心霊読本

第三篇 心霊現象の体験事実

五、山本海軍大佐の大活劇

 余り海軍関係の実例ばかりつづく嫌いがありますが、どうも海軍々人の気性きしょうがさっぱりしているせいか入神中におこる現象にもキビキビしたのが多いので、もう一つ丈標本ひょうほんとしてここに紹介することにしましょう。これは当時海軍大学の教官であった、山本海軍大佐(英輔氏、現海軍大将)の鎮魂実修中に突発した、猛烈をきわめた神懸現象の記事の一節であります。

 大正七年六月九日には山本海軍大佐がやって来た。

『秋山さんが是非行けと言われましたから参りました。もっとも出張先ですから、あまり閑暇ひまはありません……。』

 例によりて一応鎮魂につきての心得を説明の後、自分は山本大佐を修業場しゅぎょうばれて行った。打ち見るところ身材せいは低いが、いかにもがっしりと岩畳がんじょうな体格の所有者であり、言語応対のはきはきした人物で、流石に海軍部内の逸材と謳われるだけのことがあると思った。

 鎮魂の席に就いたのは午後一時前後であった。無論一人対一人、全部の障子襖を閉め切り、見物人などは一人も入れなかった。型の如く姿勢を整え、神笛数声、早くも山本さんは入神しかけた。が、自分は格別の事があろうとは夢にも思わず、むしろゆったりした気分で、口癖のようになっている質問を発した。

何誰どなたですか? 御名を伺います。』

 言未だ終らず、天地に轟くばかりの大音声で、

『すさのをのみこと!』

と叫んだと思う瞬間に、もう山本大佐の岩畳がんじょうな肉団は、大砲の弾丸のように、自分のからだつかって来た。

 間髪かんぱつれざる突嗟とっさの出来事で、耳にも眼にもとまらばこそ、むろん躯をかわすどころの騒ぎでなかった。後でその時の事を考えて見ても、大体がどんな風に飛びついて来たか、又自分がその際何をしていたか、到底判らない。

『オヤッ』

と思って、気がついた時は、すでに山本大佐の躯は自分のひだりの袖を掠めて、三尺ばかりも背後うしろの方に飛んでいた。思うに大佐の肉弾は自分の組んだ指端四五寸の所まで真直まっすぐに迫り、そこで急に四五十度位の角度をなして左にれたものらしい。これなどは全然私に対する何やら無形の加護があるためで、人間の工夫や努力の結果でも何でもない。若しもあのまま正面から頭突ずつきでもったら、自分はよし死なぬまでも大怪我は免れなかったであろう。

 自分はいささか驚きながら、大佐の方に方向を転ずる隙もあらせず、もう洋服姿の大佐はすっくと立ち上った。そして組める両手を引離そうと二三度試みる様子であったが、とても離れぬと観念するや否や、組んだままの両手と真向まっこう振翳ふりかざしながら、

『エーヤーッ!』

 猛虎の狂うような勢いで、私の頭部をのぞんで打ち込んで来た。

『イヤに乱暴な真似まねをしやがる。』

と自分は一たんはおどろいたが、試練はここぞと、下腹部にウンと力をめ、端坐の姿勢を執ったまま、凝乎じつと相手を睨みつけた。

 イヤその時の気分! 大佐の拳固はビュウビュウ風を切ってつはなぐるは! しかしそは頭上一二寸の辺まで迫る丈で、どうしても私の頭部あたまには当らない。

『もしも、ただ一回でも頭部あたまを打たれるなら、自分に審神者の資格はないのである。その時はいさぎよくこんな仕事をめるまでだ……。』

と、私は決心のほぞを固め、棄身になって両眼を閉じてしまった。

『エーヤーッ』

掛声と共に大佐の拳固は私の頭部づぶに雨下する。その度毎に風は当るが、しかしただの一度も拳固は当らない。

 この状態は十分、二十分とつづいた。もうそろそろくたびれて中止しそうなものだと待って見たが、さすがによく鍛え上げた肉体で、容易に疲労の色を見せない。又これに憑依しているのは、腕に覚えのある天狗の豪の者で、これもあくまで負けじ魂を発揮している……。

 際限がないと思ったから、とうとう私は祈念した。

『乱暴な天狗で、始末に困る……何卒××から然るべき援兵を送りくださるよう……。』

 審神者さにわの請求もだし難しと認められたか、××からは直ちに適当な眷族をさし向けてくだすった。今しも山本大佐に憑依せる豪傑天狗が『エーヤーッ!』の掛声すざまじく、私の頭辺を目かけて、拳固を打ち降さんとせる一刹那、突如として左手から突撃したのは、同じく天狗は天狗ながら、××の眷族として腕に手練のある××だった。思いもかけぬ助太刀に、さすがの豪傑天狗もいささおどろきあわてたらしく、たちまち私を打ち棄てて鉾先ほこさきをそちらに向けた……。

 うなると私の方は呑気のんきなもので、もう警戒の必要も何もない。すっかりくつろいで、腕をこまねいて卍巴まんじともえと入り乱るる天狗達の大格闘を見物して居る丈であった。

 が、この格闘が一時間経っても終らず、二時間過ぎても止みそうもないのには呆れた。豪傑天狗の勢力のつづくのはあるいは当然としても、その天狗に使われている山本大佐の絶倫の持続力には、全く感服させられてしまった。最初からもう二時間以上になるというのに、組んだ両手を前後左右に振り廻してあばれ、そして大きな声で間断なく『エーヤッ!』と呶鳴どなりつづける。私はこの両三年間、なり多人数を入神状態に導いたが、あれ位根気よく、あれ位ねばり強く私に向って極端な抵抗を試みた天狗と人間とを見たことがない。たしかに一方の雄たるべき充分の素質をそなえていると思った。

 しかし、さすがの豪傑も、最後にひとりの龍神が出動するに及びて、とうとう兜を脱ぎかけた。時分を見計ってその龍神は、相手の脚下をねらったのであった。

『ウァーッ!』

大悲鳴を挙げながら、山本大佐の岩畳がんじょうな肉体は三尺ばかり空中にび上った。そして今までの元気はたちまちに失せて、いかにも薄気味るそうに、タジタジと後退を始めた。龍神は半ばからかい気味で、又もするすると接近するので、その都度山本大佐の肉体は何遍空中にび上ったか知れぬ。

 しまいには蚊の鳴くような声しか出なくなった。最早試合どころではない。とうとう修業場しゅぎょうばの右手の隅にへたって、しきりに叩頭おじぎをするのであった。

 私はここで大いに豪傑天狗のあぶらしぼって置こうと決心し、遠方から呼びかけた。

叩頭おじぎをするのは帰順きじゅんの意を表するものと認める。元の坐に就け! 言いきかせることがある……。』

 山本大佐の肉体はムクムクと立ち起った。そして瞑目したまますこしも方向をあやまたず、私をへだたる約三尺の元の位置にピタリと静坐した……。


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