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	<title>心霊図書館</title>
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	<description>著作商用権が切れてコピーフリーになった心霊関連著書の保存作業を行っております。</description>
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		<title>「人は死なぬ」 （その一）</title>
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		<pubDate>Fri, 09 Oct 2009 13:54:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>books</dc:creator>
				<category><![CDATA[「人は死なぬ」・「人は死なず」]]></category>
		<category><![CDATA[フロレンス マリアット]]></category>
		<category><![CDATA[第五巻　【1927（昭和3）年】]]></category>
		<category><![CDATA[粕川　章子]]></category>

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		<description><![CDATA[「人は死なぬ」（その一）
ルビ付版

    ――フロレンスマリアット女史の記録から――


    粕川　章子


　　　はしがき

　日本の心霊現象は欧米と比べると神通現象に傾いて物理的現象は従来著しく少ない様に思わ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<h1>「人は死なぬ」（その一）</h1>
<p align="right"><a href="http://www.books.x0.com/journal/contents/index08.shtml">ルビ付版</a></p>
<p align="center">
    <strong>――フロレンスマリアット女史の記録から――</strong>
</p>
<p align="right">
    粕川　章子
</p>
</p>
<h3>　　　はしがき</h3>
</p>
<p>　日本の心霊現象は欧米と比べると神通現象に傾いて物理的現象は従来著しく少ない様に思われる。この物理的心霊現象の一つである物質化現象即ち幽霊現象の体験を極めて現実的に描写してある英国フロレンス・マリアット女史の著書「ゼア・イズ・ノー・デッス」（人は死なぬ）等は確に日本の心霊研究家にとって手近に獲難い多くの参考資料を提供している。此書は主に物質化現象を取扱ったものであるが、其以外に自動書記、霊言、霊耳其他の心霊現象にも及ぼして居る。然し此処には主として女史が他に挺んでて恵まれた条件の下に、各種の交霊会に於て、数多の有力な霊媒を通じて生前の肉体に立戻った多くの霊を、親しく其肉眼に見其手足で触れる事の出来た、其時々の状況を此書の中から抄訳する事にした。</p>
<p>　マリアット女史は著名な作家であり、其文芸的作品は多くの愛読者を有って居る。旧教信徒である此人は先天的に霊媒的素質を具えて居たと見え、幼時より屡ば暗中に幽霊の姿を見たとの事である。女史の父キャプテン・マリアットも亦海事小説家として天下に雷名を馳せた人であり、心霊的傾向を帯びた人の如く思われる。文筆の人とし芸術家として秀でた才能を有したマリアット女史が一面心霊研究家として勝れた体験をする事の出来たのも此等の素因に依る処があるのであろう。</p>
<p>　此書は今より約十年前西暦一千九百十七年に初めて出版されたものであるが、女史の最初の交霊会は一千八百七十三年（明治六年）であって、爾後の経験が年を追うて記述されて居る、記事の精確と内容の充実と相俟ちてたしかに斯界有数の好著たるを失わない。</p>
</p>
<h3>　　　最初の交霊会</h3>
</p>
<p>　千八百七十三年の二月クレセントにあるフイリップ嬢の家で数名の人が集った時、私はモーニングポスト紙のダンフィ氏に紹介された。此の時此の人の口から交霊会に関する話が出たので、度々斯うした話を聞いて、幽霊現象に興味を持て居た私は、若しこの現象が明るい処で行われるなら信じられるがといった。氏は私の此の要求に対して御誂え向の霊媒が丁度其時米国から来て居ると云って、当時クベック通りに宿を取って居たホームス夫人の名を知らしてくれた。</p>
<p>　運よく其翌日がホームス夫人交霊会の公開日であったので、丁度自分の家に泊り合せて居た親友カッドリップ夫人と二人連れで其の日の夕刻から出かけた。私達は勿論匿名で行ったので、二人共指環を外して未婚者の如く装い、テーラー及びターナーと仮名して訪ずれた。未知の人であるため或は懐疑論者かという疑いをかけられたと見え、私達は寧ろ冷かに迎えられた。積雪の上を吹き捲くる風の寒い夜であった故か、九時を打っても二人の他に来会者は無く、ホームス夫人から嚴寒は物質化現象に不利なる故会費（拾シルリング）は返すから交霊会は中止したしと断られたが、交渉の末当夜は多分失敗に終るべしとの前提の下に漸く会を開く事となった。</p>
<p>　最初に準備として私達は暫らく灯火を消した暗闇の中に座ったが、其間は何の現象も起らなかった。再び瓦斯に火を点じて真物の交霊会が始まった。</p>
<p>　会場は開き戸で仕切られた二つの小室で、私達二人は云われる通りに奥の方の部屋に入って後の戸口を閉め、其上封印を施し、窓を調べ、鎧戸には内から鍵を掛けて内外の出入を防ぎ、且つ其室内に何等異状の無い事を見届けてから前方の部屋に戻り、其開さ戸の前にホームス氏及同夫人、私達二人の四人が一列に腰を下した。此の開け放たれた戸口の前面には両端の壁から壁へと真黒なキャラコの布を張り、其中央に丁度窓口位の大さの四角な孔があけてあった。霊の顔は此の明き口に出るという事であった。</p>
