心霊読本

概説

二、国民教育に加えらるべき最終の一課目

 しからば日本国民の準備教育は、これですっかり終了したのか? と申しますと、問屋はなかなかもってそう容易たやすく卸してくれないのであります。日本国民は大抵の学問に関しては立派に世界的水準線に達してりますが、ただ一つもっとも大切なものに欠けてります。外でもない、それは心霊知識の欠乏であります。

 いかに贔屓眼ひいきめに観ても現代の日本国は、心霊的に目の覺めた国土とは言い得ないのであります。成るほど日本は神国と言わるる丈ありて、津々浦々に至るまで神社が建ってります。又日本は世界から仏教国と目さるる丈ありて、寒村かんそん僻邑へきゆうに至るまでも寺院のないところはありません。で、しも日本の国土から此等これらの神社仏閣を取り除いてしまったら、たしかに日本風景の上に一大革命を惹き起してしまいましょう。が、これはただ日本国の外観に関する事柄で、一歩の内面に立ち入りて調査をすすめて見ると、何人も日本国民の多くが、あまりにも心霊的に空疎であり没交渉であることを発見して唖然あぜんたらざるを得ないでありましょう。

 私ののべる所がうそだと思召すなら、誰でもよいから日本の思想界、学界、宗教界の大立者をつかまえて、手当り次第に心霊上のもっとも有りふれた問題を質問して見るがよい。『人間の個性は死後に存続するか?』『顕幽間に交通ができるか?』『神は客観的の実在であるか、それとも個々の主観の産物であるか?』『日本古典の所謂いわゆる神代と古代とは同意義であるか?』『奇蹟は真に有るか無いか?』『人間にはたして第六感がそなわっているか?……。』

 んな問題を出した時に、無論先方はただ黙っているようなことはないでしょう。あるいは古経典を引用したり、あるいは先哲の意見を紹介したり、あるいは又自己の体験を物語ったり、いずれにしてもその蘊奥うんのうを傾けてこちらのもうひらくべく大に努めてくださるでしょう。もとよりわれわれはその人達の労に対して大に感謝することを忘れてはなりませぬが、しかしこの際何よりも大切なことは、先方の説明がはたして学術的価値を有するか否かの検討であります。換言すれば、その所説がはたして活きた事実の上に立脚せる帰納的結論であるか否かを、十二分に精査考慮することであります。そうすることは断じて先方をへこませるめの手段でも何でもありません。それは新興日本を脊負せおって世界の活舞台に立たねばならぬわれわれの重大なる責務なのであります。

 ところが、私の観る所にしては誤らずんば、現在日本の思想界、学界、宗教界等を脊負せおって立つと言わるる人達の言説は、遺憾いかんながらわれわれの痛切なる心の欲求を満足せしむるに足るものがはなはだ少ないのであります。それ等の大部分は既成の宗教、哲学の単なる受売うけうりであり、近代科学、就中なかんずく近代心霊科学の研究の結果を少しも取り入れていない。従ってそこに何等の新味も、又示唆も、又教訓もなく、全然二十世紀の現代に新生命を吹き込むべき迫力に欠けてります。御承知の通り日本国で現在最もっとも巾をかせているのは、所謂いわゆる宇宙大霊説と唯物説とでありますが、んな一面の真理しかつかまぬものが、今更われわれの指導原理として何の役に立ちましょう。いずれ後章でこれ等の問題にきて、充分攻究を試みましょうが、兎に角現時の日本は主として心霊知知識の欠乏から、実に飛んでもない精神的暗黒時代、思想的鎖国時代に陥っていると言わねばならぬのであります。

 果せる哉近頃の日本に於ける迷信的山師連の横行おうこう濶歩かっぽ、又インチキ思想家連の跋扈ばっこ跳躍は、何たる為体ていたらくでしょう! この際一国の治安を司る官憲の取締も無論必要で、われわれは大いにその労を多とせねばなりませぬが、しかしそれよりも一層大切なることは、日本国民全体の準備教育の完成であります。日本国民の形而下的学問技術の修得は、最早もはやどこにも申分がない。ただこれに目鼻をつけ、世界に於ける大国民としての素養を大成せしむるのは、うあっても新興科学中の新興科学たる心霊科学の研究が必要であります。

 私は固く信じます、日本国民が真に心霊的に目覚め、心霊的に考え、又心霊的に動く時こそ、日本国が初めて真の一本立になる時、神様から世界学校の生徒として卒業免状を頂戴する時であると。


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