心霊読本

第三篇 心霊現象の体験事実

七、クルュー団訪問

 心霊写真といえば直ちにクルュー団、クルュー団といえば直ちに心霊写真、とピンとあたまに響く位に、英国クルュー市在住の写真霊媒ホープ並にバックストン夫人は、斯界しかいの貴重なる存在なのでしたが、滞英中私は二度もそこへ出張して、存分に実験すべき機会に恵まれました。詐術だとか、んだとかいうのは、あれは一度も実験したことのない人間の勝手な臆測で、すくなくともホープにはそうした痕跡は微塵もなく、前後約三十年間にわたりて、彼は幾万人の依頼者に充分の満足を与えたのでした。私の紹介で、わざわざクルューヘ出掛けた本邦人は、久米博士、福来博士、宮沢教授、森下教授、早川氏等合計約十人にのぼり、いずれも皆相当の収穫がありました。惜い哉ホープは昭和八年三月八日帰幽しました。

 念のめにここにクルュー団の心霊写真成績表を附記して置きます。これはドンカスタア市のクロウクロフト氏が前後七回にわたりての実験成績に基きて作成せるもので、これで見ると種板の数の約六割に心霊像が現れ、そしてそれ等心霊像の約六割強が実験者によりて認知されることになる訳で、心霊写真として誠に驚くべき好記録とわねばなりません。――

時 日  1921 1929 1930 1930 1931 1931 1931
2月 7月 5月 8月 5月 10月 4月  
依頼者  34 42 63 93 119 77 48 476
總種板数 27 31 50 73 188 162 66 597
心霊像数 19 24 40 45 99 83 39 349
割  合 70% 77% 80% 62% 53% 51% 59% 58%
鮮明な顔 31 39 59 67 137 115 61 509
認知数  18 28 34 41 86 76 33 311
認知割合 58% 72% 58% 61% 63% 66% 54% 61%

(入力者注: 表の原型は漢数字で記述)

 左記が私の第一回クルュー団訪問記の抄録であります。――

 

 クルュー団は是非とも訪問すべき書入れのところですから、私はある日手紙をクルューのホープ氏に送り、八月十九日の日曜日に訪問したいが、御都合いかがと問い合わせました。すると十八日に返信が来て、待ってるからお出掛けくださいとのことでした。

 汽車の時間表を出してしらべて見ると、クルューはロンドンから北西に当りて百五十八マイル、急行で三時間以上かかります。しかも生憎日曜の英国の汽車は、発車数がほとんど平日の三分の一位に減じ、クルュー行は午前十一時半ユーストン発以外に適当なのが見当りません。

『こいつァ弱ったな。汽車までがお休みとはひどい……。』憤慨して見たがはじまりません。その旨を電話でケンシントンの、ローヤル・パレエス・ホテルに滞在中の久米民之助氏に通じ、兎も角も右の十一時半の汽車を捕えるべく、ユーストンの停車場で落合う約束をきめました。久米氏とはシベリアの汽車でお馴染になり、その際自然クルュー団の話が持ち出され、『そういうことなら是非御一緒に出かけましょう。』との約束が成立してたのでした。

 極東の赤毛布には、英国の田舎めぐりは臍の緒切って初めての経験ですから、なかなかの大問題です。その前夜は二三時間もかかって地図をしらべたり、荷物をまとめたり、写真の乾板を買ったり、飛んだ大騒ぎをやりました。明くれば十九日の日曜、幸い天気はさして悪い方ではなく、なまぬるい風が吹いて、黒い雲の断片がおてんとさまを時々隠す位の程度です。十時頃大急ぎで、日曜の遅い朝餐をしたためて、地下鉄でユーストン停車場へ行って見ると、久米氏は父子三人連れで、私より先に来て待って居ました。

『子供達も一緒に行きたいと言いますから連れてまいりました。差支さしつかえはないでしょうね。』

『それは却って結構です。写真をるには、老人一人ポツンと坐るよりは、若い人達が加わる方が、きっと成績が良いでしょう。多量のエネルギーを供給しますから……。』

 発車の回数がすくないせいか、車内は相当混んで居ましたが、兎も角私達はしかるべき座席に割り込みました。

 ユーストンの停車場を離れて、ものの三十分も走る中に、四辺の景色はもうすっかり田舎じみて来ましたが、日本の田舎との相違はすこぶる格段なもので、何所へ行っても煉瓦造りの家屋、何所へ行っても広々とした草原と山毛欅ぶなの森、そして所々に牛だの、馬だの、羊だのがノソノソしてる光景は、田園というよりはむしろ一大遊園地のような感じを与えました。耕地と言ったら全体のやっと十分の一も六ヶむずかしいでしょう。もっていかにイギリスという国が一方に歪んだ、不自然の発達を遂げつつあるかを察するに充分でありましょう。植民地や属領がウンとあるから、これで生計くらしが立ちもしましょうが、万々一世界の現状が破れたら……。余計なお世話焼きかは知れませんが、私はイギリスの田園の美観にあこがれる前に、これではイギリス人は天の冥加に尽きはしないか、というような感に打たれざるを得ないのでした。

 が、私達の乗った汽車は、日本の赤毛布が何を考えて居ようと、そんなことにはお構いなしに、幾つかの村落を越え、丘陵を越え、又停車場を越えて、午後三時半頃にクルューに着きました。時間表では二時五十三分着とありますから、これでは三十分間も延着した訳で、その後様子を見るにどうもイギリスの汽車は、よく平気で延着をやるようです。よくんな真似をして何所からも叱言こごとが出ないものだと、私は心からイギリス人の偉大なる寛容性に感歎しつつある次第です。