<p>　歌も歌わず、物音もせず、隣室の出来事は衣摺の音でも聞える程四辺は静かであった。ホームス氏夫妻から種々な経験咄しを聴きながら霊の出現を待つ私達が殆んど待飽んだ頃、何やら白っぽい煙草の薄い煙か陽炎の如きものが現われたと思うと直ぐに消え失せた。</p>
<p>　「やっと来ましたよ、今夜はもう駄目かと思いました」とホームス夫人は喜んだ。私と友達は熱心に注目し始めた。</p>
<p>　その白い煙の様な塊は幾度か出たり引込んだりした後、最後に孔の前に落着き、真中から二つに割れたと思うと其の黒い幕の上にまた二人の婦人の顔が判然と現われた。此の霊は其処へ同道した友人のアニーの母トムンン夫人であったのである。生前親しかったので一目でそれと解った。ひどく感激したアニーは途切れ途切れの言葉で話しかけたが、霊は口がきけぬと見え、首を横に振ったり頷いたりする事によって漸く返答をするのみであった。</p>
<p>　何とも言えぬ嚴粛な気持ちで此の光景を眺めていた私にとってただ一っ不思議に思われた事は、其の霊が今迄に見た事のない白いレースの帽子を頭から顔の周囲にぴたりと被っていた事であった。私が返事をアニーに囁くと彼女は答えた。――</p>
<p>「御母さんを葬る時にあの帽子をきせてあげましたの」アニーが別れを惜しむために其の母は暫らく引止められた。次に現われた霊も矢張りアニーと親交のあったキャプテン・ゴードンという人であった。</p>
<p>　名前は聞いた事はあるが生前に逢った事もないこの人に対して何の興味も湧かなかった私は、アニーが熱心に昔の物語りをしている間、その美しい青年の顔を眺めて首を動かす度毎に確かに伸び縮みをする喉の筋肉に気を奪われていたが、彼が不意に首を前に下げた時、左の顳?《こめかみ》の処に髪の毛の間から黒血の塊様のものが見えた。</p>
<p>　此の人が変死をしたという事は聞いていたので、私は尋ねた。</p>
<p>「アニーさん、キャプテン・ゴードンはどうして死なれましたか」</p>
<p>「汽車から落ちてレールに頭を打ちつけましたの」その血は其時の傷であった。</p>
<p>　それから種々な顔が出て来たが、皆自分の知らない人計りであった。最後に頭髪の縮れた?髯《あごひげ》を生した帽子を被った紳士の顔が現われた。</p>
<p>　この人は私を知ていると見え、頻りに自分の方を向いて御辞儀をするのだが、前に現われた霊とちがいこの霊は血の気の無い石膏細工の様な顔をしているために、いくら見るも誰れであるか考えがつかず当惑した。困り抜いた私の様子が可笑しかったか、霊がにっこり微笑んだ瞬間、すぐ昔の親友ジョン・ポールスだと解った。</p>
<p>　「ポールス」と呼んで思わず飛びつこうとした時、其姿は消えた。</p>
<p>　自分はこの突飛な動作を後悔して、それから熱心に再び出て来る様にと祈ったが、ポールスの顔は其夜再び戻らなかった。</p>
<p>　アニーの母とその友キャプテン・ゴードンは何度も現われた。其青年は幾度か呼び戻されている中にだんだんと力が尽き、遂に水彩画でも見る様に薄い影となってしまった。</p>
<p>　其夜一番最終に一人の少女の顔が出た。眼と鼻が見える丈で頭から頬へかけてモスリンの如き白い薄い被物をしていた。誰も其少女を知らなかったので、ホームス夫人は誰れのために来たかと訊いた処が、私のために現われたという風をする。いくら考えても解らない。霊の方では私を知ている様である。ホームス夫人はいった。</p>
<p>「あなたは何か思い違いをしているのではありませんか、だれもあなたの知人は此処にいませんよ」</p>
<p>　其の女の子は如何にも落胆した、残り惜しそうな表情をしながら消えたが、又一寸隅の方から私の方をさも懐しげに覗くのであった。</p>
<p>　後から解った事であるが、此の少女は、生れ落ちて僅か十日目に死んだフロレンスと呼ぶ私の娘であったのである。此時は既に成長して十才位の小児に見えたので、それと見別けがつかなかったのであるが、此の後度々交霊会で逢う様になり総てが明白になった。同夜私に現われた今一人の霊ポールスとも此れを始めに親しく相語る機会を屡ば与えられる様になった。</p>
<p>　此日の交霊会はこれで終り、私達二人が暇を告げた時ホームス夫人は云った。</p>
<p>「あなた方御二人とも霊媒的天分を非常に多くお持ちの様ですね、今迄始めての方と催した会が、こんなに成功した事は決してありませんでした」</p>
<p>　此の言葉は私を少からず励ました。殊に初めての試みに失敗もせず、貴重な体験を獲た事は私を熱心な心霊研究者とならしむるに充分であったのである。
</p>
</p>
<h3>　　　ジョン・ポールス</h3>
</p>
<p>　一千八百六十年に印度で客死した英国青年士官ジョン・ポールスは、私の最初の夫ロスチャーチの親友で私達と同じ家に住んだ事もあり、兄弟の如き間柄であった。其の当時年も若く且つ非常に神経質であった自分は物事に怯え易く、幽霊などは話を聞くさえ怖しく思われたに拘らず、一面他界の事が頻りに気に掛り、常にポールスと霊界の事につき議論を戦わしたものである。ポールスは宗教心もなく、物事に極めて無頓着な人ではあったが、不思議と此種の問題には私と同じく興味を有っていた。其頃ポールスは全く健康体であったが、ある時私に向い、自分は三十歳以前にあなたに先立って死ぬに相違ないから、出来たら死後にあなたの処に現われると云うのであった。私は斯うした約束を果した人は未だ嘗て無いと之を一笑に附したものである。其れが有り得べき事で無いと思ったからではない。ただそんな事は自分自身に起ろうとは夢にも考えられなかったからで、又万一起ったとしても幽霊に逢うなどという物凄い体験に打ち勝って生き続けて行かれ様とは思われなかったのである。</p>
<p>　ポールスの死因となった病気は平素から患って居たものではあるが、床に就くほど悪くなったのは死の前僅か二三日の事であった。急変の知らせを受けて夫と共にポールスの病床に馳附けた時、私の姿を見るや否や彼は云った。</p>
<p>「いよいよ時機が到来しましたよ、僕が云った事を覚えて下さい」</p>
<p>　それ限り彼はもう口をきかず、ただ私の着物の端をしっかりと握ったまま数時間が経った。斯うして彼の死床に附き添っていた間、私は望まれるがままに彼の愛誦した歌「君は消えて見えずなりき」を何度も繰り返し歌った。</p>
