心霊読本

第三篇 心霊現象の体験事実

六、物理的霊媒ルーイスの実験

 現在においてこそ本邦にも龜井、萩原、北村、本吉等の物理的心霊現象の実験に応じ得る霊媒があり、卓子浮揚だの、物品引寄だのと言っても、そうびっくりしないようになりましたが、私が初めて大正十二年をもって現在の心霊科学研究会を東京に組織した当時に在りては、日本国中の何所をどう捜しても、厳密な学術的実験にたえうる能力者は、只の一人も見当らないのでした。『あの頃は随分心細いものだった……。』当年を追想する毎に、私は無量の感慨にふけるを禁じ得ないものがあります。それにしては、よくも思い切って、あんな時代に心霊研究会などを組織したものであると、自分で自分の無鉄砲な勇気に感心させられます。所謂に縁りて魚を求むとは、恐らくあんな仕事を指したものかも知れません。

 苦しまぎれに私は行者、修験者の仲間を漁りて、何等かの物理的心霊現象に接すべく骨を折りましたが、長南年惠おさなみとしえのようなすぐれた能力者はすでに故人となり、わずかに品川守道氏という一人の御嶽行者を発見しました。試験して見ると、この人には確かにる程度の物品引寄能力があり、私の依頼に応じて沢山のお札などを引寄せてくれ、時として、小仏像も二つ三つ引寄せてくれましたが、困ったことには、力量の薄弱なる能力者の常として、時に詐術をも併せ行い、もってその力量の不足を補おうとする悪い癖を発見しましたので、止むことを得ず間もなくこれと絶縁してしまいました。

 その次に私が実験したのは、岡崎市の万灯山所属の内田專亮氏でした。氏の物品引寄(主として小粒の石)は断じて詐術でなく、その人物も至極穏当ですが、惜い哉年齢としを少しとり過ぎて五百もんめ一貫匁という巨大な物品を引寄せる力がなく、っその背後の司配霊しはいれいが、多量に宗教的色彩を帯び、純学術的心霊実験には少し不向きな点があるので、これも広く世人に紹介することができませんでした。

 んな次第で、日本の心霊学界は物理的心霊現象に関して、ほとんど全く一手を染むるに至らずして、荏苒じんぜんとして数年の星霜を送りました。『日本ではとても駄目かしら……。』私は幾度そう歎息したか知れないのでした。

 そうするうちに、私は昭和三年の夏をもって渡欧することになりました。『彼地へついたら、何は兎もあれウンと物理現象を実験することだ……。』私のはらの中はこの念願に燃え立っていましたが、真先まっさきにこの念願を満足させたのは、実に心霊大学に於ける霊媒ルーイスの実験でした。忌々いまいましい話だが、私が生れて初めて白分でたんのうする程度に、物理的心霊現象を満喫したのは、実にその時が最初でした。幸い当時の記録がありますから原文のままその要所を紹介することにしましょう。――

 何は措いても、ロンドンで是非訪問しなければならぬものの一つに数えたのは、マッケンジィ夫妻によりて経営さるる心霊大学でした。ところが去る八月三十一日、たまたまド・クレスピニイ夫人を訪ねると、自分が案内するから、九月の三日に同大学へお出掛けなさいませんか、とのうれしい勧誘、渡りに船とはこの事とばかり、私は直ちに承諾の旨を答えたのでした。

 こちらへ来てからの経験によると、感心にも、すべての人々が時間丈は厳重に守るので、自分もその点にヒケを取らないように、九月三日の朝は少し早目に宿を出掛けました。むろん私はいつも出発前には充分に地図と首引で所在地をつきとめ、バスや地下鉄の昇降地点をもきめてかかるのですが、いざ実地にやって見ると、ず戸惑いしないことは、めったにありません。ことに天気が曇ってでもいると、東西南北の区別がさっぱり判らず、活動写真のように目まぐるしく、人間や自動車の往来する街頭に、ポカンと立往生をしてしまい勝ちで、そうした戸惑時間をさし引くと、大抵は定刻に遅れはしても、早過ぎる心配はめったにないのでした。この日なども、私はうっかり地下鉄の線路を間違え、西に行くべきところを、東のはずれのバンクまで連れて行かれてしまい、これではならぬと、其所そこから又別の線路を引き返して、西のはずれのホルランド・パークまで行った時には、約束の時刻を五六分過ぎていました。

