゆ女やT夫人の霊視の実験などがそれで、私にうした生きた体験、うした動かぬ自信があったればこそ、千万人が口を揃えて何と反対の声を揚げようとも、容易に驚かない度胸が出来て来たのであります。人間よくよくの事でなければ、海のものとも山のものとも判らない、不人気極まる心霊研究などに首を突込む気づかいは、めったにあるものでない。

 自分自身はこれで満足ができたとして、さてこの事実を他人に実証してお目にかけようとする段になると、これは又別問題で、その困難は全く予想の外であります。何となれば学術的実験というものは、これは全く厄介な仕事で、大概の能力者は、時と場所とを決めて、八釜やかましい立会人の監視の下に、立派な成績を挙げることに、多大の困難を感ずるからであります。何にしても極度にデリケートな仕事で、霊媒の感情にほんの僅かの動揺があっても調子がすっかりくるってしまうから困るのであります。平生は立派に出来る癖に、いざ実験となるとサッパリ駄目になってしまうこれがめに私は何年間にわたり、焦慮に焦慮を重ねたことでしょう。

 が、近年に至りて、この遺憾いかんは北村榮延氏の出現によりて、ようやく取り除かるることになりました。私の観るところによれば、霊視能力者としての北村霊媒は、たしかに世界有数で、かのポーランドの名霊媒オッソウィキ氏と相並んで、正に斯界しかいの双璧と称してよいかと思う。その経歴なり、又能力の性質なりが非常によく類似して居ります。オッソウィキ氏はペトログラードの高等工業学校に学んだが、在学中からすでに霊視がきき、封箴ふうかんせる試験問題を、開封せずに答案を書いて、試験官をびっくりさせたりしました。北村氏は津市の高等農林に在学した人ですが、これも少年時代からの霊視能力者で、教師や朋輩の弁当箱を透視したり、試験問題を予知したりして驚嘆のまととなっていました。

 心霊家として初めて北村氏の異常能力を発見したのは、高知支部長の故高木莠氏で、それは昭和七年の三月のことでした。一二回精神統一の実修を施して見ると、氏は苦もなく透視、繩抜き、襯衣しんい抜き等を行った。これに驚喜した高木氏は早速その旨私の手許に報告して来たので、私は同年四月下旬高知に赴き、初めて北村氏に面会した。爾来じらいここに数年、私としては最善を尽してその能力並に人格の発達向上を図り、近頃に至りてようやくその目的を達するに近づいたらしく感じます。いかに天才児でも、惨澹さんたんたる幾年かの練磨を経ないでは、到底その大成は期せられないのであります。

 北村氏は霊媒としてなかなか豊富な天分の所有者で、必要とあれば種々の物理実験をも行います。それは例の繩抜き、襯衣しんい抜きをはじめ、直接談話、卓子浮揚、物品引寄、物体貫通、その他二三の実験であります。しばしながら彼の本領はたしかに第六感式の察知偵察能力、就中透視並に自動書記能力であると思います。これに関する実験回数は、私自身手を下したもののみでも無慮数百回に上り、そしてその間にほとんど只の一度も失敗したことがないのであります。標本として左に一二の実例を挙げることにしましょう。――

 封書の透視――東京心霊科学協会第八回研究会が昭和八年四月二十日午後二時より心霊相談所で開催された……。北村氏の透視実験はいつもとは趣をかえ、出題者の書いた質問に対して、開封せずに答を出すという実験であった。出題者の竹内まき子嬢は、実験会へは初めての参加であったので、特に選ばれて実験材料作製の役を担当し、別室で質問事項を書きてこれをパトロン紙の封筒に入れ、封箴ふうかんの上で自分の懐中に仕舞い込んだ。北村氏は出題者と約一間の距離の地点に、小机を前に席を占め、例によりて統一に入るや、振動する手に鉛筆を握って自動書記式で、紙面へ叩きつけるようにして、一寸角大の文字を書いて行く。用紙は便箋であるから、五六字も書けばすぐ一ぱいになる。三人がかりで紙をめくり筆記を助けたが、文字が重ったり、乱れたりして充分に判読し得ない。再度書き直して貰ってからようやく判った。それはぎの通り。――

『昭和九年四月二十日頃、あなたは家の内で友達と議論をして居ます。』

 お北村氏は念のめに右の封書を覚醒状態において透視して見ようと言って、目をしばたたきながら少時封筒を見つめて居たが、どうもよく判らん、ただこれ丈見えると言って次のように書かれた。――