<p>　私達夫婦の親友であったポールスの死及其死際の状態から受けた打撃のために私は全く健康を害して英国に帰る様に医者から勧告された。帰国に先立ちポールスの形見として彼の愛用した緑色のネクタイを貰い受けた。此のネクタイは私が二度も染め直して彼を喜ばしたものであった。当時肉体的に異状のあった自分は帰りの長い航海中随分と悩んだものである。船中でポールスの約束が気になるので暗中寝らずに彼を求めた夜も何度かあったが、遂に何者をも見ず、一つの物音をも聞く事は不可能であった。英国上陸後十日程経ってから私は女児を分娩した。そして産後の疲労が回復して心身が旧に復した時、不思議にもポールスの姿も見えず、声も聞えぬにも係らず確しかに彼が傍に居る事を直感する様になった。若し此の現象が身体が衰え神経が異常に過敏に成って居た妊娠中に起ったとすれば医者は直ちに之を病的症状と呼ぶに違いない。夜になると彼が寝床の側に座している様に感じられ、眠られぬ事も屡ばあった。斯うした場合にどうかして話をしたいものと思うのであるが、耳許近く幽かな音でも響き出すとすぐ怖気のつく私は、キャッと叫んで部屋を飛び出すという始末で、遂には恐ろしさに独り居る事すら出来なくなった。その後賑やかな処に住居を移したりしても見たが、ポールスが常に自分の身辺近くに居るという感は去らず、此の体験は数年の後私が心霊現象を純科学的立場から研究する様になる迄絶えず続いた。此間彼は私の試みた自動書記に屡ば通信を寄せた。又私の最初の交霊会に姿を見せたのも彼であった。</p>
<p>　私が心霊研究者である事が知れ渡った時、私はシャワーズ大将の令嬢を知る機会を得た。シャワーズ嬢は僅か十六歳の少女で、どの様な試験にも喜んで応じたが、其の霊能を公開する事なく、ただ自己の求めに応じて実験をするのみであり、従って其処に疑惑を挾む余地は少しもないのであった。</p>
<p>　シャワーズ嬢との最初の会合には霊の顔を出すというので、彼女は窓掛の後に座した。此窓掛は下端を両側から絞り寄せて上方を扇形に開けてあった。間もなくピーターと呼ぶ彼女の主守護霊が出て来て窓掛の中から霊媒である彼女並に私達と会話を始めた。此霊は其窓掛の開口から順々に現われる霊について説明をするのであった。</p>
<p>「ロスチャーチさん、ポールスという人が来て、貴方に話を仕度がってますが、どうも生前通りの顔になれないから出られないと云っています」</p>
<p>「どんな顔をしても構いませんから出る様に話して下さい。私にはきっと解りますよ」</p>
<p>「少しでも似ているとすれば、定めし好男子だったに相違ありませんな」</p>
<p>　ピーターの言が終らぬ中に一つの唇が浮び出たが、いくら贔負眼に見ても旧友ポールスに似通った処は見出されぬ。その顔は硬直して、人の貌とは思えない程であった。</p>
<p>　其顔が消えた後、ピーターは私に向って云った――</p>
<p>「貴方が度々ローシーさん（シャワーズ嬢）の処に来て下されば、だんだん顔も似せられるのだがとポールスは云ってました」</p>
<p>　勿論私は彼の申出を承諾した。ポールスを私に現わしたこのシャワーズ嬢は私の印度に於ける経験は少しも知らなかったのである。</p>
<p>　彼女と次回の会合の際には私は娘二人を同伴した。ふと思い附いたのでその際私は小児達には内密でポールスの死んだ時に形見として貰受けてあった緑色のネクタイを懐に忍ばせて行った。処が会が始まるやピーターの声がして</p>
<p>　「さあロスチャーチさん、其のネクタイを御渡しなさい、ポールスが出懸ってますから」</p>
<p>　「どのネクタイの事ですか」</p>
<p>　「あなたの懐にある、ポールスのネクタイですよ、首に掛けて欲しいと云っていますからね」</p>
<p>　私がネクタイを取出すのを見て皆は不審に思った様であった。ポールスの姿が現われた。前の時とは全く異り、目鼻立も顔色も生前通りであったが、赤鳶色であった彼の頭髪や髯が燐光を発して燃えて居るかの如く見えた。手が届く様に障子の上へ乗って彼の襟元へネクタイを結附けた時、私は接吻をしてくれる様に頼んだが、首を振って応じなかった。「手を御出しなさい」とピーターに云われて私は手を延ばした。彼が私の手の甲に接吻した時、其唇は火の様に熱く感じられた。私はただ事実を記すのみで、説明を与える事は不可能ですが彼は其のネクタイをしたまま消え去って再び戻らず、その小さな室内をいくら探し求めてもそのネクタイを見出す事は出来なかったのである。</p>
<p>　其次にシャワーズ嬢によって起った心霊現象は容易に信じ得ぬ程の甚だしいものであった。ある日、ネビールという人の家で晩餐後其家でシャワーズ嬢の交霊会を催す事になり、私は食卓で彼女の隣に居たが、其夜彼女の母が外泊するため、夜独り寝る事は霊が出て来て恐ろしいと云うのを聞き、私は私の家に泊る様すすめた。</p>
</p>
<hr />
<p>底本：　雑誌　「心霊と人生」　第五巻第四号</p>
<p>発行：　1927（昭和3）年4月1日　心霊科学研究会</p>
<p>※　青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。</p>
<p>※　訳者・粕川章子氏の著作権は残存していますが、当サイトは御遺族の許可を得て公開しています。</p>
<p>※ 入力：いさお　　　　　　2009年3月29日</p>
<p>※ 公開：新かな版　　　　2009年5月2日</p>
<p>心霊図書館＞雑誌総合案内＞ 「心霊と人生・第五巻」</p>
<p>心霊図書館：　連絡先</p></p>
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	</item>
		<item>
		<title>心霊と人生第五巻第八号　「心霊研究から神霊主義へ」</title>
		<link>http://www.books.x0.com/archives/60</link>
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		<pubDate>Sun, 27 Sep 2009 12:00:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>books</dc:creator>
				<category><![CDATA[巻頭言]]></category>