『ロンドン見たいなダラシのないところったらありはしない。これでは一つの都会として、あまりにだだっぴろすぎる。それだからいつまで経っても呑み込めはしない……。』

 赤毛布赤毛布らしい不平を漏しながら、それでもどうやらホルランド・パークの、五十九番地の心霊大学を捜し当て案内を乞いました。

 日本物や支那物らしい仏像、その他の並んでいる廊下を過ぎて応接間に入ると、そこにははたしてド・クレスピニイ夫人が、先刻から私の来着を待っていました。

『よくお出でくださいました。』と、夫人は起って私と握手しながら、

『隨分遠いのでお困りでしたろう。』

『イヤ今日は地下鉄に乗りそこねて、ロンドンを東の端から西の端まで通りました。ロンドンへ来てから私はいつもんな間違まちがいばかりやっています。』

『そうでしょうね。私達でさえ、うっかりすると間違いますからね……。』

 そうしているところへ、五十余歳の英姿颯爽たる一人の婦人が入って来ました。紹介されてそれが校長のマッケンジィ夫人であることが判りました。

『今度の世界大会へ御出席のめにお出掛けですってね。』と夫人は愛想よく、『お国の方が、ちょいちょい当所こちらへお見えになります。先達もジュネーヴに御滞在の何とかいうお方がお見えなさいました。それから数年前には東京の大学に御関係の若い方が、幾度もお訪ねくださいました。お名前ですか……どうもお国の方のお名前は覚えにくくて……。』

『補永さんではありませんか?』

『そうそうプロフェッサー・ホナガでした。アサノさん、あなた御存知ですか?』

『よく存じてります。月に二度や三度は必ず逢います。』

『そうでございますか。今度お逢いの節は宜しく仰っしゃってくださいませ……。』

 三人鼎坐ていざしてよもやまの談話にふけり、それから図書室を観たり、写真類をしらべたり、学科の目録を集めたり、さすがによほど参考になるところがありました。が、私にとりて何より難有ありがたかったのは、目下物理的霊媒として英国内で有数の、ルーイス氏の実験に立会人たることを依嘱いしょくされたことでした。

『実験はこの金曜日の午後八時に開始される予定であります。今年の六月にもすでに一度実験しましたが、なかなか面白い現象が起ります。アサノさん是非あなたにお立会をお願いしたいのですが……。』

『それは願ってもない仕合わせです。金曜の午後には間違まちがいなく参上します。』

『今度はアサノさん、うぞ地下鉄の乗りそこねをなさらぬように。』と、ド・クレスピニイ夫人は私の顔を見て笑いながら念を押しました。

 越えて四日、九月の七日(金曜)の午後七時半には、約束どおり再び心霊大学を訪れていました。

 定刻になると、私の外に男女合せていろいろの人達が参集しました。主なるものは北米合衆国の斯界しかいにその人ありと知られたるグリムショウ氏、ロンドンのホール氏などで、それに当夜実験の主体たるルーイス夫妻を加えて、都合十人許でした。因みにこのルーイス氏は、所謂いわゆる職業霊媒ではありません。現在もその本職はウェールスの石炭工夫で、年齢は五十二歳、イギリス人としてははなはだ小柄の、痩ぎすの人物でした。職業柄その衣服などのお粗末であることは、ここに申すまでもありません。

 定刻の八時が打ったのをきっかけに、われわれは二階の実験室へ導かれました。成るほど心霊実験には誂い向きの装置が施されて居りました。ならべてある椅子は二十脚許、室の一角を幕で仕切って暗室キャビネットを設け、灯火は白、赤等自由にできるように万事手落なくキチンと整備されていました。

『ルーイスさんは暗室の前の肱附椅子にお掛けください。』マッケンジィ夫人が例の歯切れの良い声でしきりに世話を焼きます。『暗室の内部には御覧のとおり卓子が置いてあって、その上には手風琴、燐光板、四五本の花束、頸飾くびかざり、人形、呼鈴などが載せてあります。これ等が今晩の実験の資料でございますが、それは後でお判りになります。それからここに麻繩がございます。うぞアサノさんと、ホールさんとお二人で霊媒をしっかりと椅子にくくりつけて戴きます。』

