心霊読本

第三篇 心霊現象の体験事実

十一、日本最初の物理的霊媒

 私が欧米の心霊行脚から戻ったのは昭和三年の年末であったが、妙なもので日本に初めて真正の意味の物理的心霊現象の作成に堪ゆる一人の霊媒が出現したのは、実にその翌年の春からでありました。人間の方では気がつかないが、暗黙の裡に何等かの機縁が結ばれているのかも知れません。兎に角単なる偶発事件と考えるのには話が少しうま過ぎるようです。

 その出現した霊媒というのは外でもない、龜井三郎という青年でした。無論龜井氏以前にも全然物理的現象が日本に起ったことがないではない。遠い昔のことはさて措いて、明治時代にも長南年惠女のような優れた能力者が現れ、密封する壜の中に薬水を引寄せたりしました。又私自身実験した中にも、御嶽行者の中に、多少物品引寄ができるのがありました。が、此等これらいずれも信仰的儀礼と連関して居り、厳密なる統制下において、実験室内でおこる現象でないから、学術的にさして価値がありとはわれず、若しもこの種の能力者にかかり合えば、却って群疑の焦点となる位のものであります。私などにも従来幾度かそうしたにがい経験があります。日本の心霊学界をして、ようやくにして右の如き不安な状態から美事に超脱せしめたものは、実に龜井氏から始まります。その意味において龜井霊媒の出現は、日本において一の劃期的かっきてき一大事実たるを失いません。しかも龜井氏はまことに多方面な能力の所有者で、卓子その他物品浮揚、直接談話、透視、縄抜き、物質化、物体貫通、直接書記等各般にわたりて、いずれも相当の成績を挙げます。創業期に於ける、まことに誂向きの霊媒というべきでありましょう。

 想い起せば龜井三郎氏が初めて鶴見に於ける私の寓居を訪れたのは、私の帰朝後まもなき昭和四年の五月の某日の夕刻でした。打ち見る所年齢は二十七八、でっぷり小肥の、風采卑しからぬ一青年でした。二三時間にわたりいろいろ話し合っている中に、この人の来意がようやあきらかになりました。『あなたが西洋で実験された霊媒現象中、すくなくともその一部分は、私にもできそうに思われますが、今晩一つ実験して戴けませんか。』そう短刀直入的に切り出して来たのです。

 私は先刻からこの青年の言葉の端、又その異様の眼の凄味にる程度の興味を催して居たところですから、早速その希望を容れて実験することになりました。

『ではコップを一つと茶碗を二つ拝借したいので……。』

 そういう龜井氏の註文なので、直ちに妻に命じてそれ等の品物を取奇せました。席には妻をはじめ、私の三男と女中のマスとが、いずれも好奇の眼を見張りながらつらなりました。

 龜井氏が真先まっさきに手を執ったのはガラスのコップでした。彼はコップを客間の大型の卓上にさかさまに伏せ、その上に四つに折った白の手巾ハンカチーフをかけました。やがて自分の右の掌を手巾ハンカチーフの上に当てて瞑目一番、ウンと気合いをかけると、見よ! コップはズルズルズルズルと徐ろに卓子の厚板の中にめり込んで行くではないか! 五、一寸、二寸、とうとうコップは卓子の厚板を貫通して、ポタリと畳の上に落ちてしまいました。

 最初の仕事に着手してからすっかり終るまで約一分間、頭上には六十しょくの電灯が煌々こうこうと輝いて居るのです。急いでコップを手に取ってしらべたが、それには何の異状もなく、又卓子にもすこしの痕跡をとどめていないのを発見した。

『こいつァるわい……。』

 私が龜井氏の人並優れた霊媒的能力を体験したのは、実にこのコップ貫通現象が最初で、そして生憎それが又最後のものでした。爾来じらい私は何回となく彼を実験台にのせたか知れませんが、この現象ばかりはついに二度とは繰り返されずに今日に及んで居ります。

 兎に角右が終った時に、龜井氏は今度は物品引寄せの実験をりました。用意してある二つの茶碗を無造作に卓上に伏せて、『この中に何が入っていますか?』と女中に訊くのです。女中は『何も入っていません。』と正直に答えると、龜井氏はニコニコしながら二つの茶碗を開けて見ると、意外にも一方の茶碗からは燕印の新しいマッチ箱が現れ、他方からは蜜柑が一つ現れました。

 龜井氏は面白がって、そんな実験を両三回繰りかえし、午後十二時近くなって辞去しましたが後で気がついて見ると、卓下に置いてあったマッチも蜜柑もいつの間にやら消え失せていました。