		<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[浅野　和三郎]]></category>
		<category><![CDATA[第五巻　【1927（昭和3）年】]]></category>

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		<description><![CDATA[ルビ付版はこちら
□心霊研究から神霊主義へ
△心霊研究から神霊主義へ――これは欧米に於ても純真な識者の多く辿りつつある径路である。　クルックス卿がそうであった。ロッジ博士がそうであった。コナン・ドイル卿がそうであった。そ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: right;">ルビ付版は<a href="http://www.books.x0.com/journal/j05/j0508_1.shtml">こちら</a></p>
<h2 style="text-align: center;">□心霊研究から神霊主義へ</h2>
<p align="left">△心霊研究から神霊主義へ――これは欧米に於ても純真な識者の多く辿りつつある径路である。　クルックス卿がそうであった。ロッジ博士がそうであった。コナン・ドイル卿がそうであった。その他の人達も大ていは同じような行動を執っている。</p>
<p align="left">△考えて見ると、これはまことに当然の話で、苟くも有力な霊媒に接し、力強き現象に直面しさえすれば、ドウしたところで死後個性の存続顕幽の交通往来等を承認せぬ訳には行かぬ。神霊主義《スピリチュアリズム》とは取りも直さずそれ等の真理を掴んだものの最終に樹立した哲学であり、又信仰であり、そこに一点ドクマの痕跡もなく又何等功利的打算もない。</p>
<p align="left">△之を土木工事に譬えたら、心霊研究はつまり基礎工事で、神霊主義はその上に築き上げたる建築物である。両者の関係は一にして二、二にして一、正に唇歯輔車の間柄であるのである。</p>
<p align="left">△わが心霊科学研究会同人の多くも、ドウやら、さした進路を取りて進みつつあるようだ<acronym title="行末">。</acronym>これは甚だ慶賀すべき傾向と言わねばならぬ。其所へ行くと既成宗教家連の態度は果して何の状だ。無批判である。特殊の古経文を取り入れて見たり、無茶苦茶に或る特殊の人物を担いで見たり、時とすれば又似而非学者の口吻を受け入れて見たり、そこに何の研究もなければ自信もなく、全然その日暮らしに没頭するものばかり多いではないか。これでは到底現代を導く力がない。</p>
<p align="left">　△ああ心霊研究から神霊主義へ！。　爰には科学と宗教との密接なる提携がある。二十世紀人士の進むべき目標は一路甚だ明白ではないか！（三・六・三十・Ａ生）</p>
<p align="left">
<div>
<hr /></div>
<p align="left"><strong>底本：　雑誌　「心霊と人生」　第五巻第八号</strong></p>
<p align="left"><strong>発行：　1927（昭和3）年8月1日　心霊科学研究会</strong></p>
<p align="left">※　青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。</p>
<p align="left">※　 底本では行末にかかる句読点は省略されていると思われますが、HTML化に際して行末が変わることを考慮して、注記の上、句読点を補っています。</p>
<p align="left">※ 入力：いさお　　　　　　2009年1月24日</p>
<p align="left">※ 公開：新かな版　　　　2009年9月27日</p>
<hr />
<p style="text-align: right;"><a href="http://www.books.x0.com/">心霊図書館</a>：　<a href="http://www.books.x0.com/formmail/index.shtml">連絡先</a></p>
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	</item>
		<item>
		<title>心霊と人生　第五巻第五号　　「思想壇」</title>
		<link>http://www.books.x0.com/archives/50</link>
		<comments>http://www.books.x0.com/archives/50#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 09 Sep 2009 13:22:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>books</dc:creator>
				<category><![CDATA[浅野　成恭　氏]]></category>
		<category><![CDATA[第五巻　【1927（昭和3）年】]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.books.x0.com/archives/50</guid>
		<description><![CDATA[ルビ付版はこちら。
思想壇
『精神と霊魂は別物』にはあらず
青郷生
　本誌六月号に、石塚氏の精神と霊魂とに関する所説が掲載されてあったが此問題はどうかすると、区別が一寸困難な感がないでもない。で、極めて簡単にその区別を明 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p align="right">ルビ付版は<a href="http://www.books.x0.com/journal/j05/j0507_71.shtml">こちら</a>。</p>
<h1>思想壇</h1>
<h2>『精神と霊魂は別物』にはあらず</h2>
<p align="right">青郷生</p>
