心霊読本

第一篇 心霊研究とは何ぞや

二、北米全土に漲った心霊熱

 フォックス家の幽霊事件を導火線として、北米全土に勃発した心霊熱はまことに猛烈をきわめ、露骨で、大胆で、そしてどちらかといえば俗悪なる異常現象が踵を接して現われました。最初はただ無智の大衆が大騒ぎを演ずるだけであったが、やがて知識階級の中からも熱心な研究者が続出して、学術的にこれを調査攻究するようになりました。これと同時に、他方には心霊事実に対する猛烈な反対運動も起り、甲諭乙駁、まるで蜂の巣を突ついたような有様を呈しました。

 当時北米に起った異常現象は無慮五千と註せられますが、ここには標本として、それ等の中から最も顕著なるものの二三を紹介します。一つはデーヴンポルト兄弟を通じて起った異常現象で、その発生はフォックス家の事件よりも二年ばかり早いが、ただ思い切ってこれを公表することを躊躇ちゅうちょしため、お株をフォックス家の幽霊事件に奪われた形であります。

 兄弟の名は兄はアイオラ、弟はウイリアム、十歳未満の頃から二人の身辺に不思議な現象が起ったというから、余ほど豊富な霊媒的天分の所有者だったに相違ありません。二人の起す現象は種々雑多の音響をはじめ、物品の空中浮揚、幽霊の物質化、自動書記、直接書記、直接談話、縄抜け等でありました。就中驚くべきは彼等自身の空中浮揚現象で、二人とも床上九フィートの高さに舞い上り、見物人達の頭上を飛び廻ったといいます。ちょっときくと嘘のようですが、当時の記録は皆これを肯定して居るばかりでなく、この種の実例は他に数々存在しますから、私は恐らく事実に相違なかろうと推定します。デーヴンポルト兄弟の実験者は無数に上りますが、就中一八五七年ハアバード大学の教授連が行った実験記事は非常に興味があります。教授連は、これが詐術に相違ないという前提の下に、五百フィートの麻縄で二人の兄弟を括り上げ、結目には一々封印を施しそしてピーアス教授が二人の中間に陣取って、監視の眼を光らせていたのでありました。ところが実験開始後、忽ち物質化せる一本の霊手が現れて種々の物品浮揚を行い、最後に兄弟の縛を解きそして件の麻縄を以てピーアス教授をグルグル捲きにしたのでした。少々茶目気分が勝ち過ぎますが、兎に角猛烈な心霊現象と称して差支さしつかえないようであります。こんな有力な二人の霊媒が、まるまる十ヶ年にわたりて北米合衆国を股にかけ、到る所で公開実験を行って、世間に挑戦したというのですから、まことに物すごい話で、これが若し日本であったとしたら、その騒ぎははたしてどんなでありましょう。無鉄砲な北米人士だから、あれ位の騒ぎで喰いとめられたのでありましょう。

 更に右の兄弟は一八六四年を以て英国に渡航し、ロンドンをはじめ、その他の大都市で公開実験を行い、タイムスその他の大新聞紙が争って詳報をかかげて居る所を見れば、相当英国の朝野の耳目を聳動しょうどうしたものと思考されます。一と巡り英国を済ますと、今度は仏国に渡り、奈翁ナポレオン三世並に皇后の前でも実験をやって居ります。つづいてベルリン、ハムブルグ、ブラッセルス、聖ビータースバアク等、ほとんど欧州の大都市を総舐めにし、更に一八七六年には濠州にも遠征して居ります。全く驚いた活動ぶりで、掛値なしに彼等は近代心霊運動の初頭の大戦士と称してよいのであります。

