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第十講 自動書記現象の検討

 五 ヨハネスの霊界通信

哲学問題、死後の生活、自殺、殺人、睡眠、その他の重要問題につきての霊示。――就中なかんずく珍中の珍はヨハネスのオスカア・ワイルド観。

問 私はあなたの哲学に対して非常に興味をつものですが、その御意見を拝聴する前に少々あなたの生前の経歴を伺われますまいか。

答 私の生前の経歴とな? それには余ほど想像を遠き昔に引きもどして聴いて貰わねばならぬ。私は元来猶太ユダヤ人でジュディアに生れたものじゃ。私は自国の宗教を理解する必要から、しきりに埃及エジプトの学問を研究したものであるが、やがて深い疑惑に見舞はれることになった。埃及エジプト人の宗教が空疎である如く、猶太ユダヤの宗教もまた空疎であることを発見し、一時思索に対する一切の興味を失うことになったのじゃ。し私がキリストの時代に生れてたら、恐らくその徒弟の一人となったかも知れぬ。キリストには努力があった、進歩があった。しかるに猶太ユダヤの古代宗教はひたすら一切の思想、一切の発達を阻止することのみつとめた。当時の猶太ユダヤでは私のような学究を一の賢者と考えてた。私は国内のあらゆる寺院に赴き、あらゆる事物を学習した。しかしながらそうした結果は、私をして結局宗教の愚を悟らせるにとどまった……。

問 地上生活では死と共に肉体の崩解ほうかいが始まります。りに霊魂が他界に残存するものとして、その霊魂には更に第二の死がありますか?

答 霊魂に第二の死があるかという質問なのじゃな……。よろしい判り易く説明してつかわそう。元来生れる時に汝等は三つの部分から成立してる。一つの部分は汝等の肉体である。この肉体というものは人格の重要部を保護するめに外面を包被してる一の衣服に過ぎない。第二の部分は汝等の所謂魂と称するものであるソールといい、マインドといい、つまり同一物であって、全然理智リースンによりて支配される。従ってその働きはある程度に限られてる。汝等が死に際して、汝等の鈍重な肉の衣服を放棄してわれ等の世界に入る時に、汝等の第二の衣服となるものはつまりこの魂なのである。汝等が魂の衣服を纒うてる期間は長い地上の生活よりは遙かに長い……。その間に一つの境涯スフィヤから他の境涯スフィヤに移り、又一のプレーンから他のプレーンに移りて多くの経験を積む事になる。右の境涯というのはつまり汝等の所謂いわゆる場所であると思えばよい。又界というのは、つまり智的等差でつけられる区別なのじゃ。くて学ぶにつれて一境涯から他境涯に移り、やがてる程度に達した時に私達の置かるる境涯にまで達する。私達の境涯では過ぎ来し方が一眸の下に展開する。その以前には個々の境遇が隔離されてて断片的の記憶しか許されないのである。が、私の居住する境涯においてもまだまだ魂の衣服を纒うてる。ここを通過した暁に初めて汝の所謂いわゆる第二の死が来るのじゃ。その時はつまり一切の経験が完備し切った時で、きれいに魂の衣服を擲げ棄てると爰に初めて霊のみの境地が来る。霊の境地に働くものはただ直覚のみである。その時の安息と平和とは到底想像の限りでない。

問 よく判りました。ところで私としては、あらゆる種類の生命奪取――つまり虐殺死刑殺人等につきての御意見を伺いたいのですが……。

答 これはなかなかの大問題じゃ。私はこれにきてその正邪を論じたくない。私はただその利害得失を論じたいのである。一体人間が時節の来ないのにみだりに生命の綱を断つということは要するに大の責任を自己に負うもので、天下にこれほど愚かなることはない。私は切言するが、およそ死後の世界において自殺ほど重き刑罰に値するものはない。自殺は自分で自分の肉を喰うにひとしいつまり自殺は魂に対する肉体の叛逆である。魂はこれがめに長期の闇黒に服せねばならぬ。汝等は他殺行為をもって自殺以上の罪悪と思うであろうが、それはかならずしもそうでない。他人の生命を奪うことは愚かではあるが、しかし自分で自分の生命を奪うことは一層愚である。他殺は体が体に対する復讐であるが、自殺は体が魂に対する復讐である。しそれ一般的の殺戮、つまり戦争による殺人行為に至りては、個々の殺人行為よりは一層るい。又内乱が外戦以上愚かなるは、自殺が他殺以上に愚かであるのとよく類似してる。無論われ等の住む死後の世界においても闘争がないではない。が、これは滅ぼし得る闘争でなく、ただきずつける丈の闘争である。霊と魂との結合は遥かに強固で、他力でこれを引離すことは到底できない。引離し得るのはただ汝等のつ肉体のみである……。

問 人間の霊魂が睡眠中に霊界に赴き、生前親しかった人々の霊魂と交通するというのは事実でありますか?