<p>　本誌六月号に、石塚氏の精神と霊魂とに関する所説が掲載されてあったが此問題はどうかすると、区別が一寸困難な感がないでもない。で、極めて簡単にその区別を明かにしようと思う［※行末］。</p>
<p>　石塚氏は精神を「分娩と同時に開始する肉体の所産する一つの力に名づけられたる名称である」としているが、その「肉体の所産する一つの力」とは、どういうことを意味するか、はっきりとは分らないが、肉体の所産する力といえば、例えば食いたくなったから喰い、睡くなったから寝るということなども、その所産する力のように思われる。食いたくなったから喰い、睡くなったから寝るということが個人の精神だとはいわれぬではなかろう乎。</p>
<p>　心霊に志す人士は、個人は肉体機関と霊魂との合併協同であることを承認されて居るから、所説を進むるに甚だ都合がよい［※行末］。そしてその肉体機関なるものは或る程度まで漸次発育成長して宿れる霊魂の使用に便ならしむる工夫となっている。が、その機関には善悪良否の差等が甚だ多く、之と同時にそれに宿れる霊魂にも亦善悪良否の差等が無数に上る。そして機関の善悪良否と、霊魂の善悪良否とは必ずしも一致するものではない。</p>
<p>だから「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という原則は、一般には成立しない。その二　三例を示そうなら、支那の諸葛孔明は南陽に耕して居る時、劉備の三顧に黙止し難く、血を喀きつつ天下三分の計に尽したではないか。小楠公は蒲柳の質、劣弱の軍勢を以て、屡々足利の大軍を悩ましたではないか。又大谷吉隆は悪疾に苦しみつつも、其所信に死したではないか。此他此の如き例は、求むれば求むるに従っていくらでも沢山ある。で、「肉体の所産する一つの力」を精神と名づくというならば以上不良の肉体を有する人士の精神も亦不良でなくてはならぬ筈である。然るに事実に於て諸葛孔明、小楠公、大谷吉隆の精神が不良であるとは、何うしても認め得ないのである。</p>
<p>　肉体機関や霊魂の善悪良否を暫らく問題外に置き、私は次の如き見解を有するものである。曰く、</p>
<blockquote><p>霊魂の思想（霊魂即思想にして、その思想なるものを一定不変だなどと考えてはならない）を、肉体機関を通じて発現せんとする心の本体を精神という。</p></blockquote>
<p>というに在る。石塚氏がいう所の「人工訓育」は、肉体機関を通じて宿れる霊魂を開発せしむるものであって、霊魂は之によって向上もし、向下もするのである。</p>
<p>　肉体機関なるものを時計の機関に比喩せんとするもよいであろうが、そんな比喩を借りるにも及ばす。睡眠時のことを考えればすぐに諒解し得らるべく思わる。即ち睡眠とは霊魂か一時個体の外に遊離する時に起る現象で、此睡眠中には幾んど精神が個体中にその所在を失して居るのである。併しながら肉体機関はどこからどこまで依然として活動を継続し居ることは争われない事実である。肉体所産の力なるものが、此睡眠中に起らぬという事は、如何なる原因によるか。之を説明してくれなくては一寸貴説に肯きかねる。</p>
<p>　私は曰う。精神も霊魂も決して別物ではなく、唯観点を異にしたときに或は精神、或は霊魂というに過ぎないものであると尚憑霊のことをいえば、所説が複雑するから、此辺で御免を蒙むる。そして石塚氏の所説に対して、敢て駁撃を加えんとする意思より此文を草せるにあらざることをお断りしておく。</p>
<hr /><strong>底本：　雑誌　「心霊と人生」　第五巻第七号</strong></p>
<p><strong>発行：　1927（昭和3）年7月1日　心霊科学研究会</strong></p>
<p>※　青空文庫の「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に準拠して、底本の旧字表記をあらためました。</p>
<p>※　訳者・粕川章子氏の著作権は残存していますが、当サイトは御遺族の許可を得て公開しています。</p>
<p>※ 入力：いさお　　　　　　2009年1月24日</p>
<p>※ 公開：新かな版　　　　2009年6月21日</p>
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		<title>一、その生立</title>
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		<pubDate>Tue, 08 Apr 2008 11:33:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>books</dc:creator>
				<category><![CDATA[小桜姫物語]]></category>

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			<content:encoded><![CDATA[<p>　修行《しゅぎょう》も未熟《みじゅく》、思慮《しりょ》も足《た》りない一人《ひとり》の昔《むかし》の女性《じょせい》がおこがましくもここにまかり出《で》る幕《まく》でないことはよく存《ぞん》じて居《お》りまするが、斯《こ》うも再々《さいさい》お呼《よ》び出《だ》しに預《あず》かり、是非《ぜひ》くわしい通信《つうしん》をと、つづけざまにお催促《さいそく》を受《う》けましては、ツイその熱心《ねっしん》にほだされて、無下《むげ》におことわりもできなくなって了《しま》ったのでございます。それに又《また》神様《かみさま》からも『折角《せっかく》であるから通信《つうしん》したがよい』との思召《おぼしめし》でございますので、今回《こんかい》いよいよ思《おも》い切《き》ってお言葉《ことば》に従《したが》うことにいたしました。私《わたくし》としてはせいぜい古《ふる》い記憶《きおく》を辿《たど》り、自分《じぶん》の知《し》っていること、又《また》自分《じぶん》の感《かん》じたままを、作《つく》らず、飾《かざ》らず、素直《すなお》に申述《もうしの》べることにいたします。それがいささかなりとも、現世《げんせ》の方々《かたがた》の研究《けんきゅう》の資料《たし》ともなればと念《ねん》じて居《お》ります。何卒《どうぞ》あまり過分《かぶん》の期待《のぞみ》をかけず、お心安《こころやす》くおきき取《と》りくださいますように……。</p>