『来年ノ今……イルカ』

 初めと終りとの文字は右の通りである、中間にも何やら文字はあるが、紙を折ってあるのでよく判らぬ、と北村氏は言われる。そこで、いよいよ問題の封を切って、析畳んである便箋を開いて見ると、それには次の文句が書かれてあった。――

『来年ノ今頃私ハ何所ニイルカ』

 文字は三分角大で一行に書かれてあり、紙を四つ折して封筒に入れてあった……。お北村氏の回答は、右の質問に封して一種の予言となっているが、これが当るか当らぬかは別問題で他人の懐中に忍ばせた未知の手紙に対して、ぴったりした返答ができる、その実験に大成功を収めたことを、われわれは大に喜んだのである。所要時間は約十分間であった……。(「心霊と人生」)昭和八年六月号から)

 

 右は作らず飾らず、その場で作製された実験報告でありますから、充分信用を置いて宜いものです。ただの実験において看過してならぬことは、それが純粋の透視でなく、る程度自動書記現象が加味されていることであります。透視というのは、本人の意識を残して置いて行う仕事で、北村氏はこの場合無論それも試みて居りますが、四つ折りにしてある便箋の文字を透視することは随分無理な話でありますから、そこで北村氏はこの困難に打勝つべく、瞬間的に無意識の入神状態に入り、自動書記で透視の不備を補い、『昭和九年四月二十日頃、あなたは家の内で友達と議論をして居ります。』という予言的の答案作製となったのであります。これには北村氏自身よりも、むしろ北村氏の背後に控えている司配霊しはいれいの働きが大いに加わっている訳で、その点心霊学徒にとりて非常に興味ある点であります。ついでにここに一言して置きたいことは、右の予言がはしなく的中したことであります。竹内家の人達は、翌くる昭和九年の四月二十日が来てもうっかりして居たが、翌二十一日に至り、不図ふと右の予言のことを思い出し、よく考えて見ると、まき子嬢の所に、その前日一人の友人が訪問し、その際女性の結婚問題に就きて盛んに議論を闘わした事実があったのでした。これは透視の実験とは無関係であるが、はなはだ面白いからと言うので、わざわざ竹内夫人から私に報告があった。それが偶然の暗合か否かは保証の限りでない。私はただ事実をのべる丈のことであります。これを要するに北村氏の能力はすこぶる多角的であり、その霊視能力にしても、自由に顕幽の境を突破して、又或程度時空の制限を無視するところがあるのであります。もう一つ最近に試みたマッチ箱透視の実例なりと紹介することにしましょう。

 マッチ箱の透視――昭和十年六月二十五日午後七時から長谷川弥三郎氏邸(大阪市東区高麗橋詰)において心霊講話会が催され、四十余名の有志者が参集した。一時間以上に亘る浅野氏の講話が終ると、直ちに北村氏の透視の実験に移った。来会者の前面には莨盆たばこぼんにマッチを添えて、所々にくばられてあった。時間の余裕が少なかったので、淺野氏は有り合わせのマッチ箱の透視を試みることになり、手当り次第にその中の一箇を選びて北村氏の前に置いた。『この中にマッチが何本入っているか?』――そう命ぜられると、北村氏は早速半意識の軽い入神状態に入り、両眼を閉ぢて、おもむろに首を左右に動かして、マッチ箱の中をさぐるといった様子をして居たが、いつものように数秒の短時間で即答する代りに、三四分間にもわたりてしきりに考え込んで居る。『うもおかしい。五十四本のようでもあり、五十五本のようでもある……。どっちだかよく判りません。まあ致方いたしかたがないから五十四本ということにして置きましょう……。』そう言って眼を開けた。

 そこで来会者の一人が早速マッチを丸盆の上にあけて、一本二本と勘定にかかった。他の人達は半ば疑いの眼を光らせながら熱心に注視して居たが、いよいよ最後まで数え上げると総計五十四本であることが判った。但しそれは燐で附着している二本を一本と数えての計算で、軸頭を引離せば五十五本なのであった。つまり五十四本と言っても、五十五本と言っても、どちらも正しい訳で、北村氏を迷わしたのも正にその点にあった。兎に角この鮮かな霊視の実験を目撃した人達は、今更いまさらながらびっくりして、覚えず感嘆の声を放ったのであった……。


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