心霊読本

第三篇 心霊現象の体験事実

一、私の最初の体験

 お約束通り、これから心霊事実の紹介に取りかかりますが、劈頭へきとうずおことわりして置かねばならぬことは、この記事がよくよく切りつめたもの、謂わば心霊現象のホンの標本みほんの紹介に過ぎないことであります。最近八十年間に蓄積された東西の心霊資料は、掛値なしに汗牛充棟かんぎゅうじゅうとうで、仮りに『英国心霊協会』の報告の内容プロッシイディング一般を紹介するだけでも大変な紙数を要します。その他諸学会又諸学者の手に成れる実験記録と理論、後から後から際限もなく現るる各種各様の霊界通信……ヘタにこれを取扱ったら、とてもまとまりのつかないものになります。で、私としては主として私自身で直接体験した事実の中から、成るべく代表的なものを選び、全然生地きぢのままで、読者の鑑賞に供することにめました。要するに私としては、いたずらに実例の多いよりも、できる限り心霊実験の真相が髣髴ほうふつとして読者の眼前に浮び出るようにつとめたいのであります。心霊事実の全貌にわたれる適当な参考書類は、欧米にも沢山あり、又私にも『心霊講座』その他がありますから、本書を読んで感興を催された方々は、何卒進んでそれ等を繙き、更に百尺竿頭一歩をすすめて、親しく心霊実験に臨まれんことを希望します。所謂いわゆる百聞は一見に如かずで、最後の仕上げはどうしたところで実地の体験に限ります。筆や口で述ぶる所は、畢竟ひっきょう読者にそこまでの熱心を起させるめの一の下準備に過ぎないものと御承知下さい。

 さて私が初めて心霊問題に興味をち出したのは、今を距ること約二十年の昔、大正四年の秋のことでありますが、それは実は透視の実験から誘導されたのでした。

 その頃私は横須賀に住んで居ましたが、その頃同地に孝信教会という看板をかけて、所謂お伺い、又病気治療をっている女行者の石井ふゆ女というのが居ました。ふゆ女は元普通の職工の妻女であったが、治病その他の能方が呼び物となり、海軍軍人の家族その他相当多数の信者がその周囲に集まっていました。それまでの私は、心霊問題や宗教団体等には何等の興味をっていない、純然たる懐疑論者で、従って全然かかる教会の存在さえも知らずにいたのですが、不図した動機で、半ば好奇心から、この女行者の霊視能力を試験することになりました。しも当時の私がんな好奇心に駆られなかったとしたら、しもその時の試験がまんまと失敗に終ってでもいたとしたら、私という人間は、恐らく終生心霊問題などにかかり合わずに済み、従って日本の心霊事業も、恐らく現在のような発展を遂げずにいたでありましょうが、それがああした風の吹きまわしで、とうとう今日のようなことになってしまいました。考えて見ると、人間の一生、又一代の機運などというものは、何が何やら神ならぬ身には、とても見当が付き兼ねます。

 当年をかえりみると、茫乎ぼうことしてまるで一場の夢でありますが、幸い私の手許とは、当時の記録が残って居りますから、その中から要点を抄録することにしましょう。――

 私は彼女(石井ふゆ女)にいた。

うして人の病気があなたに判るのですか?』

『そりァあなた、難有ありがたいことには信心のお蔭で、からだ内部なかがよくえるのでございます……。』

『では私の蟇口がまぐちに金がいくらはいっているかも判りましょうね……。』

『そりァあなたお易い御用で……。』

『では一つって見てくれませんか。実は私も蟇口がまぐちにいくら入っているか知らないのだが……。』

『宜しうございます……しばらくお待ちくださいませ。』

 私から透視の実験を迫られたふゆ女は、やおら起ってほこらの正面に進み、そこに居合わせた十数名の信者達を促して、一斉に般若心経を唱え始めた。中にはすっかり文句を暗誦しているのもあれば、又中には覚束おぼつかなげに折本を拾い読みする新参者も混っていた。何にしろ木魚、拍子木、かね等を叩きながら一心不乱に唱えるのであるから、一と通りの騒々しさではない。私は手持無沙汰に、背後うしろの方に坐ってこの珍光景を見物していたが、二度も三度も心経を繰りかえすので中々済まない。ものの三四十分も経った時に、ようやくくふゆ女からの合図で読経が終った。