<p>　ただ私《わたくし》として、前《まえ》以《もっ》てここに一《ひと》つお断《ことわ》りして置《お》きたいことがございます。それは私《わたくし》の現世《げんせ》生活《せいかつ》の模様《もよう》をあまり根掘《ねほ》り葉掘《はほ》りお訊《たず》ねになられぬことでございます。私《わたくし》にはそれが何《なに》よりつらく、今更《いまさら》何《なん》の取得《とりえ》もなき、昔《むかし》の身上《みのうえ》などを露《つゆ》ほども物語《ものがた》りたくはございませぬ。こちらの世界《せかい》へ引移《ひきうつ》ってからの私《わたくし》どもの第《だい》一の修行《しゅぎょう》は、成《な》るべく早《はや》く醜《みにく》い地上《ちじょう》の執着《しゅうじゃく》から離《はな》れ、成《な》るべく速《すみや》かに役《やく》にも立《た》たぬ現世《げんせ》の記憶《きおく》から遠《とお》ざかることでございます。私《わたくし》どもはこれでもいろいろと工夫《くふう》の結果《けっか》、やっとそれができて参《まい》ったのでございます。で、私《わたくし》どもに向《むか》って身上《みのうえ》噺《ばなし》をせいと仰《お》ッしゃるのは、言《い》わば辛《かろ》うじて治《なお》りかけた心《こころ》の古疵《ふるきず》を再《ふたた》び抉《えぐ》り出《だ》すような、随分《ずいぶん》惨《むご》たらしい仕打《しうち》なのでございます。幽明《ゆうめい》の交通《こうつう》を試《こころ》みらるる人達《ひとたち》は常《つね》にこの事《こと》を念頭《ねんとう》に置《お》いて戴《いただ》きとう存《ぞん》じます。そんな訳《わけ》で、私《わたくし》の通信《つうしん》は、主《おも》に私《わたくし》がこちらの世界《せかい》へ引移《ひきうつ》ってからの経験《けいけん》……つまり幽界《ゆうかい》の生活《せいかつ》、修行《しゅぎょう》、見聞《けんぶん》、感想《かんそう》と言《い》ったような事柄《ことがら》に力《ちから》を入《い》れて見《み》たいのでございます。又《また》それがこの道《みち》にたずさわる方々《かたがた》の私《わたくし》に期待《きたい》されるところかと存《ぞん》じます。むろん精神《せいしん》を統一《とういつ》して凝乎《じっ》と深《ふか》く考《かんが》え込《こ》めば、どんな昔《むかし》の事柄《ことがら》でもはっきり想《おも》い出《だ》すことができないではありませぬ。しかもその当時《とうじ》の光景《こうけい》までがそっくりそのまま形態《かたち》を造《つく》ってありありと眼《め》の前《まえ》に浮《うか》び出《で》てまいります。つまり私《わたくし》どもの境涯《きょうがい》には殆《ほと》んど過去《かこ》、現在《げんざい》、未来《みらい》の差別《さべつ》はないのでございまして。……でも無理《むり》にそんな真似《まね》をして、足利《あしかが》時代《じだい》の絵巻物《えまきもの》をくりひろげてお目《め》にかけて見《み》たところで、大《たい》した価値《ねうち》はございますまい。現在《げんざい》の私《わたくし》としては到底《とうてい》そんな気分《きぶん》にはなりかねるのでございます。</p>
<p>　と申《もう》しまして、私《わたくし》が今《いま》いきなり死《し》んでからの物語《ものがたり》を始《はじ》めたのでは、何《なに》やらあまり唐突《とうとつ》……現世《このよ》と来世《あのよ》との連絡《つながり》が少《すこ》しも判《わか》らないので、取《と》りつくしまがないように思《おも》われる方《かた》があろうかと感《かん》ぜられますので、甚《はなは》だ不本意《ふほんい》ながら、私《わたくし》の現世《げんせ》の経歴《けいれき》のホンの荒筋丈《あらすじだけ》をかいつまんで申上《もうしあ》げることに致《いた》しましょう。乗《の》りかけた船《ふね》とやら、これも現世《げんせ》と通信《つうしん》を試《こころ》みる者《もの》の免《まぬが》れ難《がた》き運命《うんめい》――業《ごう》かも知《し》れませぬ……。</p>
<p>　私《わたくし》は――実《じつ》は相州《そうしゅう》荒井《あらい》の城主《じょうしゅ》三浦《みうら》道寸《どうすん》の息《そく》、荒次郎《あらじらう》義光《よしみつ》と申《もう》す者《もの》の妻《つま》だったものにございます。現世《げんせ》の呼名《よびな》は小櫻姫《こざくらひめ》――時代《じだい》は足利《あしかが》時代《じだい》の末期《まっき》――今《いま》から約《やく》四百余年《よねん》の昔《むかし》でございます。もちろんこちらの世界《せかい》には昼夜《ちゅうや》の区別《くべつ》も、歳月《つきひ》のけじめもありませぬから、私《わたくし》はただ神様《かみさま》から伺《うかが》って、成《な》るほどそうかと思《おも》う丈《だけ》のことに過《す》ぎませぬ。四百年《ねん》といえば現世《げんせ》では相当《そうとう》長《なが》い星霜《つきひ》でございますが、不思議《ふしぎ》なものでこちらではさほどにも感《かん》じませぬ。多分《たぶん》それは凝乎《じっ》と精神《こころ》を鎮《しず》めて、無我《むが》の状態《じょうたい》をつづけて居《お》る期間《あいだ》が多《おお》い故《せい》でございましょう。</p>
<p>　私《わたくし》の生家《さと》でございますか――生家《さと》は鎌倉《かまくら》にありました。父《ちち》の名《な》は大江《おおえ》廣信《ひろのぶ》――代々《だいだい》鎌倉《かまくら》の幕府《ばくふ》に仕《つか》えた家柄《いえがら》で、父《ちち》も矢張《やは》りそこにつとめて居《お》りました。母《はは》の名《な》は袈裟代《けさよ》、これは加納家《かのうけ》から嫁《とつ》いでまいりました。両親《りょうしん》の間《あいだ》には男《おとこ》の児《こ》はなく、たった一粒種《ひとつぶだね》の女《おんな》の児《こ》があったのみで、それが私《わたくし》なのでございます。従《したが》って私《わたくし》は小供《こども》の時《とき》から随分《ずいぶん》大切《たいせつ》に育《そだ》てられました。別《べつ》に美《うつく》しい程《ほど》でもありませぬが、体躯《からだ》は先《ま》ず大柄《おおがら》な方《ほう》で、それに至《いた》って健康《たっしゃ》でございましたから、私《わたくし》の処女《むすめ》時代《じだい》は、全《まった》く苦労《くろう》知《し》らずの、丁度《ちょうど》春《はる》の小禽《ことり》そのまま、楽《たの》しいのんびりした空気《くうき》に浸《ひた》っていたのでございます。