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第十講 自動書記現象の検討

 三 『スピリット、ティチングス』の一節

過去の啓示に満足し難き人士に対して上帝は常にあたらしきおしえを垂るることを惜まぬ。――立派な神の啓示もふるくなると人間の註釈や臆断でおおわれてしまう、

問 現代につきておしえを乞う。

答 神の命によりて今回吾等は真理を伝うべく懸命の努力をささげつつあるのである。しかし今も昔と同じく吾等の努力は雲霞の如き大敵から必死に阻止される。世界の歴史は要するに善と悪との葛藤の物語である。右の葛藤は時に最高潮に達する。現時は正にそれである。今や神の使徒の大軍は力を合せ心を一にして地上の人類を感化し、知識を拡めることに着手した。離叛者、者、日和見、ものずき……それ等のものどもに取りて正に恐るべき時代である……。

問 現代人は多くの悩みをって居ます。内面的葛藤、先入主せんにゅうしゅ、実証の不可能……。いかにしてわれわれは此等これらに打勝ち得ましょう?

答 多くの悩みとな! 吾等が過去において遭遇せる悩みに比ぶれば爾達の悩みなどは物の数でない。ああローマ帝政時代の末期に於ける人類の道義的頽廃……一切の精神的活動は淫慾、肉感、野卑、邪悪の空気の滲潤し切れる国土から全く影をひそめてしまったのである。そのひややかさは絶望のひややかさであった。その暗さは墓場の暗さであった。一つも肉、二つも肉、天界の守護霊達をして正視するに堪えざらしめた。一切の人類は道徳を嘲った。天帝を罵った。永世を笑った。彼等はただ食わんがめ、酔わんがめ、又溺れんがめに生きた。野獣の群と何のえらぶところなかった。しかしながら神ならびに神の使徒は最後にかかる百鬼夜行の人間界のくるわ清浄化にも成功したのである。

 神の恵みは常に人間の想像にあまるものがある。真理を求むる者に対して真理の宝庫は地上随所に設けられてある。地上には古経典の教ゆる所をもって満足し、更に進んで真理を求めんとする念慮のとぼしき者もすくなくない。吾等はそれ等に対して何等干渉の手は加えぬ。しかしながら同時に地上には過去のおしえもって満足するあたわず、ひたすら真理を渇求して止まぬものもまたすくなくない。上帝は常に求むる者の天分に応じておしえを垂れられる。見よ神の秘蔵の児は常に地の卑しき所より蹶起けっきして、その優れたる体験、その秀でたる悟りの福音を天下に伝えつつあるではないか! 真理のながれは最初はあくまで細きを常とする。が、幾条の細きながれはやがて相合して全地にみなぎり、現在汝等を悩ましつつある無智、不信、愚蒙ぐもう、罪悪の汚穢おわいを一掃してしまうのである。

問 あたらしき啓示と昔の啓示とに何等かの相違ありや?

答 啓示なるものはことごとく神から出る。新旧によりて何等相違の存する筈はない。ただ必要に応じて深浅の差を生ずるまでである。矛盾と見ゆるは神の言葉に存するにあらずして、これを受くる人間の心に存する。人間は常に神の言葉に手を染めずにはかぬ。自己の註釈をもっこれをつつみ、自己の臆断をもっこれを隠し、歳月の経過するにつれていつしか全然別個のものを造り上げる。啓示と称するものが、ややもすれば矛盾に富み、人間的臭味を放散するはこれがめである。かるが故に、今新たに天啓が現われるに当りては、るき基礎工事の上に人為的に築き上げられた、数々の加工物を除去せねばならぬ。破邪はじゃ顕正けんしょうとは常にくして提携する。

 すべて神の教ゆる真理は何人にも強いられることはない。人間は常に自己に具わる天賦の叡智を働かして真理と否とを判断せねばならぬ。真理が一時ほとんど全く影をひそめ、ただ特殊少数の人士によりてのみ擁護さるる時代の時として出現する所以ゆえんである。モーゼの時代がそうであった。イエスの時代がそうであった。ポーロの時代がそうであった。古今東西の先覚者の現われた時代はことごとくそうであった。神は常に変らぬ。神は常に与える。ただ押売りはせぬ。故に準備されたる者のみが天命を受ける。叡智なき者、資格なき者はこれに与からぬ。現在の爾が悩みも、要するに真偽正邪のふるい分けの必然的道程に外ならぬ。すべからく現代を超越して未来に希望を繋ぎ、決して勇気を失墜してはならぬ。

問 地上と交通する霊魂の性質を問う。

答 地上と交通往来する霊魂の多くは、地上に最も近き最下の三階級から来る。そは最も容易に人間界と交通感応し得るからである。吾等の如く高級のものにしてたまたま地上に降るは、人間界の霊媒と同じく、これに適せる特殊の天分を有する者に外ならぬ。無論吾等は人間界において自己と共鳴感応する、優秀なる敏感者を求めねばならぬ。不幸にして地上にはこの条件に協える敏感者のすくなきがめに、高き霊界と人間界との交通は往々にして杜絶とぜつし勝ちとなるを免れない。縦令たとえ杜絶とぜつせぬまでも時としてムラが出来又時として不純性を帯びる。爾等なんじらの想像するが如く、霊界通信の多くがかならずしもニセ物ではない。多くの場合において顕幽交通機関の不備がその主因を為すのである。これに関して他日改めて教ゆるところがあるであろう。

問 悪霊にきてのおしえを乞う。

答 所謂いわゆる悪霊と称する者は邪悪なる人物の霊魂に外ならぬ。霊魂はすべて生前そのままの性質を帯びて霊界生活に移る。その趣味、習慣、愛憎等すこしも変るところがない。変る所はただ肉体の有無如何に過ぎぬ。人格と霊性との切り離し得ざるは、あたかも織物とその繊維との切り離し得ぬと何の相違もない。繊維を離れて織物はない。就中なかんずく恐るべきは生前の習慣である。個性の主要部を構成するものは実にこの習慣である。霊性にして一且肉体の慾望に服従せんか、ついにその奴隷とならずんば止まぬ。彼等は帰幽後においてもひたすら酒色の巷にあこがれ、淫楽の満足を求める。そうした霊魂がつまり神の敵であり、同時に人類の敵である所の悪霊である。彼等は極悪無道の大邪悪霊を首領と仰ぎ、吾等の神聖なる任務を妨害すべく日夜肝胆を砕いてる、人間界の悪意の発動、忿怒の勃発等はことごとく裡面に於ける彼等の策動の結果であって、心の賤しき人間は皆彼等の捕虜となるを免れない。ただし霊界にはかの神学者の造り上げた、悪魔の如きものは何所にもらぬ。善の霊魂も悪の霊魂も皆すべてを司配しはいする宇宙大精神の指揮下に在る。(スピリット・ティチングス第一章より)


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