心霊読本

概説

三、注意事項

 念のめに私はここで本書執筆の態度につきて二三の注意事項を述べ、充分に読者諸子の諒解りょうかいて置きたいと考えます。

 第一に是非ぜひとも私どもが儼守げんしゅしたいと思うのは、既成の宗教、哲学、主義、学説等に対する超越的態度であります。もともと心霊科学は他の一切の科学と同じく、事実第一主義、実験第一主義で押し通すところに生命があるのであります。従って既成の宗教、哲学等が心霊科学を取り入れて、それ自身の整理又は改造を行うことははなはだ結構でありますが、その反対に心霊科学が既成の宗教、哲学等の指示に従って右を向いたり、左を向いたりすることは、まるきり主客顛倒てんとうの沙汰で、こればかりは到底できない相談なのであります。これを要するに一切の先入主せんにゅうしゅから超脱した純白紙の態度ですべてに対する心の構えができて居なければ、最初から心霊問題などにはかかり合わない方が、むしろ気がきいているかも知れないのであります。

 第二に大切なのは一部分の事象に引きづられて、全体的結論を下さぬことであります。心霊事実は驚くべく多種多様であり、しかもそれ等のある物はよほど隠微な性質を帯びてりますから、うっかりするとわれわれは飛んでもない見損いをしたり、又飛んでもない結論を下したりして、却って社会人生をあやまる結果に陥り兼ねないのであります。これは極度に警戒せねばなりませぬ。もともと人間の力は有限であります。この有限の力をもって無限の大自然を探る仕事でありますから、われわれはいつも謙虚な気分を失わぬように心懸け、し間違ったらいつでも訂正するという雅量を忘れてはならないのであります。そんなことでははなはだ心細いと仰っしゃる方があるかも知れませんが、こればかりは何とも致方いたしかたがないのであります。それでもこの方法で進んで行けばかの不完全な個人の小主観から生れでた既成宗教、既成哲学等に拠るよりも、どれ丈安全であるか知れないのであります。

 第三に、極力警戒せねばならぬことは、断じて我田引水式のお国自慢に陥らないことであります。これはいずれの国人も陥り易い弊害で、日本国民とても決して御多分に漏れないのであります。愛国心とは畢竟ひっきょう手放しでお国自慢をすること、日本精神とは要するに強がりと偉がりの別名……これではどうにも手がつけられません。就中なかんずくこうした傾向は三千年来の伝統の殼を脊負せおっている信仰畑の人達に多いようで、何につけても日本だけは別物、という考が力強くその脳裡にしみこんでるらしいのであります。その志はまことに殊勝と言わねばならぬが、その眼光の狭隘きょうあいなのは始末に行かないのであります。日本が世界の弱小国として東海にくすぶっていた間は、何をやろうが、又何を言おうが格別問題になりませぬが、今日の日本はそうは行かない。さし当り東亜民族の指導者として、世にも重大な責任を有する日本国民が、どの面さげて、今更いまさら児戯に類するお国自慢などに耽っていてたまりましょうか! 自慢は過去に生きることである。個人としても又国民としても自慢が出るようになったらそれでお仕舞です。

 最後にもう一つ注意して置きたいのは、物質科学と物質主義とを混同せぬことであります。これは判り切った事柄であるが、残念ながら今おうした注意を要するほど、両者を混同してる者が世間にはすくなくないのであります。就中なかんずくその弊に陥っているのが旧式の宗教者流、又は霊術者流で、彼等の多くは二言目には物質科学をけなし、あたかもそれが宗教又は信仰の当面の敵でもあるかの如く振舞います。その無智と浅見と頭脳の悪さにはほとほと呆れ返ります。人間が物質の世界に住む以上、物質を学問的研究の対象とするのに何の不都合がありましょう。人間が万物の霊長として地球上に君臨し得る所以ゆえんも、主としてそう言った研究心を有するめであります。物質科学の研究は未来永劫、どこまでもこれを押し進めて行かねばなりません。

 が、人間は物質科学の研究者であるがめに、物質主義者であらねばならぬ理由はどこにも存在しません。物質が宇宙間の唯一の存在であることの実証が学術的に挙げられたら、別問題でありますが、二十世紀に入るに及びて、その反証が物質科学者自身の手で陸続りくぞく挙げられつつある現状であります。従って物質科学者だからと言って、決して物質主義の帰依者とは限らない。いや物質科学者中の第一人者、例えばニュートンにしても、ダアウィンにしても、ウァレエスにしても、クルックスにしても、ロッジにしても、いずれも皆物質主義者ではなくして、却って、もっとも徹底せる信仰者であり、又神霊論者なのであります。むろん、こんなことは皆様が先刻御承知の事でありましょうが、老婆心から一言附け加えて置く次第であります。


概説(二)

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