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第四講 心霊写真の検討

 五 心霊写真の複雑なる内容

到底一と筋縄で説明できない心霊写真。――心霊写真は立派に霊魂界の科学には相違いが未だ人間界の科学とは成り切れない。

 以上述べたところはまだ心霊写真に関するすべての場合を網羅してりません。一と口に心霊写真と云ってもその形式内容ははなはだ複雑で、ほとんど霊媒毎に多少の相違点が存在すると言って可い位で、たッた一つや二つの実例を捕えて軽々に結論を下すなどは飛んでもない心得違いであります。で、私はこれから補充のつもりで、以上述べたところと趣を異にしてる実例を紹介しつつ、今日判っている丈の理論を紹介するつもりであります。

 心霊写真で一ばん疑惑を招き易いのは、時として生者の姿が写真に現わるることで、現に一八七五年パリの心霊写真師ブウゲーなどは、その件をもって一ヶ年間投獄の憂目を見ましたが、これなどはまるきり無実の罪でありました。霊界の守護霊に取りて生者の写真を撮ったり、現存の絵画を模写したりすることは、死者の姿を撮るのと全く同一筆法で行くらしいことは幾多の実例が有力にこれを証明します。これを一概に詐術視するなどはたまたま心霊写真に関する知識の皆無なることを告白するに過ぎません。

 今日でも一般世人はドウもまだ心霊写真の真意義を理解して居ないようです。心霊写真が死者の霊魂によりて作製さるることは事実ですが、かならずしもそれは霊界に居住する霊魂の現在の状態を示すものだという意味ではありません。多くの場合に於て心霊写真は単に死者の生前の姿の絵画に過ぎないのです

 理解の居住者は自由自在にいかなる形像でも乾板の上に映出せしむることができます。人像でも花でも、獣でも、ただしは文字でも何でも構わないようです。例えば蘇国スコットランドの霊媒デュガイドが作った写真にサイプラスの女僧の姿が現われたことがありますが、後に至りてそれはドイツ画家の手に成れる『夜』と題せる作品の模写であることが判りました。その癖霊媒も列席者も撮影当時そんな絵画の存在などは夢にも知らないのでした。これに類似の事はブルスネルにもホープにも、又その他の霊媒にも沢山あります。

 生者の姿が写真に現われた実例は最近クルュー団にもあります。一九二四年(大正十三年)ロシアの某夫人がロンドンの心霊大学を訪れ、其所そこに出張してたクルュー団の手で写真を撮って貰いますと、夫人の郷里に残して置いた、当時十四歳になる愛児の姿がはっきり現われました。で、しや愛児は不在中に死んだのではないかと心配のあまり、夫人は電報で郷里に問い合わせて見ましたが、少しもそんな事はなく、愛児は無事息災で郷里に生きているという返電があり、大に歓んだということです。

 ロンドンのディーン夫人 Mrs. Deane. はずッと以前から心霊写真家として有名でありますが、この人のヤリ方は一風変ったところがあります。ロンドンの大戦紀念きねん碑前では毎年十一月十一日をもって二分間の黙祷を行うことにしてりますが、その際ディーン夫人が列席して写真を写しますとかならず多数の戦死者の顔が乾板に現われます。一九二四年には約五十許の顔が現われ、その中の一部ははッきり姓名がつきとめられたそうであります。この際夫人の背後に有力な守護霊が控えてて適宜の指図をしてるに相違ないと思わるることは、夫人の撮影法が頓と写真術の常規じょうきを逸してるのを見ても明瞭であります。光線の具合などは一切念頭に置かず、又露出の時間もただ気の向き加減で決める丈で、その時間は通例莫迦ばか莫迦ばかしく長く、時とすれば十五分から三十分にもわたり、その間夫人は椅子に腰掛け、レンズを閉ぢたい気分がして来るまで黙って待ってるのだそうであります。その癖製品を見れば、別に露出し過ぎた模様もなく、又幽霊の方で動いた模様も見えないというのが実に不思議で、う考えたって、守護霊の方で適当の時が来るまで化学放射線の影響を保護してるとしか解釈されないのであります。お見落してならないことは、現像に当りて幽霊の姿の方が通例早く現われることで、つまりそれは幽霊の方が長い間露出されたことを物語るのであります。又幽霊の姿丈陽画として現われる場合もあります。

 かの有名なブルスネル――この人は写真霊媒としては珍しく常に恍惚状態に入り、写真に写るべき霊魂の姿を目撃し、それと会話を試みるのであります。んな通弁つきの写真霊媒はその後めッたに現われないようです。

 ある種の心霊写真が時に全然レンズと無関係に出来上ることはクルュー団の記事中にも述べた通りであります。そのヤリ方は霊媒によりて多少相違しますが、普通は厳封した乾板の包みを数分間霊媒の掌中に置くのであります。すると包装中の第三枚目とか第五枚目とか、特殊の乾板にのみ心霊像が現われ、その他の乾板は無感光のままに残るのであります。此種このしゅの実験者はコリイ副監督、テーラア氏、グレンデインニング氏、バアロー氏、ジョンソン博士等多数に上り、霊媒ではフーパー、デュガイド、ウィリイ、ホープ其他そのほかこれに当りました。左にコリイ副監督 Archdeacon Colley.フーパーT. d'Aute Hooper.きて行いたる実験記事の一部を紹介します。――