私《わたくし》の幼《おさな》い時分《じぶん》には祖父《ぢい》も祖母《ばば》もまだ存命《ぞんめい》で、それはそれは眼《め》にも入《い》れたいほど私《わたくし》を寵愛《ちょうあい》してくれました。好《よ》い日和《ひより》の折《おり》などには私《わたくし》はよく二三の腰元《こしもと》どもに傅《かしずか》れて、長谷《はせ》の大仏《だいぶつ》、江《え》の島《しま》の弁天《べんてん》などにお詣《まい》りしたものでございます。寄《よ》せてはかえす七里《り》ヶ浜《はま》の浪打際《なみうちぎわ》の貝拾《かいひろ》いも私《わたくし》の何《なに》より好《す》きな遊《あそ》びの一《ひと》つでございました。その時分《じぶん》の鎌倉《かまくら》は武家《ぶけ》の住居《やしき》の建《た》ち並《なら》んだ、物静《ものしず》かな、そして何《なに》やら無骨《ぶこつ》な市街《まち》で、商家《しょうか》と言《い》っても、品物《しなもの》は皆《みな》奥深《おくふか》く仕舞《しま》い込《こ》んでありました。そうそう私《わたくし》はツイ近頃《ちかごろ》不図《ふと》した機会《おり》に、こちらの世界《せかい》から一度《ど》鎌倉《かまくら》を覗《のぞ》いて見《み》ましたが、赤瓦《あかがわら》や青瓦《あほがわら》で葺《ふ》いた小《ちい》さな家屋《かおく》のぎっしり建《た》て込《こ》んだ、あのけばけばしさには、つくづく呆《あき》れて了《しま》いました。</p>
<p>『あれが私《わたくし》の生《うま》れた同《おな》じ鎌倉《かまくら》かしら……。』私《わたくし》はひとりそうつぶやいたような次第《しだい》で……。</p>
<p>　その頃《ころ》の生活《せいかつ》状態《じょうたい》をもっと詳《くわ》しく物語《ものがた》れと仰《お》っしゃいますか――致方《いたしかた》がございませぬ、お喋《しゃべ》りの序《つい》でに、少《すこ》しばかり想《おも》い出《だ》して見《み》ることにいたしましょう。もちろん、順序《じゅんじょ》などは少《すこ》しも立《た》って居《お》りませぬから何卒《どうぞ》そのおつもりで……。</p>
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		<title>解説</title>
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		<pubDate>Tue, 08 Apr 2008 11:32:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>books</dc:creator>
				<category><![CDATA[小桜姫物語]]></category>
		<category><![CDATA[淺野和三郎著　]]></category>

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		<description><![CDATA[――本書を繙《ひもと》かるる人達の為に――
　
淺野和三郎
　本篇《ほんぺん》を集成《しゅうせい》したるものは私《わたくし》でありますが、私自身《わたくしじしん》をその著者《ちょしゃ》というのは当《あた》らない。私《わた [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="TEXT-ALIGN: center">――本書を繙《ひもと》かるる人達の為に――</p>
<p style="TEXT-ALIGN: center">　</p>
<p style="TEXT-ALIGN: right">淺野和三郎</p>
<p>　本篇《ほんぺん》を集成《しゅうせい》したるものは私《わたくし》でありますが、私自身《わたくしじしん》をその著者《ちょしゃ》というのは当《あた》らない。私《わたくし》はただ入神中《にゅうしんちゅう》のＴ女《じょ》の口《くち》から発《はっ》せらるる言葉《ことば》を側《はた》で筆録《ひつろく》し、そして後《あと》で整理《せいり》したというに過《す》ぎません。</p>
<p>　それなら本篇《ほんぺん》は寧《むし》ろＴ女《じょ》の創作《そうさく》かというに、これも亦《また》事実《じじつ》に当《あ》てはまっていない。入神中《にゅうしんちゅう》のＴ女《じょ》の意識《いしき》は奥《おく》の方《ほう》に微《かす》かに残《のこ》ってはいるが、それは全然《ぜんぜん》受身《うけみ》の状態《じょうたい》に置《お》かれ、そして彼女《かのじょ》とは全然《ぜんぜん》別個《べっこ》の存在《そんざい》――小櫻姫《こざくらひめ》と名告《なの》る他《た》の人格《じんかく》が彼女《かのじょ》の体躯《たいく》を司配《しはい》して、任意《にんい》に口《くち》を動《うご》かし、又《また》任意《にんい》に物《もの》を視《み》せるのであります。従《したが》ってこの物語《ものがたり》の第《だい》一の責任者《せきにんしゃ》はむしろ右《みぎ》の小櫻姫《こざくらひめ》かも知《し》れないのであります。</p>
<p>　つまるところ、本書《ほんしょ》は小櫻姫《こざくらひめ》が通信者《つうしんしゃ》、Ｔ女《じょ》が受信者《じゅしんしゃ》、そして私《わたくし》が筆録者《ひつろくしゃ》、総計《そうけい》三人《にん》がかりで出来《でき》上《あが》った、一種《しゅ》特異《とくい》の作品《さくひん》、所謂《いわゆる》霊界《れいかい》通信《つうしん》なのであります。現在《げんざい》欧米《おうべい》の出版界《しゅっぱんかい》には、斯《こ》う言《い》った作品《さくひん》が無数《むすう》に現《あら》われて居《お》りますが、本邦《ほんぽう》では、翻訳書《ほんやくしょ》以外《いがい》にはあまり類例《るいれい》がありません。</p>