 やおらほこらの前を離れたふゆ女は私の前に座を占め、荼を啜りながらう言うのであった。――

『今日は出来できが悪く、大変時間をとりましたが、最後しまいの頃になってようや蟇口がまぐち内部なかが見えて来ました。一円礼がたしか二枚、それに五十銀貨、白銅、銅貨などごちゃごちゃ取り混せて、総計三円二十五銭入って居りました。一応念のめにしらべていただきます。事によると少し違っているかも知れません……。』

 自分は早速ポケットを探りて蟇口がまぐちを取り出し、有金ありがね全部を畳の上にぶち明けた。居合わせた信者達も面白がって、手伝って勘定してくれたが、意外! 彼女の言った金額と只の一銭の相違もないのであった……。

 私はふゆ女の実験には、他にも随分いろいろの方法を用いた。る小雨のそぼそぼと降る、薄寒い日曜日の事であった。私は洋服に長靴という扮装いでたちで、洋傘をかざして午前九時頃に家を出た。長源寺坂上まで来ると、右へ折れて稲荷谷いなりやとの細い暗い急坂を登り、それから境内を抜けて、間道伝いに忠魂祠堂の前へ出た。それから又も横須賀名物の急坂を汐入方面に降り、牛殺跡と称する、名称丈はすこぶる物騒な一地域を横切り、山道伝えに不入斗いりやまずの連隊前を通り抜け、それから右へ左へ、上へ下へと、るべく狭く不便な山道ばかり選んで、一時間ほど歩きまわって帰宅した。

 これよりき、私は人を孝信教会へ派遣し、ふゆ女をして私の通った道筋を透視させる手筈をして置いた。例によりてふゆ女は、祠前で拍子木か何かを叩きながら、おもむろに統一状態に入ったが、九時頃になって、門を出る私の姿を認め、それから私の行動を最後まで辿ったのであった。――

『浅野さんは、只今ただいま洋服で、長靴を穿いて、お宅の玄関をお出掛けのところだ。雨が降っているので蝙蝠こうもり傘をさしておいでなさる……あれ長源寺坂を降りるのかと思ったら、右へ折れて稲荷谷いなりやとの方へ行かれる……あれ、あの悪い坂路をグチャグチャ登って行かれる……。』

 一時間にわたりてふゆ女が喋る所は、すっかり手帳に控えられたが、後でしらべて見ると、それに寸分の相違もないのであった……。

 

 当時の記録はまだ相当沢山ありますが、抜萃ばっすいはこの辺で止めて置きましょう。当時の私には何故にかかる不思議の能力が、無智無学なる一人の老婆に備わっているのか、よく判らないで困りましたが、今日から考えれば立派に学問的に解釈がつくように思います。一人の人間をばただ一人の人間として考える時に、到底説明も解釈もつきかねるが、統一せる人間の背後に、これと共鳴感応する所の無形の霊的存在があると判れば、問題ははなはだ簡単化し、合理化します。現にこの石井ふゆ女にも、彼女がしきりに崇拝祈願する、所謂いわゆるお狗様という神様(?)があり、統一状態に於ける彼女の人格を、すっかり転換してしまうのでした。そして彼女の霊視能力は、常にそうした際にのみ発揮されるので、人間としての彼女一人の仕業ではないのでした。私の蟇口の内容なかみを透視したとか、私の歩いた道筋を言い当てたとかいうと、とても偉い人間のように考えられますが、仮りに彼女を助くる何者かが居り、彼女はただその道具――霊媒であったとなれば、格別驚くほどの仕業でもない訳であります。

 が、そうした内面機構が判って来たのは勿論むろんはるかに後の事で、当時の私としては、極度に一の痛烈なる猟奇的研究熱と言ったものにとりつかれました。『実に不思議だ! が、あんな婆さんに出来る芸当なら、自分達に出来ない筈はない。一つ大いに勉強して見ようかナ……』いつしか私の脳底にはそんな野心がむらむらと鎌首をもたげ出したのでした。


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