 兎に角この一回で龜井氏の異常能力に目星をつけた私は、それから早速その能力の開発養成に腐心しました。最初一二ヶ月はわずかに透視並に繩抜きの実験にたえうる程度でしたが、七月の末に至りてようやく物品浮揚の実験に成功しました。

 忘れもしません、それは雷雨を伴える、ある蒸し暑い晩のことでした。私は宮澤理学士及び粕川女史を伴いて、代官山の寓居に龜井氏を訪れました。私達は流るる汗を拭えも敢えず、直ちに二階の一室を閉め切り、外部から漏るる光線を防ぐべく、更に萌黄もえぎの蚊帳を張りつめて、一同その中に入りました。ここを実験室として物品浮揚能力の有無を試験しようとするのです。

 私の用意したのは只一個の懐中電灯で、その火口を赤色パラフィン紙で包みました。私はそれを畳の上に置きました。

 それから私と宮澤理学士とで、龜井氏の左右の手を握ったまま、彼の入神状態に入るのを待ちました。無論これは少々乱暴なやり方であるが、私としては徹底的に事の真偽を確めたいので、多少の無理は忍んで行って貰うつもりでした。でも、幸に龜井氏は数分後には深い深い昏睡状態に陥り、死人のようにグッタリとしてしまいました。私は早速背後の司配霊しはいれいに向って請求しました。――

『ここに備えつけの懐中電灯に点火しながら、蚊帳の内部をあちこち飛ばしてもらいたい!』

 待つ間程なくパッ! パッ! という敲音ラップが龜井氏の身辺から頻発し、やがて十分間ほども経ったかと思われる頃、スーイスーイと、丁度赤色の螢が飛ぶように、懐中電灯が暗い蚊帳の内部を縫って飛びました。

『しめた! 万歳万歳!』

 私達は覚えず歓呼の声を挙げましたが、これが実に龜井霊媒として卓子その他物品浮揚現象の皮切りであったのでした。


 それから龜井氏の能力は、斯界しかいおいても稀に見る大速度で、各方面に発展して行きました。われわれも随分努めたが、龜井氏もなかなかよくわれわれの註文に応じてくれた。昭和四年の秋から同五年、六年、七年頃に至る前後数年間の収穫は、掛値なしに異数と言ってよく、混沌として目鼻のつかなかった日本の心霊学界に与えたる間接直接の影響は、決して少々ではないのであります。すくなくとも奇蹟とは詐術の異名と思い込んでいる、俗悪浅薄なる唯物的迷信の打破には、どれだけ有効適切な仕事であったか知れないと思うのであります。

 私の手で行った龜井氏の実験回数は前後百回にものぼり、到底その全貌をここで伝えることはできません。止むなくすべての代表として、昭和四年十月大阪の大毎本社で行われた物品浮揚の記録、並に昭和七年七月花屋敷で行われた、直接談話の蓄音器吹込みの記録丈紹介することにします。――

 大毎社の物品浮揚実験――昭和四年十月二十九日の午後には、私は大毎社に詰めかけ、実験の準備に当りました。後で一点の苦情も起らないほど徹底的にりたい覚悟で、西村博士と熟議の結果、一般方針を大体左の加く決しました。即ち――

(一)実験室には同社三階の婦人講堂を宛て、卓子、飾棚、額、鏡、電話等一切の無用物を取払うこと。

(二)すべての室は同社の黒幕で張り詰め光線を遮断すること。

(三)霊媒を緊縛すると同時に立会人を緊縛し、只司会者(浅野)、縛り役(西村)、蓄音器係(石黒)の三人は縛る代りに各自の胸に光章を附けること。

(四)実験中、室内の電灯を消し、点検には懐中電灯を使用すること。

午後六時二十分実験に着手したが、簡潔を旨とし、左にその要点を表示します。

時日。昭和四年十月二十九日夜。

場所。大阪毎日新聞社婦人講堂。

霊媒。龜井三郎氏。

司会者。浅野和三郎氏。

実験題目。物品浮揚発声現象。

実験材料。懐中電灯、セルロイド人形二個、自動車用喇叭ラッパ、ゴム人形、呼子笛、ハーモニカ、鈴二箇、セルロイド玩具二箇、目覚時計(以上その大部分に夜光液を塗ってある。)他に腕時計一箇(これは臨時立半氏の所有品を徴発し、龜井氏の右手首に巻きつく。)