<p>　Ｔ女《じょ》に斯《こ》うした能力《のうりょく》が初《はじ》めて起《おこ》ったのは、実《じつ》に大正《たいしょう》五年《ねん》の春《はる》の事《こと》で、数《かぞ》えて見《み》ればモー二十年《ねん》の昔《むかし》になります。最初《さいしょ》彼女《かのじょ》に起《おこ》った現象《げんしょう》は主《しゅ》として霊視《れいし》で、それは殆《ほと》んど申分《もうしぶん》なきまでに的確《てきかく》明瞭《めいりょう》、よく顕幽《けんゆう》を突破《とっぱ》し、又《また》遠近《えんきん》を突破《とっぱ》しました。越《こ》えて昭和《しょうわ》四年《ねん》の春《はる》に至《いた》り、彼女《かのじょ》は或《あ》る一《ひと》つの動機《どうき》から霊視《れいし》の他《ほか》に更《さら》に霊言《れいげん》現象《げんしょう》を起《おこ》すことになり、本人《ほんにん》とは異《ちが》った他《た》の人格《じんかく》がその口頭《こうとう》機関《きかん》を占領《せんりょう》して自由《じゆう》自在《じざい》に言語《げんご》を発《はっ》するようになりました。『これで漸《ようや》くトーキーができ上《あ》がった……』私達《わたくしたち》はそんな事《こと》を言《い》って歓《よろこ》んだものであります。『小櫻姫《こざくらひめ》の通信《つうしん》』はそれから以後《いご》の産物《さんぶつ》であります。</p>
<p>　それにしても右《みぎ》の所謂《いわゆる》『小櫻姫《こざくらひめ》』とは何人《なんびと》か？　本文《ほんぶん》をお読《よ》みになれば判《わか》る通《とほ》り、この女性《じょせい》こそは相州《そうしゅう》三浦《みうら》新井城主《あらいじょうしゅ》の嫡男《ちゃくなん》荒次郎《あらじらう》義光《よしみつ》の奥方《おくがた》として相当《そうとう》世《よ》に知《し》られている人《ひと》なのであります。その頃《ころ》三浦《みうら》一族《ぞく》は小田原《おだわら》の北條氏《はうじょうし》と確執《かくしつ》をつづけていましたが、武運《ぶうん》拙《つたな》く、籠城《ろうじょう》三年《ねん》の後《のち》、荒次郎《あらじらう》をはじめ一族《ぞく》の殆《ほと》んど全部《ぜんぶ》が城《しろ》を枕《まくら》に打死《うちじに》を遂《と》げたことはあまりにも名高《なだか》き史的《してき》事蹟《じせき》であります。その際《さい》小櫻姫《こざくらひめ》がいかなる行動《こうどう》に出《で》たかは、歴史《れきし》や口碑《こうひ》の上《うえ》ではあまり明《あきら》らかでないが、彼女《かのじょ》自身《じしん》の通信《つうしん》によれば、落城後《らくじょうご》間《ま》もなく病《やまい》にかかり、油壷《あぶらつぼ》の南岸《なんがん》、浜磯《はまいそ》の仮寓《かぐう》でさびしく帰幽《きゆう》したらしいのであります。それかあらぬか、同地《どうち》の神明社《しんめいしゃ》内《ない》には現《げん》に小桜神社《こざくらじんじゃ》(通称《つうしょう》若宮様《わかみやさま》）という小社《しょうしゃ》が遺《のこ》って居《お》り、今尚《いまな》お里人《りじん》の尊崇《そんすう》の標的《まと》になって居《お》ります。</p>
<p>　次《つぎ》に当然《とうぜん》問題《もんだい》になるのは小櫻姫《こざくらひめ》とＴ女《じょ》との関係《かんけい》でありますが、小櫻姫《こざくらひめ》の告《つ》ぐる所《ところ》によれば彼女《かのじょ》はＴ女《じょ》の守護霊《しゅごれい》、言《い》わばその霊的《れいてき》指導者《しどうしゃ》で、両者《りょうしゃ》の間柄《あいだがら》は切《き》っても切《き》れぬ、堅《かた》き因縁《いんねん》の羈絆《きずな》で縛《しば》られているというのであります。それに就《つ》きては本邦《ほんぽう》並《ならび》に欧米《おうべい》の名《な》ある霊媒《れいばい》によりて調査《ちょうさ》をすすめた結果《けっか》、ドーも事実《じじつ》として之《これ》を肯定《こうてい》しなければならないようであります。</p>
<p>　尚《な》お面白《おもしろ》いのは、Ｔ女《じょ》の父《ちち》が、海軍《かいぐん》将校《しょうこう》であった為《た》めに、はしなくも彼女《かのじょ》の出生地《しゅっしょうち》がその守護霊《しゅごれい》と関係《かんけい》深《ふか》き三浦《みうら》半島《はんとう》の一角《かく》、横須賀《よこすか》であったことであります。更《さら》に彼女《かのじょ》はその生涯《しょうがい》の最《もっと》も重要《じゅうよう》なる時期《じき》、十七歳《さい》から三十三歳《さい》までを三浦《みうら》半島《はんとう》で暮《く》らし、四百年前《ねんぜん》彼女《かのじょ》の守護霊《しゅごれい》が親《したし》める山河《さんが》に自分《じぶん》も親《した》しんだのでありました。これは単《たん》なる偶然《ぐうぜん》か、それとも幽冥《ゆうめい》の世界《せかい》からのとりなしか、神《かみ》ならぬ身《み》には容易《ようい》に判断《はんだん》し得《う》る限《かぎ》りではありません。</p>
<p>　最後《さいご》に一言《ごん》して置《お》きたいのは筆録《ひつろく》の責任者《せきにんしゃ》としての私《わたくし》の態度《たいど》であります。小櫻姫《こざくらひめ》の通信《つうしん》は昭和《しょうわ》四年《ねん》春《はる》から現在《げんざい》に至《いた》るまで足掛《あしかけ》八年《ねん》に跨《また》がりて現《あら》われ、その分量《ぶんりょう》は相当《そうとう》沢山《たくさん》で、すでに数冊《すうさつ》のノートを埋《うず》めて居《お》ります。又《また》その内容《ないよう》も古今《ここん》に亘《わた》り、顕幽《けんゆう》に跨《またが》り、又或《またあ》る部分《ぶぶん》は一般的《ぱんてき》、又或《またあ》る部分《ぶぶん》は個人的《こじんてき》と言《い》った具合《ぐあい》に、随分《ずいぶん》まちまちに入《い》り乱《みだ》れて居《お》ります。従《したが》ってその全部《ぜんぶ》を公開《こうかい》することは到底《とうてい》不可能《ふかのう》で、私《わたくし》としては、ただその中《なか》から、心霊的《しんれいてき》に観《み》て参考《さんこう》になりそうな個所《かしょ》だけを、成《な》るべく秩序《ちつじょ》を立《た》てて拾《ひろ》い出《だ》して見《み》たに過《す》ぎません。で、材料《ざいりょう》の取捨《しゅしゃ》選択《せんたく》の責《せめ》は当然《とうぜん》私《わたくし》が引受《ひきう》けなければなりませんが、しかし通信《つうしん》の内容《ないよう》は全然《ぜんぜん》原文《げんぶん》のままで、私意《しい》を加《くわ》えて歪曲《わいきょく》せしめたような個所《かしょ》はただの一箇所《かしょ》もありません。その点《てん》は特《とく》に御留意《ごりゅうい》を願《ねが》いたいと存《ぞん》じます。</p>
<p style="TEXT-ALIGN: right">　(十一、十、五)</p>
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