 クルューは人口五六万の小都会で、ロンドンから来て観ると、成程いかにも田舎臭い感がしました。兎も角も駅前で一台のタキシイを傭い、二階建のっぽけな家屋の並んだ、すこぶる人通りの少ないまちを突っ走ると、間もなくクルュー団の所在地たる、マアケット街というのに来ました。

『いよいよ来たナ!』と思うと、いささか心のときめくを覚えました。

 自動車は、同街の百四十四番地と銘打った家の前に停りました。たちまち車の音をききつけて、五十余歳の黒衣の婦人がドアーを開けてくれましたが、それはかねて写真で見覚えのあるバックストン夫人でした。『フム成るほどこれだナ!』と私は心の裡で叫びました。

 街道に面した狭い応接間に通されて待つ間程なく、ホープ氏が現れました。見る所六十歳許の好々爺こうこうやで、これもねて写真でお馴染なじみの顔でした。初対面の挨拶もそこそこに、私は早速来意を告げました。――

『私の同行者の久米さんは、この五時二十分の汽車でロンドンへ引返したいのですが、一つ大急ぎで撮影を願われますまいか。もっとも私の方は別に急ぐには及びません。模様によっては一と晩クルューへ泊っても構いません。』

『イヤ充分間に合いますよ。』

と、ホープ氏は落付いたもので、

『あなたのも一緒にってしまいましょう。写真の乾板はロンドンから御持参でしょうな?』

『ええ持参しました。これです……。』

 私は早速カバンから持参の乾板二ダースを取り出しました。

 クルュー団が写真撮影に関して執りつつある方法は、私の『心霊講座』にも紹介してありますが、実際る所を観ると、思ったよりも、一層無雑作むぞうさで、一向手間もひまもかかりません。ず乾板を磁化マグネタイズするのだと言って、封のまま右の乾板全部を卓上に置き、その上にわれわれ三人並びにホープ氏とバックストン夫人と、総計五人で手を載せます。やがてホープ氏は瞑目して、極めて短かい祈祷をささげ、精神を統一しますが、これに要する時間は全体でやっと五分間位のものです。

『さあこれで仕度はできました。誰か一人こちらの暗室へ入って、乾板を取枠にれてください。』

 そうホープ氏が促がしますので、若い久米さん(平八郎氏)がその役目を勤むることになり、早速暗室へ入って持参の乾板二枚を取枠にはめましたが、無論右の取枠は充分綿密にしらべた上、乾板には鉛筆で記号を附けました。

 私の分は私自身で手を下しました。

 それが終って、いよいよ久米氏父子三人を撮影する段取になりましたが、イヤ万事が一向お粗末極まるやり方で、何もも明けっ放しのムキ出しで、詐術も何もあったものではありません。いささか普通のヤリ方と異なる点は、ホープ氏と助手のバックストン夫人とが、暗箱の外部に片手をかけて、軽く精神統一のような真似を一寸る丈の話です。側でその実況を目撃しつつあった私は非常に安心しました。――

『イヤなかなか手にはいったものだ。二人とも落付き払って、何等不安焦慮の痕跡もない。これ位自信ができりァしめたものだ……。』

 そんなことを考えてうちに、早くも二枚の乾板の撮影を終りましたので、入り代って今度は私が椅子に腰を掛け、同じような方法で、これも二枚ほど続けて写してもらいました。

『早速これから現像にかかりましょう。どなたか御一緒に暗室に来て下さい。』

とホープ氏が申しますので、平八郎氏と私とが暗室へ入りましたが、それは階段下の物置きを暗室に改造したもので、三人はいるともう身動きもできない位です。兎も角赤ランプの下で四枚の乾板に現像液をそそいで見ると、久米氏の方の一枚と、私の方の一枚とに、各々心霊像エキストラがはっきり現われてたのにはびっくりしました。

『ヤァた! エクトプラズムがどっさり見える! どっちの姿も婦人らしい……。』

 そんなことを言いながら、私達が暗室から出て来ますと、室外で待ってた久米氏も眼を円くして、水だらけの乾板を手に取ってしきりにすかして見るのでした。

 私達がホープ氏の許に止まってたのは、前後やっと一時間ほどでした。久米氏父子は午後五時二十分の汽車でロンドンに帰るべく、又私は行き当りばったりの汽車で、マンチェスターのオーテン氏を訪問すべく、間もなく其所そこを辞して、再びタキシイで停車場へ急ぎました。

 ホープ氏から、いよいよ出来上った写真を受取ったのは、それから四五日後の事で、その時の手紙に、

し心霊像の何人であるかがお判りでしたら、何卒その旨を御通知ください。』

との注文が書いてありました。

 さて受取った写真を手に取って熟視しますと、私の方には一人の中年の日本婦人の顔がはっきり写ってる外に、モ一つ不鮮明な若い女の顔が、横ざまに現れてりました。が、私にはそれ等二つの顔が何人の顔であるかを充分につきとめることができません。この点すこぶる物足らぬ感じを与えますが、他日帰国の上誰かに見せたら、あるいは心当りができるかも知れません。クルュー団の写真には、これまでにそんな実例が簇々そうそうあったようですから……。

 私の心霊写真が、すくなくとも現在の所では、いささか物足らぬものであったに反し、久米さんの方の心霊像エキストラには立派な心当りがありました。これに関しては非常に意義深長なる一場の物語がまつわってるのですが、それは個人の私事に関してりますので、遺憾いかんながら、当分私は発表の自由を有ちません。

 クルュー団にきての私の実験は、お未だその途中にありまして、今後成るべく機会を見つけて再三調査を進めたいと考えてりますが、兎に角彼等が純正無二の心霊写真家であることに関しては、其所そこに一点疑義を挿むの余地がないことは極めて明確であります……。


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