心霊読本

第三篇 心霊現象の体験事実

四、秋山参謀の第六感

 大正五年の暮、私はすでに丹波の綾部に引移って居り、それから大正九年までの数年こそ、私が大本教と関係した大マゴつきの時代でした。何分にも生れて初めてうした信仰団体と接触したことであるから、今日からかえりみれば、随分お恥かしい、失敗の数々を重ねましたが、ただ私にとりて何より難有ありがたかったのは、大本教が、当時としてはほとんど申分のない一の心霊道場であったことでした。教祖の出口直、教主の出口王仁の二人が共に神懸りから出発している丈ありて、同教に集る信者ほとんど全部鎮魂帰神の熱望者ばかりでした。そしてそれを取扱うものが、主として私なのですから、実験材料の豊富なこと正に天下無類で、私が数年間に取扱った人員は、掛値なしに無慮一、二万にのぼるでしょう。こればかりは私にとりて他の何物にもかえ難き、貴重なる経験でした。私がどうやら精神統一の理論と方法とにつきて、確乎たる方針を樹てるべき端緒を見出し得たのは、実にその賜であります。大本教の内面に伏在せる罪悪を憎むことにかけて、私は決して何人にも劣らないと信じますが、しかし大本教が私の研究に多大の便宜を与えてくれた点だけは、今以て心から難有ありがたいと思って居ります。

 綾部時代の霊的体験を一々物語っていたら、とても際限がないので、私はそれ等の中から単に一、二の標本だけを拾い出して見ることにします。私が第一に紹介したいと思うのは、故秋山中将(眞之、当時少将)の第六感的異常能力であります。中将は私が綾部に引越した第三日目、大正五年十二月十四日に、単身飄然ひょうぜんとして綾部をおとずれたのでした。左に当時の記録の一部を抄出します。

談話をまじえること一時間ならずして、私には秋山さんの長所が次第次第に判って来たが、同時にその短所弱点もまた幾らか判って来たような気がした。頭脳の働きの雋敏しゅんびん鋭利を極め、自分の善と直覚するものに向って、周囲の一切の顧慮をすてて、勇往邁進する勇気にかけては、たしかに天下一品の慨を有していた。軍人でも、政治家でも、官吏でも、る地位に達すると、兎角イヤに固まってしまって、心の門戸をとざし、清新溌溂はつらつの気性にとぼしくなる。特に所謂いわゆる知名の士というやつほど却っていけない。僥倖ぎょうこうで博し得た、その虚名をきずつけまいとして、後生ごしょう大事に納まりかえる。そんな人物には面会せぬに限る。会えば一度でがっかりしてしまう。ところが、秋山さんには微塵もそうした臭味がなかった。日露戦役の殊勲者などということを、毫末も鼻のさきにブラ下げず、思っていることは何でも言い、判らぬことは誰に向ってもき、キビキビした、イキイキした、何ともいえぬうるわしい、気持の良い、男らしいところがあった。

 しかし一方に長所があれば、同時に又短所の伴うのは致し方がないもので、秋山さんは、その頭脳の雋敏しゅんびんなるに任せて、あまりに八人芸を演じたがるところがあった。一つの仕事をしている時に、もうその頭の一部では他の仕事を幾つも幾つも考えていると云ったふうで、精力の集中、思慮の周到、意志の堅実などというところが、幾らかとぼしかったようだ。

『参謀としては天下無比だが、統率の器としてはうであろうか……。』

というのが、海軍部内の定評のようであったが、るほどこの評には一片の真理は籠もっていると思われた。人にはそれぞれ特長があり、方面がある。秋山さんは日露戦役に海軍の名参謀として立派な職責を果し、天下の耳目を一身に集めた人である。それ丈で秋山さんの秋山さんたる所以は充分に発揮されて遺憾いかんなしである。終生ただの一度も花咲く春に逢わず、空しく埋木となってしまうのも決してすくなくない。慾をいえば限りもないが、秋山さんの一生などは、もって、最も意義ある、又最もはなやかなる一生とってよかったようだ。

