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第十講 自動書記現象の検討

 八 自動書記の内面装置

霊魂は霊媒の頭脳から思想を借りはせぬ。ただ自己の思想を発表するに必要なる材料を借りる。――霊魂は霊媒の内面的頭脳を占領し、これにその思想を伝達す。

 以上私はきる丈自動書記霊媒の紹介に努めて見ましたが、さて振り返って見るとふるい所にも又新らしい所にも、まだまだ沢山取り残されてるのを発見します。しかしその紹介は別の機会に譲ることにして、これからこの現象の理論的方面を簡単に申上げることにしましょう。

 形式はただ一の自動書記でも、その内面に働く要素として三種類を挙げ得ることはすでに第一節で述べました。即ち本人の潜在意識、他人の意識、並に霊界居住者の意識であります。此等これらがいつも個々別々に働いてくれればはなはだ結構ですが、実際は相関連して働く場合が多いのでひどく研究者を弱らせます。ある外来霊魂がかかって来て自動書記をると申しましても、それは通例霊媒の手と関係ある脳の一部を占領する丈の事で、決して全身を占領するのではないのです。換言すれば当人の潜在意識と外来意識とがグルになりて行る共同作業なのであります。潜在意識というものの特徴は非常に他の暗示に左右され易い事で、生者でも死者でも容易に外部からこれを動かし得ることは幾多の実例がこれを証明します。現に催眠術などにおいてしばしば術者の意思がこれを勝手気侭に動かしてるのであります。で、一の自動書記に対するものは特にその文体書体並に其証拠物件件としての内容価値等に細心の注意を払う事が肝要であります。それ等が三つとも揃ってれば某々の霊魂からの通信であると見做みなしてもず大過ないでしょうが、しからざるにおいては大に警戒を要します。前年メルボルン市のヒュー・ジ・ユール・ブラウン氏の長女某は、たった十一歳の時に支那人の霊と名告なのるものがかかって来て、さかんに漢文を書いて支那人を驚かしたことがありますが、んなのになると到底交霊説を持ち出さずには充分の説明ができません。岡崎万灯山の霊媒内田專亮氏なども、自身はよくよくの無学者でありながら、る学者の霊魂がかかって来て、私の前でサンスクリットだの、朝鮮の諺文げんもんだのを自由に書きました。仔細にその状況を視察してりますと、ドーしても手が筆を使うのでなく、筆の方で手を引摺るように見受けられます。うした場合には霊媒の人格はほとんど背後に引っ込み、大部分かかって来た霊魂の意識で働いてるものと推定されます。数ある自動書記の中には随分奇抜なのがあります。あるものは字体がいかにも微細で虫眼鏡なしには到底読み得ない。あるものは文字が裏返しに書かれ、鏡に映した時に初めて読める。あるものは文字がアベコベに綴られ、末尾から読んで見て初めて意味が通ずる。あるものは上下顛倒して書かれ、反対側に坐ってる者でなければ読み得ない。その他にも不思議な技工を施した自動書記がちょいちょいあります。そんな真似をする主なる理由は、霊魂の方で霊媒自身の意識の闖入ちんにゅうを防止せんとする苦肉の計に外ならぬものと認められます。

 アラン・カルデックは多くの自動書記現象の研究から獲たる材料を根拠として、はなはだ要領を得たる結論を下してりますから、その要所を左に採録します。

霊魂は決して霊媒の頭脳からその思想を借りはしないがただ自己の思想を表現するに必要なる材料を霊媒から借りることは事実である。従って霊媒の提供する材料が豊富であればあるほど通信が容易である。し霊魂が霊媒の知らない国語を使用しようと思えば、その際利用し得るものはエー・ビー・シーだけであるから、丁度書取でもするように一字一字綴り方をさせなければならない。し又霊媒が一丁字も知らぬ無学者である場合には、利用すべき文字さえもないのであるから、その際には就学児童に手習をさせるような具合に霊媒の手全体を使役する必要が起る。これは実に至難の業であるが、しかし不可能ではない。無学者が自動書記を行った実例は世の中に沢山ある。但し言うまでもなくそうした通信は通例不完全でしっくり霊魂の思う壷にはまらない……。』(『霊媒の栞ブックオブミデアム』より)

 最後にウィングフィールド嬢の自動書記の産物中に、自動書記の原理にきての優れた解説がありますから、参考のめに私はその要点を紹介したいと思います。いささか豆を煮るにまめがらを用ゆるような筆法ですが、霊界の問題は霊界の居住者に聴いた方が確かなようです。

(霊界通信につきて)――死者と通信する者は何より先に当面の視聴から絶縁し、情的に先方と結びつかねばならぬ。それで初めて彼岸への橋がかかる。霊魂の存在を確かめるめにいたずらに目に見えるしるしや不思議を求めることは禁物である。肉体を失った者は霊であるから、それと交通するにはなんじの霊をもってせねばならぬ。なんじの体をもって霊と交通せんとすることは無理である。死して霊界に赴いた者はる程度まで爾等なんじらの行動感情を知ってる。が、地上に住んでた時のようには行かない。顕幽の交通はただ『思念』をもって成立する。爾等が先方を思念して居る時のみ先方でも爾等の上に注意を払ってくれる。忘れてしまえば連絡は全然杜絶とだえる。

 しも死して霊界に赴いた者が、地上に残した人達の事ばかり考えてた日には、到底それでは向上進展の途がない。霊界の居住者にはそれぞれの仕事がある。爾等なんじらは彼等を地上に引き戻すことはできない。爾等なんじらはしばらく自分自身を地上生活から絶縁することによりてのみ先方との交通ができる。そうすることは決して先方の精神的向上を妨ぐることにはならない。けないのは、泣いたり悔んだり、死者をモ一度地上に引き戻したいと思うようなことである。そんな真似をすれば自他共に多大の損害を受ける。

 世の中には所謂いわゆる物理的心霊現象に堪能な霊媒もあるが、そんな現象を起すのは決して死者の霊魂自身ではなく霊媒自身の第二自我が体外に脱出し死者の霊魂の依嘱を受けてそれを製出するまでである……。

 爾等なんじらは自動書記現象に接した時に、爾等なんじらの手が外来の力によりて物質的に指導さるるのであると考えたがるようであるが、実はそれは事実でない。肝要なのは手に作用する物質的の力でなく脳に作用する精神的の力である。いかに自由自在な手でもこれを物質よりも稀薄な力で動かすことはできぬ。同時にこの際霊媒の意識的頭脳を使用し得ないことも明瞭であろう。すでに手も意識も二つとも役に立たぬ上は霊界居住者は他に方法を講ぜねばならぬ。

 ここで是非とも無くてはならないものは、一種変態の頭脳である。つまり空虚な電線の存在である。それには能動的の思想があってはならぬが、同時に受動的の思想がなければならぬ。まるきり死んでては反射作用が起らない。いよいよわれわれ霊界の居住者が自動書記に着手しようと思えばわれわれは内面的に頭脳を占領して人知れずこれにわれわれの言葉を伝達するすると右の頭脳は自力を以て運動を手に伝える。われわれは言わば頭脳技術者ともいうべきものであるから、の点に力を加え、何を抑えて置き、何を印象せしめるべきか等をすっかり心得てる。長い間の熟練の結果仕事はさまで困難でもないが、単なる意味だけの伝達でなく、其所そこに特殊の個性を生かして行かねばならぬのであるから、輪廓りんかくの鮮明な通信を作ることはいつも非常に骨が折れる。うっかりすると子供の手習じみた、はなはだ混雑したものが出来あがる。(『他界からの指導』から)


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