答 それは事実じゃが、汝等が考えてる通りではないかも知れぬ。熟睡中人間が霊界へ来て、生前親しかった人達と交通することは決して稀ではないが、しかし右の会合の場所がわれわれ帰幽者の住む境涯だと思ってはならぬ。其所そこは言わば一の中間地帯で、生者に取りても死者に取りても永住はできぬ所じゃ。又交通とか会合とか言っても、それは地上のそれとはすこぶる趣を異にする。汝等もねてきき及んでるであろうが、こちらには所謂いわゆるあの天使……つまりさまざまの守護に当らるる尊い方々がられる。それ等が霊界の経綸に任ずるので、生者と死者との交通に於ても皆そのお世話に預かり言わば通訳の労まで取って貰うのじゃ。睡眠中の交通は覚醒時のそれよりははるかに明瞭で真実味が多い。そして当人は後で非常に気分がすぐれるが、汝等の考えるような実際的会合ではない。心と心との交通であるのじゃ……。

問 霊界の生活状態につき少しお話を伺われますまいか? 例えばあなた方の姿、衣服、学問、用語、等につきて。

答 よろしい、少し説明するからよく注意してきいて貰いたい。ず第一に境涯と界との説明をする。前にも述べたとおり、この境涯というのはそれぞれの地域である。これに反して、界というのは言わば精神的状態の区別である。かるが故に、それぞれの境涯にはいくつかの界がある。その点はつまり汝等の地上生活と大差はない。地上生活も幾つかの界に分れる。泥酔漢と哲学者とは同一地上に住みながらそれぞれ異なった界に住んでるのじゃ。さて右の境涯であるが、これは発達の状態を示したもので、向上すればするほど高き境涯に移る。しも汝等が地上から一足飛びに最高の境涯に移されたらそれこそ大変である。感触が鋭利にすぎて到底その衝動に堪えられない。止むを得ず、汝自身の心的状態に適当した境涯から昇り始めるのである。すべて人間が地上生活を棄てて霊界に入ると、その感覚が非常に強められるので、一歩一歩に新環境に慣れるようにせねばならぬ。ず視力についてのべると、地上で夢想だもせぬ位、色彩に対する感じが発生する。又光と闇とのけじめも極端に強い。聴覚も同様である。従って音楽というものがまるで別な感じを与えることになり、音の種類が非常に殖え、物の生長する音までも、耳をすませば自然に聴えるほどじゃ。触覚とてもまた同様、指端の単なる接触によりて相手の思想が判る。うした感覚の強まりは、最初は気味がるいが、やがて慣れるに従って言うに言われぬ快よき陶酔の種となって来る。兎に角すべての状況が非常に異なるので説明は容易でない。それから言葉じゃが、こちらでは言葉は、ただ一っしかない。が、そう言ったのみではたしてその真相が判るかうかは疑問である。つまり霊界では思想がそのままに言葉なのである。それから衣服風采につきての質問じゃが、霊魂には霊魂の姿がある。愚かなるものどもは霊魂は一の流動体で姿はないなどと言うが、決して左様のものではない。霊魂の姿は地上生活中に形づくられそのままで霊界に入って来る。衣服も見たところ少しも地上の衣服に異ならない。ただしそれは地上のように市場で売買さるるものではなく、主として個々の思想によりて造り上げらるるもので、幾分その人の心の表現となる。ぎに家屋について一言するが、これを説明することも容易でない。われわれは地上の人間よりも遙かに共同的な生活を営み、われわれの家屋の多くは広い大きな場所で、同一の精神をつものが相扶あいたすけ合って住んでいる。他をたすけるということは、もちろん他面においては他からたすけらるることを意味するのである。個々の生命はいうまでもなく大なる生命の一部分である。人間は元来ホンの少量の生命素を分与された一細胞に過ぎない。それが最初地上に置かれ、やがてより強くより生気ある幾つかの世界を通過して自己完成の仕事をつづける。最初鈍重なものが次第次第に霊化して直覚的になる。われわれの仕事というのはつまりそうした修行の連続に外ならない。人間は文筆で立つもの、画筆を振うもの、音楽を修むるもの、その他天分に応じていろいろの仕事をするが、その窮極きゅうきょくの目的は要するにただ一つで、自己に賦与ふよせられたる霊分の完成を行うのである。

問 霊界交通法としてはどんなのが一番優れてりますか? つまり物理的心霊現象式のものがよいか、それとも現在われわれがりつつある純神通式のものがよいか、腹蔵なき所を教えて戴きたい。

