心霊読本
概説
一、大国民としての準備教育
地上に国を建てて互い鎬を削る現今の如き世界状勢裡に於て、苟も水平線上に嶄然頭角を露わし一つの理想の実現に当ろうとするには、是が非でも国民全体としての大準備が必要であります。しかもそれは有形無形、物質精神の両面に亘りて飽まで均斉の取れた、どこにも申分のない準備であることを要します。従って斯うした準備は断じて一朝一夕で成し遂げられるものではない。よし何かの風の吹きまわしでちょっとの間、倖運の波に乗るような国がないとは限りませんが、それが決して永続きするものでないことは、数千年来の世界の歴史が甚だ雄弁に物語るところであります。ところが、この点につきてわれわれ日本民族は、まことに世界の諸民族間に断然異彩を放って居ると言って宜いのであります。御承知の通り日本民族は、最近二千年来、全世界が供給する、有形無形に亘りての一切の文化を吸収し、同化し、又修正増補を施して、以て現在に及んでいるのであります。世界のどの民族だって、斯んなにも長い歳月に亘り、斯んな複雑多岐の準備教育に服すべく余儀なくされたものはありません。『お前達には大きな使命があるのだぞ。お前達は世界中のありとあらゆる文物を吸収せんければならぬのだぞ。それでないとお前達に卒業免状は与れないぞ……。』ドーも日本民族というものは、神様からこんな命令を受けて、過去二千年来書生々活をつづけて来た若々しい国民のようであります。
御承知の通り日本民族が先ず接触したのは支那の文明でありますが、初めてあんな整然たる文物制度に打っかったわれ等の祖先達は、一方ならずびっくりして、一時は到底われ及ばずの感に打たれたらしく、おとなしく頭をさげて支那のお弟子入りをなし、殆んど一から十まで支那文物の摸倣と移植とに全力を挙げました。其影響のいかに深刻であったかは、あの六ヶしい象形文字が日本国民の日常生活の用具となっているのを見ても、思い半ばに過ぐるものがありましょう。がそのお蔭で支那文明の精華はすっかり日本国民の異常に強健なる胃袋の中で消化せられ、かの儒教の如きは、その本国に於けるよりも却って日本国土に安住の地を見出しているかの観があります。
之に次ぎて日本国民が接触したのは印度文明で、その深遠なる哲理と宗教とは、徹底的に当時の日本国民を魅了し去り、上下を挙げて殆ど全く印度勢力の下に臣従せんとするところまで行きました。仏教の影響感化はたしかに儒教以上で、モー一と息のところで、日本国は精神的に滅亡せんとしたのであります。が、幸いにも日本国民の消化力が異常に強健であったばかりに、最後に印度思想の営養素のみを吸収し、その中に含まれたる不健全なる毒素を排泄することに成功しました。従って今日では、印度文明の精華も亦、本国の印度よりは却ってわが日本に保存されて居ると言った実状であります。
最後に日本国民が接触したのは西洋文明でありますが、爰でも亦われわれは実に容易ならざる苦楚を嘗めたのであります。すでにさんざん儒教仏教等の洗煉を受けて来た日本国民は、キリスト教の信仰に対しては、さすがに最初から相当の批判力を有していましたが、ただ一と方ならず手を焼かされたのは、実に西洋で異常の発達を遂げた物質科学、又これに随伴して極度に普及浸潤せる唯物思想――この二つでした。日本国民はいつもの流儀で、最初は西洋文明の前に純然たる弟子の礼を執り、崇拝から摸倣へ、摸倣から学修へと、当然踏むべき筋道を踏んで行き、時としてはいささか行き過ぎの感もありましたが、しかしここでも亦日本国民は最後にその奥の手を出し、西洋文明の長所は残る隈なく之を体内に収め、西洋文明の短所は、次第次第に之を体外に排泄することに成功しました。これは内外に於ける、最近の日本国民の動向を見れば頗る明瞭であります。日本国民は今や精神物質両方面に亘りて、漸く自己本来の面目を発揮せんとして懸命の努力をささげつつあるのであります。近来しきりに日本精神又は神ながらの道を唱うるものが各方面に続出しつつある状況を観ても、いかに民族的自覚が熾烈に燃え上ったかを察知すべきであります。
以上はホンの荒筋をかいつまんだ丈でありますが、しかし日本国民が、世界学校の生徒としていかに周到なる準備教育を施され、他日大飛躍の素地を築きつつあったかは、ほぼ明白かと存じます。『東西両洋の文化の粋は、ほぼ完全に日本の国土に於て一丸とせられた……。』われわれはちょいちょいそういう言葉を耳にしますが、公平に観てこれは強ち単なるお国自慢とのみは謂われないようであります。
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