 が、自分はここに秋山さんの人物評を試みるのが目的ではない。秋山さんと神霊問題との関係――これが私の述べたいと思う点である。大体においていうと、秋山さんの信仰に対する態度には、例の秋山式特色が現れていた。早呑み込みはするが、ややもすればちっと移り気がある……。

 それにしても、秋山さんが神霊問題に就いて、理解が鋭かったのは、ただその頭脳が雋敏しゅんびんであるという以外に、有力な原因があった。外でもない、その日露戦役中にける貴重なる霊的体験であった。

『従来は誤解を受けますから、誰にも発表したことはありませんでしたが、あなたにだけお話ししましょう。』

と前置きして秋山さんは次の物語を私に漏らしたのであった。

 一つは浦塩ウラジオ艦隊が突出して常陸丸、佐渡丸を襲撃した時のことであった。日本の上下はこの奇襲に遇って、色を失って震駭しんがいした。上村艦隊は直ちに前進地から招致されて、敵艦隊の撃滅の任に当ったのであるが、いかにあせっても、もがいても、出没自在なる敵の行動の不明なるがめに、いかんとも手の下しようがなかったが、復讐の念に燃ゆる国民は、もどかしがって上村将軍を罵倒するものさえあった。日本全国はまるで鼎の沸くが如きものがあった。

 秋山さんは当時東郷艦隊の中佐参謀として、軍艦三笠に乗組み、旅順の封鎖任務に従事していた。無線電信で、頻々ひんぴんとして敵艦隊の情況が報告されるが、勿論むろん東郷艦隊としては、旅順の沖を一刻も離れることはできない。その時分の秋山さんの苦心焦慮は極点に達した。

 問題は浦塩ウラジオ艦隊が、津軽海峡を通過して、遠州灘方面に進出して来たことがあったが、それからいかなる行動を執るかであった。そのまま南方支那海方面へでも向うか、それとも再び本州の東海岸を廻わって、津軽海峡若くは宗谷海峡を経て帰航するか、上村艦隊はこれにより追撃の方策を決定せねばならぬ。成功不成功は、この際の一断によってわかれるのであるから大変だ。人間の相場はんな時に決定する。機微の間に可否の判断を下して、そして百発百中、決して誤らぬ人が、生きて一世の師表しひょうと仰がれ、死して百代に廟食びょうしょくするのである。

 人間がいかに智嚢ちのうを絞っても、到底決し兼ねる時、人間がさじを投げて神の前に鰭伏ひれふす時、神は初めて真心の人を助けるものであることを、この際秋山さんは初めて体験したのであった。

 終夜よもすがら考え尽して考え得ず、疲労のあまりとろとろと仮睡まどろんだと思われた瞬間、秋山さんの閉じたる眼の中が、急に東雲しののめの空のように明るくなり、百里千里の先までもはっきりと見え出した。不図ふと気がついて見ると、眼裡に展開したのは、日本の東海岸の全景で、そして津軽海峡が向うに見えるではないか。

 およく注意して見ると、今しも三隻の軍艦が津軽海峡さして北へ向って航進している。そしてその三隻こそ夢寐むびの間にも忘れ難い、ねて見覚えのある浦塩ウラジオ艦隊のロシア、ルーリツク、グロムボイではないか。

『あいつども東海岸を廻って津軽海峡を抜けるのだナ。』

 そう直覚した瞬間に、海も波もふねも一時にパッと消えてパッチリと眼が開いた。夢か夢にらず、うつつうつつにあらず、秋山さんは生来初めての経験のこととて、少時しばし戸惑とまどいの気味であったが、しばらくして、これはかねて聞き及べる霊夢というものかナ、と悟った時には、覚えず目頭めがしらが熱くなったのであった。

 この時分から天祐、神助という考は、秋山さんの胸から寸時も離れなくなった。

『人間は矢張り智慧ばかりに依っては駄目だ。どうしても最後は至誠だ、至誠通神という所まで行かねば、本当の働きは発揮されない。昔から偉人とわれた人は、皆この神通力のあった人、霊智霊覚の働いた人だったに相違ない。』