答 イヤ私としてはいずれの交通法にも興味をってる。何となれば一方がなければ他方も無用の長物であるから……。この問題に関してはわれわれとても汝等地上の人間と同様に熱心に討究を続けつつある。この際世人を導くめには汝等の所謂いわゆるエクトプラズムの用法を完成することもはなはだ必要であると思う。すべて物は視覚に訴えることが一番早道である。今後数年を経る内には、その方面の仕事が大に発達するであろう。人間の方でわれわれの唱える哲学的議論に傾聴するものが極めてすくないから、エクトプラズム式の物質化現象でも持ち出すより外に途がないからじゃ。一体幽明交通に必要なものは霊媒であるが、悲い哉その優秀なものははなはだ少ない。思想の混雑――これが一番困る。この混雑は所謂いわゆる守護霊の助力を借りることによりて、ますます増大するのは是非もなき次第である。守護霊は言わば顕幽両界間の橋梁である。従って双方の影響を受け、所謂霊界通信と称するものは往々にして霊界居住者と霊媒自身の観念との混合物であることが多い。霊媒にとりて全部彼自身の観念を除去することは到底不可能で、いかに気をつけても多少は無意識の間にそれが闖入ちんにゅうして来る。われわれはいかにしてこの困難に打勝つべきかを目下研究中である。所謂いわゆる霊界通信の一半が霊媒自身の思想に過ぎないとありては、どれ丈われわれ霊界居住者の労力を阻害することになるか知れない……。

問 霊界交通は太古から存在してたと思いますが今日はいくらか昔よりも進歩してりますか?

答 霊界交通はむろん太古から存在してたが、古代においては常に恐怖の観念が伴うことになってた。これは必要から生れたもので、つまり彼等をして成るべく地上の実務に熱中させる方針であったのじゃさもないと余りに多く精神問題に心を奪われて農業とか牧畜と言った実用向きの仕事を等閑に附したがる……。が、現代においては人間は最早もはや全然農業や牧畜にのみ没頭する必要はなくなった。それ等よりも思想の方が一層重要視さるる事になった。今後はますますその傾向を辿るであろう。比較的近き将来に於て思想の作る波動の存在が科学的に証明さるることになる。そうなるとここに新たなる眼界がんかいが開けて来る。その時期は決して遠き未来ではない。今でもすでに思想を一の商品として取扱おうとする時代に到着してるであろうが……。人文の幼稚な時代にありては人間を導くのに口腹の慾をもってせねばならなかった。が、現在は最早もはやそうではない。兎に角思想が一の実在であることの科学的証明……これは実に人文史上の一大転換期である。従って幽明交通の途は今後ますます長足の進歩を遂げる

問 これは私一個のお尋ねですが、あなたのオスカア・ワイルド観を伺いたいと存じます。つまり生前死後のワイルドに関して忌憚きたんなき御批判を願いたいので……。

答 これは近頃会心の質問じゃ。私は彼にきて日頃一言したいと思ってた。何となればワイルドの魂に霊界通信を送らせることは私の賛成しかねる事柄であったから……。実をいうと私はワイルドを極度に擯斥ひんせきする。生前のワイルドに対してもその通りであったが、肉体を棄てた後のワイルドに対してもまた変りはない。イヤ彼は現在でも全然其肉体を棄て切れずに居る肉体の残滓が未だに彼の身にこびりついて居る。生前の彼は霊化すべきあらゆる便宜を与えられてた。が、彼は遺伝的にある程度不健全な性癖をってたので、とうとう社会的破滅を招いてしまった。社会的破滅は心得一つで却って彼の魂を救済すべきよすがともなったであろうに、彼にはそれがきなかった。まことに彼は不思議な精神の所有者であった。思想は溢るるばかり充ち充ちてりながら、それがことごとく自己滅亡の動因となった。彼は徹頭徹尾一種の利己主義のめにその性格を歪められ、すこしも健全なる魂の発達を遂げることができずに終った。彼は最後に与えられたる絶好の機会をも取り外し、いやしむべき口腹の奴隷となりてすっかり心身の消耗を招いてしまった。果せる哉彼の魂がこちらへ入った時は、それこそ真実に半ば以上死んでた。今でも彼の肉体は彼の醜き姿にこびりつき、彼がこの席に現われて地上に送る通信の中には、邪気紛々として鼻持ちがならないところがある。数ある帰幽者の中であれほどの無精者はめったにない。従って帰幽後にその置かれてる境涯ははなはだ活気のない陰惨なところである。しかも彼は奮励一番その境涯から脱出する勇気を起すでもなく、めそめそと自己の運命に対して泣言ばかり並べてる。当分現在の境遇にとどまるより外に致方いたしかたがあるまい。(『トワーズ・ザ・スタアース』より抄訳)


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