 そう言いつつマッケンジィ夫人は一本の麻縄を提供したが、それは長さ三丈余の荷造用の丈夫なものでした。

『ではアサノさん、早速縛りましょう。』

 ホール氏にうながされて、私は直ちに霊媒の縛り方に着手しました。ずその右の手首を椅子の肱木に緊縛し、その残りの綱を背部にまわして、今度は左の手首を同様に椅子の肱木にくくしつけ、それから二の腕、胸、首、両脚等にかけて、一々結び玉を作りつつ、五重にも六重にも、固く固く霊媒の躯を、衣服ぐるみ椅子にくくりつけたので、人間業ではとても身動きのできぬ状態なのでした。

『いかがですか、皆さんこれで御不満はありませんか?』

 他の人々は近づいて、一々結び目を点検しましたが、いずれも満足の意を表し、『これでは後でほどくのに大変でしょう。ルーイスさん、あなた、これで呼吸ができますか?』などと言った位でした。

 その次にマッケンジィ夫人がわれわれに註文したのは、厚紙に小孔を明け、それに一本の紐を通したのを、霊媒の左右の拇指にくくりつけることでした。これは紐も切らず、又厚紙にも疵をつけずに、厚紙だけを抜き取らせるめなのです。

『では私の名刺に孔を明けましょう。』

 そう言って私は自分の名刺をとり出し、鉛筆の尖端さきで小孔を明け、その孔に細紐を通し、そして紐の両端を、註文された通り、霊媒の左右の拇指に括り附けました。丁度物干棹ものほしざおに紐で洗濯物でも懸けたように……。

 すっかり準備をおえるまでには約二十分を費しました。

『では皆さん、霊媒の左右に円形を描いて着席してください。』と、例のマッケンジィ夫人の指図、『坐席は成るべく男女交互になるよう、そしてお互に手と手を繋ぎ合わした上で讃美歌を唄ってください。――では灯火を消します。』

 われわれは程よく坐席にきました。私は丁度二人の婦人の間にはさまれ、しかも暗闇の裡でその軟かい手を固く握るのですから、ちょっときくと艶福めきたる話ですが、実際はそれどころでなく、どんな現象が起るかという念慮で胸が一ぱいで、すこぶる緊張した気分で坐っているのでした。

 それは兎に角、一同闇の裡で手と手を繋ぎ合って、二三の讃美歌を斉唱し、つづいてルーイス氏の妻君が、いかにものびのびした良い声でウェールスの俚謡りようを声高々と歌い出したころには霊媒は早やすっかり恍惚状態に入ったらしく、高いいびきが手に執るように聞えて来ました。

 待つこと五六分、突如として闇の裡に、やや不明瞭な、ひなびた老人らしい声が起った。――

『皆さん今晩は……。』

 ルーイス氏の司配霊しはいれいが、その口を使ってう挨拶したのである。

『ジョン、よく出て来ておくれだ。』とルーイスの妻君は歌を中止し、司配霊しはいれいに向かって、案外ぞんざいな口のきき方をする。『皆さまがお待ち兼ねだから、しっかりってお呉れ! 今晩の調子は良いだろうね……。』

『大変良いよ……。』

 と、司配霊しはいれいの方でも一向あっさりしたものです。東洋式に何々のみこと、何々の神と言ったような勿体ぶった様子は薬にしたくもない。『大分勝手がちがうな。』――私は多大の興味をもってこの現象に対しました。

『それではジョン、早速始めておくれ!』

と、妻君がうながす言葉につれ、座中の二三人も、『しっかりしっかり!』と、まるでマラソン競走にでも臨んだ場合のように声援するのでした。

 にわかに霊媒の背後の暗室の辺に当りて、ガサガサ ゴソゴソという騒音が起ったと思うと同時に、

『チリン チリン チリン チリン!』

と、呼鈴が鳴り出し、それがやがて右から左へと、座客の間を縫って動き出した。いよいよお出でなすったな、と感ずると共に、私は、

うぞその呼鈴を私のからだに触れてください。』

と、註文して見た。すると突如として、その呼鈴が私の少し前方に突き出した右脚に、なりの強さで触れた。

『たしかにさわりました難有ありがとう!……。』

と挨拶すると、他の人達も私の真似まねをして『私にも私にも』と註文を発したが、触覚を感じたのは私の右隣に坐っていた若い婦人一人だけでした。

 一応呼鈴の巡行がおわると、今度はガタゴトという高い響が起り、そしていつの間にやら手風琴がブーブー ビービー賑かな演奏を始め、これも一座の間を縫って歩きました。

『見事見事! しっかりしっかり!』

などという讃美やら、激励やらがあちこちに起りました。私はもしゃ何物かの姿が見えもするかとしきりに闇の裡をすかし眺めましたが、どこもかしこも真の闇、肉眼に映ずる何物もありませんでした。