立会人。本山彦一氏(大毎社長)、同夫人、立半静雄氏(秘書課員)、同夫人、出田潤二氏(庶務部長)、平川静風氏(連絡部長)、西村眞琴氏(事業部長、理学博士)、永原茂樹氏(整理部長)、新屋茂樹氏(整理部長)、木下東作氏(編輯部顧問、医学博士)、名村富雄氏(秘書課長)、石黒憲輔氏(内国通信部員)、太宅經三氏(秘書課員)、田中丸善太郎氏(内国通信部員)、小河原勝二氏(事務部員)、池澤原治郎氏(南海鉄道庶務課長)、古屋登代子氏(古屋英学塾長)

統制法。西村博士主任となり、ず立会人(前列の五人)を連鎖的に長縄で椅子に縛りて後列者の出入を遮断し、次に霊媒龜井氏の両手、両脚、首、腹部等を椅子と共に緊縛し、その右手首に腕時計を括りつける。縛られざる三人(浅野、西村、石黒)の胸に光章を附け、以て暗中にありてもその所在をあきらかにす。

一切の準備を終りて一同座席に就き、消灯を命じたのは午後六時三十分でした。蓄音器をかけてから約五分にしてず鈴が鳴り出し、つづいて呼子笛が鳴り、ハーモニカが鳴り、喇叭ラッパが鳴り、玩具が嗚り、目覚時計が嗚りました。最初二十分間許りは主として発声現象のみで、物品の移動はほとんど起らなかった。

 やがてそれ等の発声現象が鎮まると共に、龜井氏の発声機関を通じて、司配霊しはいれいのモゴールから私へ通信がありました。

灯火あかり……時計が……灯火あかり……。』

 これは腕時計がはずれたから灯火をけて点検せよとの意味であると認められました。そこで私は念のめに、

『灯火をけてよいなら敲音を三つ……。』

と請求すると、直ちに敲音が三回ほど明瞭にきかれました。で、私はかねてポケットに用意してある懐中電灯を点火し、西村博士その他一名に点検を命じました。

 その結果ぎの諸点が明瞭になりました。

(一)霊媒の緊縛状態に何の異状を認めないこと。

(二)実験開始前霊媒の右手首に括りつけてあった腕時計が取外されて、備付の卓上に置いてあったこと。

(三)立会人(前列五名)の緊縛状態にも何等の異状を認めなかったこと。

(四)霊媒が深き昏睡状態において汗ばんでいること。

 腕時計はその場で所有者たる立半氏に戻されました。かくて西村博士から点検終りの報告を受けてから私は懐中電灯を消した。するとほとんどその瞬間から敲音が続出し、そしてそれまで卓子に載せてあった懐中電灯、人形、喇叭ラッパ、セルロイドの玩具等が次第に烈しい活動を起し、霊媒の身辺からすくなくとも二間の距離に達する空間をば、燐光を放ちて急速に旋転し、上下し、又跳躍しました。就中最も目覚ましい飛行を試みたのは、衣裳を附けた二箇のセルロイド人形で或時はほとんど不動の姿勢で空中に停止するかと見れば、或時は丁度飛行機のように唸りを立てて立会人等の頭上に迫り、その際は頭髪が少し乱るる位に空気に動揺を感じました。自動車用の喇叭ラッパがけたたましい音を立てて空中飛行をやるのも、亦相当深い印象を与えました。

 一たん床上に落下した玩具類が、ピョコンと弾かれたように空中に浮揚した場合も何回かに達しました。

 うした現象が三十分以上にわたりましたので、私は龜井氏の司配霊しはいれいに向い、実験終了を命じました。

『今晩は目覚ましい現象を起してくれて、皆さまも大へんに御満足のように認めます。これで今回の実験を終ることにしましょう……。』

 同時に私は蓄音器係にも中止を命じましたが、司配霊しはいれいの方ではまだ余力があるのか、尚しばらくハーモニカや喇叭ラッパを嗚らし、室内がすっかり鎮静に帰したのは、それから約十分の後であった。

 例によりて私は敲音を信号に使い、司配霊しはいれいから点灯差支さしつかえなしの報告をてから懐中電灯を点けました。

 龜井氏の緊縛状態は最初のとおり、何等の異状を認めなかったが、只その位置は一尺許右側前方に移り、又その方向も九十度近く右に転換して居ました。

 活動した玩具並に楽器類は、霊媒の前後左右一二間の距離に、床上に散乱していました。

 昏睡せる龜井氏の体からナイフで繩を切り離し、ベンチの上に横臥させるのを待ちて、木下博士が脈搏を測りました。『脈搏は丁度百、しっかりしたものです。』との報告でした。