 んな考えが、絶えず秋山さんの胸中を往来するようになった。秋山さんがこの十年来矢鱈に霊覚者を求めて遍歴した動機は、このへんに源を発しているようであった。迷信遍歴者の中にあっても、秋山さんの如きは、確かに最も資質たちの良い、最も同情に値する、高級迷信遍歴者であった……。

 さて秋山さんは霊夢の形式で、浦塩ウラジオ艦隊が太平洋を廻って、津軽海峡に抜けることを知ることは知り得たが、しかしいかなる形式を以てこれを発表すべきかに就ては、いささか困ったのであった。

『今朝霊夢によって知らされた……。』

 そんなことでも言おうものなら、かみのカの字も知らぬ海軍部内の人達から、単に冷笑を買うだけにおわるは、火を見るよりもあきらかだ。仕方がないから、秋山さんは霊夢を見たことをば、自分の胸の奥深く秘めて何人だれにも告げず、主として自分の理智的な判断から、浦塩ウラジオ艦隊の行動を推定したつもりにして、自己の意見として発表したのであった。

『自分は浦塩ウラジオ艦隊が必ず東海岸を廻りて、津軽海峡を通過し、浦塩ウラジオに帰航するものと確信する。上村艦隊はこの推定の下に行動を起し、日本海の内面航路を取り、津軽海峡の入口で敵艦隊を迎撃すべきである。敵艦隊の後を追いかけて、太平洋に出るのは空しく敵を逸するのおそれがある。』

 この意見は無線電信で軍令部にも、又上村艦隊にも通達されたが、おしかな軍令部はこれを採用しなかった。そして上村艦隊をして南海岸方面に出動せしめた。その結果流星光底に長蛇を逸し、敵は悠々として津軽海峡を通過して、浦塩ウラジオはいってしまった。若しこの秋山さんの献策、いやむしろ神策が用いられたら、上村艦隊は八月十四日を待たず、六月中旬を以て浦塩ウラジオ艦隊を撃滅して、一層手際てぎわよく国民の溜飲を下げさせることができたのであった。


 秋山さんがも一つって居られた霊的体験は、それよりも一層重要なもので、真の日本国民なら、何人だれだって無関心で聴いていることのできないものであった。ほかでもない、それは例の日本海々戦当時の破天荒の出来事であった。

『皇国の興廃この一戦に在り。』と東郷大将の戦報にもあった通り、日露戦争中、何が大事件と言っても、この一戦ほど大事なのはなかった。万一日本艦隊がけたとしたら、それは直ちに日本の滅亡を意味する。仮りに敵艦の一部が浦塩ウラジオまで逃げ込んだとしても、矢張り勝手の悪いこと夥しい。日本艦隊としては、どうあってもこれと遭遇し、そしてこれを撃滅せねばならぬ大任務を帯びていた。

 されば日本艦隊のこの時の用意と覚悟とは、実に想像の外であった。根拠地を鎮海湾に置いて、敵の接近を今や遅しと待ち受けながら、さてその心痛苦慮! 敵ははたして対馬水道にやって来るだろうか? 来てくれれば難有ありがたいが、万々一太平洋を迂航し、津軽海峡か宗谷海峡を通過して浦塩ウラジオはいられてはたまらない。いうまでもなく、味方はありとあらゆる手段を尽して、その情報を入手するにつとめてはいたが、神ならぬ身には絶対の確報はらるべくもない。前年の浦塩ウラジオ艦隊の場合と趣は相類似して、しかも軽重の差は雲泥の相違であった。五月も二十日を過ぎてからは、心身の緊張が一層倍加した。旗艦三笠には、幾度か全艦隊の首脳部が集まりて密議が凝らされた。気の早いものは、錨を揚げて鎮海を出で、浦塩ウラジオの前面で敵を待ち受けようかとの意見を提出したものもあったらしい。