 すると、司配霊しはいれいの方では私の意思を察したものか、ポタリと手風琴を床の上にほうり出した気配けはいがしました。そして今度は、かねて卓子に備えてあった光板を取り、私のすぐ眼の前にそれを近づけましたが、光板の燐光ですかして見ると、そこにはくっきりと白い繊細きゃしゃな女性の手首が現れて居ました。

『手首だ手首だ! 実によく見える!』

おぼえず私が叫びますと、私の左右の婦人達も『まァ! よく見えますこと!』と半ば歎び、半ば愕きの叫びを発しました。

 三人ばかり置いてきの方に陣取っていたホール氏は、

『私の所へも一遍近づけて見せてください。』

と註文したが、ういう訳か、司配霊しはいれいは同氏に近づくことを避ける傾向があるのでした。

 一応手首と光板との巡行が済んだ時に、マッケンジィ夫人は言いました。――

『ちょっと灯火あかりをつけて霊媒の状態を見て置きましょう。――ジョン、灯火あかりをつけるからそのつもりで……。』

 そう言って電灯のスイッチをひねると、室内は急に真っ光り、ぐったり寝入っている霊媒の緊縛状態には何等の異状も認められないのに、暗室の内部に置いてあった手風琴だの、光板だの、呼鈴だのが床上に散乱してりました。

 いずれの立会人も、異議なし異議なしと言った顔つきなので、マッケンジィ夫人は、すぐに又灯火を消し、そして再びルーイスの妻君に独唱を求めました。

 ものの三分とも経たない時に、闇の裡には又々大活動が起りました。そして何やら相当重量のあるものが、ドサリという鈍い音響を立てて、われわれ立会人の作れる輪の外側に落下しました。

『あつ! 只今きっと上衣を脱いだのでしょう……。』

 座の一隅に当りてマッケンジィ夫人の囁き声が聞えました。きけばルーイス氏は六月の実験に際しても縛られたまま見事に上衣を脱いだそうで、当時の実況は立派にフラッシライトで乾板に収められてります。

 それから矢継早に、いろいろの現象が起りました。暗室の卓上に載せてあった頸輪くびわが暗中を動いて来て、私の右隣に坐っている若い婦人の首に懸けられる。人形が私の膝の上にチョコンと載せられる。花束があちこちに投げ散らされ、時としては、そっと誰かの掌中に置かれる。燐光板が暗の中を前後左右に、グルグル運ばれる。呼鈴が鳴る。手風琴が鳴る。その間約三十分これがその晩の実験会の最高潮に達した時で、それから漸次ぜんじ勢力が衰えて行き、最後にただ霊媒の鼾声いびきが聞かれるのみとなりました。

『今晩の実験はこれで中止致しましょう。――司配霊しはいれいさん、どうも難有ありがとう。皆さんが大へん御満足の様です。……。』

 そうマッケンジィ夫人が述べるに連れて、立会人の方でも、『難有ありがとう』とか、『御苦労様』とか、『お休みなさい』とか、めいめい思い思いの挨拶を述べるのでした。

 再び灯火をけて見ると、室内にはいろいろの物品が所せまきまで散乱して、丁度いたずら小僧の遊んでいた室の跡という観がありました。就中なかんずく人々をアッと驚かしたことは、(縦令たとえ予期してたにもせよ)

 一 霊媒の上衣が見事に脱がれて、室の一隅にほうり出されてあったこと。

 二 左右の拇指に縛った紐に通された私の名札が、首尾よく紐からきとられて、床上に落ちていたこと。

の二点でした。むろん霊媒は最初のとおり緊縛されたままで、人為的に何等細工を施したような痕跡は少しもない。ただ上衣が脱落せるめに、われわれの掛けた縄が必然的に少しゆるくなっていました。それから私の名刺ですが、いかによくしらべて見ても、それには最初鉛筆の尖端さきで附けた小孔以外に何等の痕跡を発見することができませんでした。

 霊媒のルーイス氏は、間もなく深き統一状態から覚め、幾らかボンヤリしたような趣がありました。われわれは急いでその縄目を解きにかかりましたが、幾つも幾つも結び目を造ってあるめに、これを解くのに十分間もかかりました。

 すっかり実験が終って、霊媒と固い握手をして、別れを告げたのは正に午後十時でした……。


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