 デーヴンポルト兄弟が欧州大陸を巡遊して居る時分に、北米には更に新規の異常能力者が続出して問題の種子たねを蒔き、唯物的合理主義の牙城の一角を崩しつつありました。就中猛烈なのがエッデイ兄弟でした。彼等はヴアモント州の農夫で。体格が強健で、性質が単純素朴で、物理的心霊現象の霊媒としての資格をとても充分に具備して居ました。騒ぎが段々大きくなった時に、この二人に着眼したのが、ニューヨーク市のデーリイ・グラフィック紙で、直ちに陸軍大佐上りのオルコット氏を特派して実験記事を作製させ、続き物として紙上にのせました。このオルコット大佐こそは、後年霊智学者セオソフィストとして大名を博した位の人物でありますから、従って心霊現象に関する調査は周到綿密をきわめ、今日われわれが当時の記事を読んで見ても大に推服する点があります。右に拠るとエッデイ兄弟は、よほどの天分に恵まれた能力者であったらしく、敲音、物品浮揚、直接作画、透視、精神測定サイコメトリイ、疾病治療、自動書記等の諸心霊現象の外に、特に物質化現象の名霊媒であったらしい。同大佐の実験は十週間にわたりて続行されたが、その間に現われた幽霊の数が無慮四百に上ったというのですから大へんであります。就中なかんずく幽霊中の両横綱ともいうべきは、一人はサンタムと名告なのる男の印度人の幽霊、他の一人はホントウと名告なのる女の印度人の幽霊で、立会人達はすっかり彼等とお馴染になり、二人の身長を器械で測ったり、二人の頭に帽子をかぶらせたり、酒やたばこませたり、その他いろいろ勝手な真似をしたと言います。オルコット大佐の記録によれば、サンタムは六フィートインチの大男だったそうで、この大入道の幽霊がスパスパたばこを吸いながら歩きまわる光景は、よほどグロテスクなものだったろうと想像されます。

 際限がないから、当時の心霊事実の紹介はこの辺で切り上げますが、それ等の中には、必ずしもんな俗悪な性質のものばかりでなく、随分真面目な、そして高尚な現象も起ったようです。例えば当時の代表的心霊研究者として永久に記憶せらるる、エドマンズ判事の愛嬢ラウラなどは入神状態において自由自在にギリシヤ語、ラテン語、ドイツ語、ゲール語、ヘブルュー語、フランス語、スペーン語等を書いたり、話したりしたといいます。それからメーナルド夫人という霊媒にはダニエル・ウェブスタアの霊魂と名告なのる者が憑り、生前そのままの堂々たる態度句調で、奴隷解放令の即時断行を大統領のリンカーンに勧告したといいます。うなると当時の心霊現象も決して莫迦ばかにはなりません。コナン・ドイルの『近代神霊史』でもひもとけば、右に関する相当詳しい記録が載せてあります。

 次に当時の心霊研究者としては、前記のエドモンズ判事の外に、トールマッジ知事ヘーア博士メーブス博士等が傑出して居り、いずれも立派な文献をのこして居ります。就中卓出しているのはエドモンズ判事で、一八五三年及び五五年を以て『スピリチュアリズム』と題せる二巻の書物を発表しました。近代心霊研究をして今日の大を為さしむるに至った最初の基石として、何人も同書を数えねばならぬのであります。同書の一節――

『心霊研究こそは、悲しむ者に慰撫を与え、心弱き者に力を添える。墓場への通路はこれによりてたいらげられ、死の恐怖はこれによりてその爪牙をもがれる。無神論者に光明を与え、兇悪なる男女に転向の機会を与うるもこの研究である。引きつづく苦難、襲いかかる災厄の間において、何よりも貴重なる心の糧を供給するのもこの研究である。地上の人類にむかってその進むべき道を教え守るべき責務を示して寸毫すんごうの遺憾をも感ぜしめぬものはこの研究を措きて他に絶無である……。』

 心霊と人生の不離の関係を説いて、なかなかよく要領を掴んで居る。彼の名が今お敬愛の念を以て心ある人士の心胸に宿って居る所以でありましょう。

 すでにかく豊富な心霊事実があり、優れた霊媒があり、又熱心な研究者がある以上、近代心霊研究がいつまで土中に埋没して居る筈がありましょう。果せる哉一八五四年(安政元年)には早くも一の心霊研究会がニューヨーク市で組織されました『心霊知識普及会』 Society for the Diffusion of Spiritual Knowledge がそれであります。そして同会からは『クリスチャン・スピリチュアリスト』と題せる雑誌が発行されました。これが近代心霊研究学界に於ける最初の機関誌であります。因みに、同会の専属霊媒が、かのフォックス家の妹娘、ケート嬢であったということも、心霊学徒としては見逃がすべからざる事実であります。


第一篇(一)

目  次

第一篇(三)


心霊図書館: 連絡先