 この時の秋山参謀の責任は山よりも重かった。官職こそ一中佐であれ、実に全連合艦隊の智慧嚢ちえぶくろとして、自他共に認めるところであった。彼は幾日幾夜かにわたり、のみのままでゴロ寝をしながら、文字通りの寝食を忘れての大活動をつづけていた。

『忘れもせぬ、あれは五月二十四日の夜中でした。』と秋山さんは当時を追憶しつつ談話をつづけた。『あまり疲れたものだから、私は士官室に行って、肱附椅子アーム、チェアノからだを投げた。他の人達は皆寝てしまって、士宮室には私一人だけでした。眼をつぶって考え込んでいる中に、ツイうとうととしたかと思った瞬間に、例の眼の中の色が変って来た。そして対島東水道の全景が前面に展開して、バルチック艦隊が二列を作り、ノコノコやって来るのがはっきり見えるのです。めた! と思うとはッと正気に返ってしまった。浦塩ウラジオ艦隊の時の霊夢には多少マゴつきましたが、今度は二度目ですから、こりァ神の啓示だナ、と直ちに気がつきました。もう之で大丈夫だ。バルチック艦隊はたしかに二列を作って対島東水道にやって来る。それに対抗する方策は、第一段はう、第二段はァと、例の七段備の計劃けいかくが立所に胸の中に出来上ってしまいました。それからあの二十七日まで、随分どおしくてたまらなかったですが、はらの底に確信があるので、割合に気はらくでした。いよいよ二十七日の夜明けとなって、御承知の通り、信濃丸からの無線電信で敵艦隊の接近が判り、とうとうあの大会戦という段取になったのですが、驚いたことには、前面に現れた敵の隊形が、三日前に夢で見せられたのと寸分の相違もありませんでした。その瞬間、私は嬉しいやら、不思議やら、難有ありがたいやら、実に何ともいえぬ気持でした……。』

 日本海々戦の檜舞台の花形役者から、初めての打明け話を聴くのであるから、実に面白かった。作らず、飾らず、勿体もったいぶらず、海軍流の淡泊な、洒落しゃれな態度口調で、物語ってくれるのが何よりうれしかった。

 秋山さんはその時んなことも言っていた。

『兎に角私には日露戦争中に、二回までもんな事がありましたので、いざ戦報を書こうとして筆を執った時には、どうしても天佑と神助とによりてと、書き出さねば承知ができなかったのです、私は今でもそう信じているので、あれは決しておまけでも形容でもありません。』

 お秋山さんは次のような事も言った。

『どうも東郷大将にも、たしかに一種の第六感……鋭い直感があったと私は信じています。寡黙なかたですから、そんなことは噯気あくびにも出されませんが、私にはそう信ずべき理由があるのです。そうそうあれは旅順を封鎖していた時のことでしたよ。敵の艦隊が、夜間こっそりとその錨地を内港の方に移したことがありました。前日までチャーンと沖から見えていたやつが翌朝見ると、すっかり消えてしまったものですから驚きました。こりァ敵は封鎖を破って脱出したのではあるまいか……。私もその時は非常にあはてました。ところが東郷大将は、ナニ敵は内に居る、とただ一語言われたきり、平然として相手にならない。段々捜した結果、間もなく敵が内港にすっ込んでいることが突きとめられましたが、彼様あんな時の大将の超越した態度は、決して只でできる仕事でありません。たしかに一の霊覚と言ったものが働いているのです……。』

 秋山さんに関する抜萃ばっすい遺憾いかんながらこれで打切ります。それからの秋山さんは私にきて熱心に精神統一の修行をりましたが、もともと霊的天分のすぐれたかただけあって、間もなく相当鋭い霊視能力を発揮するようになりました。が、おしかな秋山さんはその後あまり健康が優れず、いくばくもなく帰幽されてしまいました。『し今日秋山さんが息災でいてくれたら。』私は時々そんなことを考えて、無限の感慨に沈むことがあります。


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