 今回の大毎の実験は左の諸点において注目すべきであります。

(一)実験が大毎の講堂であったこと。

(二)実験室の装置一切が大毎の手で行われたこと。

(三)霊媒並に立会人の統制が完全に行われたこと。

(四)立会人のほとんど全部が大毎の幹部ばかりで、従って厳正中立的態度が最後まで保持されたこと。

 本年七月以降龜井氏の実験を重ぬること、これで十有五度にのぼりますが、今回の大毎の実験を以ていよいよ一切の疑惑が徹底的に一掃されたと考えて宜いようです……。(「秋の関西行脚」から)。

 直接談話のレコード吹込――龜井氏は最初卓子浮揚、物品引寄等の諸現象の作製に全力を挙げて居ましたが、昭和五年頃から喇叭ラッパを用いて漸次直接談話の実験に従事し、かくて同七年に至りて全く大成し、厳密なる学術的実験にたえゆるようになりました。

 龜井氏の背後で働いている司配霊しはいれいは、既掲の通りモゴールと呼ぶ印度霊ですが、最初はこのモゴールのみが喇叭ラッパを用いて、破格の英語又は日本語を使いました。しかしその後、木村さんと称する若い陸軍々医が、死後モゴールの仕事に共嗚し、その助手として働いてくれることになったので、めっきり進境を認め、現在では主なる交渉は、皆木村補助霊が流暢な日本語ですらすらとってくれます。

 直接談話霊媒としての龜井氏の地歩は昭和七年七月に至り、世界的に確立されたというべきでありました。何となれば、この月をもって氏は直接談話の蓄音器吹込に見事成功を告げたからで、これは世界の心霊学界にありても、わずかに数えるほどしか先例がないことなのです。右のレコードは目下発売されているので、熱心家は何卒実物に就きておしらべください。私はここにレコードが出来上るまでの概況を述べて置きましょう。

 阪急沿線花屋敷でレコード製造業を営みつつある樫尾慶三氏は、かねて心霊問題に理解を有っていられたが、大阪心霊相談所主任の間部子爵と協議の結果、そのスタジオにおいて心霊実験を行うことになり、龜井氏の司配霊しはいれいモゴールもこれに賛成しました。最初の計画では、私の亡児新樹を招び出して喋らせる計画だったようですが、いよいよ実験に際して急に模様がえとなり、新樹の代りに石龜精司という青年の霊魂が突如出現したのでした。

 この石龜青年は故石龜勢輔氏の長男で、昭和四年の十月、二十二歳で歿しました。私は生前この精司青年を知って居ましたが、当夜の司会者であった間部子爵は、全然未知の間柄であり従ってこの青年が現れて、空中から突然姓名を名告なのった時には少なからずまごつかれたようであります。全部は問答体になって居り、その中、地上の人間は間部子爵只一人、他の二人(モゴールと石龜青年)は他界の住人なのであります。対話の内容はすこぶる簡単ではあるが、しかし幽明所を異にせる人達の間に、兎も角もこれだけ纏まった話ができるということは、たしかに人文史上に一の新レコードを造るものと称してよいでしょう。左に標本としてその一小部分を抄出します。

 間部。『あのね、研究のめに、今晩レコードにお声を入れることになったんです。誰か適当な人をお出しを願います……。』

 モゴール。『オーライ。』

 間部。『こちらは大へん六ッかしいのです。向うの機械を廻転したりせねばなりませんからね。あなたの方でうまいこと願います。』

 モゴール。『オーライ、ジャバニース……それでは……アサノ……。』

 間部。『アー淺野新樹君、そう願いましょう……新樹さん?』

 霊。『いいえ……。』

 間部。『新樹さんですか……今日研究のめにレコードにあなたの声を吹込んで頂きたい。つとめてはっきりと、この機械の前で私とお話を願いたいのですが……。』

 霊。『僕……僕……石龜……石龜精司です……。』

 間部。『石龜精司――あなた石龜精司――新樹さんだと思った……。』

 霊。『淺野さん、僕お友達です……』

 間部。『ああそうですか、淺野さんのお友達……あなたいつお亡くなりなさったのです?』

 霊。『昭和四年十月二十二日……。』

 問部。『……』(この間レコードに脱落あり)

 霊。『私達は霊媒者へ意思を送ります……思想のエーテル波動を送ります……。そうしますと霊媒者はこれを言葉にかえます……。』

 間部。『只今のお話は思想を霊媒に送る、それを霊媒者の能力によりて言葉に現す――そういうお話だったのですネ。』

 霊。『そうです……』(以下略)


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