(レンズ無しの心霊写真)――フーパー氏は室内に入るとすぐに恍惚に入った。すると守護霊が現れ霊媒の口を使っていろいろの私事をコリイ監督に告げた。次いでセガスキと称する他の霊魂がかかって来たが、これは心霊写真の指揮者である。彼は列席せる二人に向い、手で乾板を握れと命じたそこでその通り二人で乾板を握っていると非常な振動と熱とが感じられた。三四分の後セガスキがこれで終りと、宣告するとすべてが平静に帰した。それから右の乾板を直ちに暗室に持ち込んで現像して見ると、そのうち五枚には英語で書いた細字が現われ、他の一枚は全部ラティン語で埋められてた。右のラティン文は同席の何人にも翻訳ができなかった。通信はすこぶる長文のもので多大の研究を要する事柄を含んでり、特にコリイ監督に関する個人的用件が多かった。同監督はしばしばこの方法で霊界の指教に接した。筆蹟はいろいろで、あるものは極めて細かく、強力の虫眼鏡を用いねば到底読み得ない位で、いかなる版刻師の力にもあまった。通信文は時とすると、古代のギリシア語、ラティン語、ヘブルュー語、又はイタリー語、フランス語、アラビア語等で現われた。

 うしてレンズ無しで心霊写真が出来るかという裡面の消息は目下のところまだ充分判っていない。大陸の一部の実験家達は一の念射説を提出します。即ち吾々の思念が丁度光線のような具合に乾板のフィルムの上に作用する結果形像が現われるのだというのですが、それは多くの場合に当てはまりません。若しもそうならばどの乾板にも万遍なく感光する筈ですが、そうでないところを見れば、この説は、すくなくとも多くの場合に適用されないものと認めねばなりますまい。あるいは潜在意識説を高調して、人間の体内にはんな不思議な芸当をやる丈の力が宿っているのだと主張するものがあるか知れませんが、しかし写真師も又依頼者もただの一度も遇ったためしのない死者の心霊写真が時に出来るところから考うれば、物質化現象の場合に於けると同様に、潜在意識説には多大の無理ができるようです。そこまで押しすすめた日には潜在意識は終に万能の神と同一物になり結局つかまえどころのない事になって了います

 で、だんだん心霊写真に関する沢山の実例を調査して考察を重ぬることになりますと、何うしても人間以外の死者の霊魂を仮定せねばならぬことになるのでありますただし死者の霊魂がこの現象の背後に控えていることは判っても、その霊魂が裡面においていかなる方法手段を講じつつあるかは遺憾いかんながらよく判りません。普通はエクトプラズムを用いて形像を作製するのであろうと思考されますが、他に人間に知れざる何等かの方法で形像を投射するのかも知れません。それとも又一の『心霊的陽画』と言ったようなものを用いて形像を作るのか、ただしは又紫外線でも放射する一種特殊の心霊的器具、例えば鉛筆見たいなものを作って、直接に乾板に形像を描くのか、――そんなことはいくら推測をたくましくして見たところで際限のない話であります。要するに人間界に於けると同じく、異なる霊魂は異なる方法で心霊写真を作製するでありましょうから、たった一つだけにきめようとするのは恐らく無理な話かも知れません。

 最後に本講をおえるに当り心霊写真を実験しようとするものの一般的心得きて一言して置きたいと思います。

 ず肝要なるはけだし詐術防止の手段を講ずることでありましょう。不用意に未知の写真霊媒に頼んで、一つの心霊写真ができたからと云って歓ぶことはあまりに素人くさい話であります。何にも一部の小心なる懐疑論者の態度に学んで、他の人格を侮辱するような真似をするにも及びますまいが、しかし常識の指示する正当な警戒は必要であります。ず自分の携帯せる乾板に人知れず記号をつけ、自分の見て居ない所では何人にもこれに手を触れさせないようにするのが、第一の要件です。それから、成るべくならば自家用の暗箱及び取框とりわくを用いることにしたいものです。背景は黒ずんだものであれば充分でしょう。白っぽい背景には科学的薬品で仕掛けをされる虞があります。これ丈の注意を払って置けばいかに狡獪な不正霊媒でも心霊写真らしいものを作製する力はずありません。不正霊媒の慣用手段といえば、普通自分の仕掛してある乾板を用ゆるか、又は仕掛してある取框とりわくを用ゆるか、さもなければ依頼者の乾板を借りて化学光線にさらすか、大抵そんなところであるようです。

 ぎに心霊写真を実験するものに取りて何より肝要な点はあくまで根気よくこれを続けることです。たった一二度試みて、自分の切望する友人の姿が現われなかったと云って、直ちに実験を放棄するようなことではず十中八九充分の満足を得べき見込はありません。心霊写真の出来不出来は主として右の霊界に居住する友人の必要なる賛助をるや否やによりて決定するようです。すべての霊魂はかならずしも心霊写真作製に適している訳ではないらしく、あるものは冷淡、あるものは不器用、あるものは頑固であったりして、その結果なかなかうまく行かない場合があるようです。これを防止するには依頼者の方で、霊媒に秘密で、懐中に右の友人の写真を携帯する方法もあります。そうすれば霊界の技師はその写真を基礎として臨時に彼の肖像を作製してくれる事ができます。ある時『心霊写真協会』の会員ホッブス氏夫妻がクルューを訪れた時、ホッブス夫人は上衣の小箱に戦死した息子の写真を入れて置きました。例によりて最も厳正なやり方で写真を撮りますと、一枚の乾板に右の息子の肖像が現われましたが、よくよくしらべて見ると、それは小箱の内部の写真と逆に複写したものに過ぎませんでした。これでも一の立派な心霊写真に相違ありませんが、しかし息子の霊魂が其所そこに現われたという証拠には少しもなりません。これを要するに心霊写真の内容ははなはだ複雑隠微を極めます。霊魂界の科学には相違ないが充分にまだ人間界の科学となるところまでは進んで居りません。今後それがドウ進展するかは誠に興味ある問題であります。


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