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第四講 心霊写真の検討

 四 『クルュー団』の心霊写真(下)

写真師の詐術でなく、依頼者のペテンでなく、又観念の産物でもない。――死後個性の存続を最も雄弁に物語る貴重な実験。

『クルュー団』にきてはここに一歩をすすめ、特別に有力なる実例――即ち写真師の詐術でもなければ、又撮影依頼者のペテンでもなく、同時に断じて関係者一同の思想伝達の結果でもないと断定せねばならぬ実例を紹介することに致します。

 ホープ氏は一九一四年六月中、大戦のすぐ前に有志の人達から招かれてグラスゴー市に赴き、市内の某写真館の撮影現場で依頼者の撮影に応じました。その際同市知名の実業家ギアロウェー夫妻(アルジル街九十八番地)もホープ氏によりて写真を撮ってもらいましたが、その写真には生前そっくりな姿で死んだ娘の鮮明な肖像が現われました。その娘は生きている時にただの一度も写真を撮ったこともなければ又肖像画を描かしたこともない。これで写真師が詐術を用いたという疑は除かれる訳です。同時に又写真を写すに際して夫婦が思念してたのは彼等の死んだ息子のことであった。しかるに案に相違して、息子の姿は現われず、その代りに死んだ娘の姿が現われたのであるから、右の肖像が依頼者の潜在観念の産物でないことが明瞭となった訳であります。

 が、これよりも一層意味深長なるはグレンコンナア夫人の撮影に関して発展した事実であります。一九一七年五月中夫人の亡児が夢に現われて、お母さま是非クルューへ行ってください。私はお母さまの背後に立ち片手をあなたの左肩に掛けて居ます、と言ったのです。夫人はこれを正しい霊夢正しい霊界通信であると信じ、同年十月次男のステイヴン・テナントを連れてクルューに赴き、二人並んで写真を撮りました。その際彼女はホープ氏に夢の話などは一言もせなかったにも係らず、出来上った乾板を見ると、はたして一本の手首が彼女の左肩に掛けられてはっきりと写ってた。虫眼鏡で見ると、指、指節、手首の関節までがよく判る。

 それから少し経って、夫人はロンドンの名霊媒レオナルド夫人(霊言の名手で、正確なる霊界通信が無数に出てる)を訊ねると、死んだ息子が現われて、クルューで撮った写真の話をしました。その時意外にも息子は『私の鳥はいかがです?』と訊ねるのです。母親がそんなものは一向知らないと答えますと、息子は自分の手に鳥を掴んで写真に写っているというのです。そこで驚いてよくよく注意して写真を見ると、成程例の手首は一羽の鳥の脚をつかんでるのでした。以上の二重の事実はあきらかに右の写真師並に依頼者の詐術でないはもちろん、同時に又観念の産物でないことをも証明するものでなくて何でありましょう。

 因みにグレンコンナア夫人の息子というのは近衛歩兵第一連隊第四大隊所属の陸軍中尉で、一九一六年九月二十二日ソンムの激戦で戦歿したのでした。戦歿者の心霊写真は他にも沢山クルュー団の手で撮られ、その遺族にどんなに慰安を与えたか知れないそうで、ロンドンの心霊大学の名誉教授マッケンジィ氏などもその種のものを一枚ってります。氏の息はジルサレム附で戦死したのですが、一九一八年九月二十六日マッケンジィ氏がホープ氏に頼んで写真を写して貰いますと、顳 顬こめがみの所に銃瘡じゅうそうを受けている亡児の姿が現われました。当時ホープ氏は勿論マッケンジィ氏自身にも右の事実はまだ判って居なかったのだそうで、これなどもはなはだ雄弁に詐術説や思想伝達説を説破するものであると思考されます。

 最後にモ一つ、ウェストンの副牧師チャールズ・エル・トウィーデエル C. L. Tweedale. 氏の試みたるクルュー団実験記事の一部を紹介しましょう。トウィーデエル氏は因循いんじゅん固陋ころうなる牧師階級から蹶起けっきして、敢然として心霊問題の研究に従事し、『死後の生存』 Man's Survival Death. なる名著を著している人、ヴェール・オウエン氏などと共に永久に記憶さるべき人物であります。――

(トウィーデール師の実験記事)―― 一九一八年六月二十八日午前と午後に二回私はクルュー団によりて写真を撮って貰った。前約も何もなく自分の氏名も名告なのらなかった。自分自身がこの方面の研究者であるので(氏自身も心霊写真を撮っている)私は詐術に関する一切の方法を知り切ってる。私は此方こちらの条件で写真を撮りたい申込むと、先方では歓んでこれに応じた。私は四ッ切りの乾板一封を買い求め、開封せず携帯した。先方の暗箱はすッかり分解し、レンズも両方とも外して筒の内部までしらべた。背景もよく調査した。もっとも幽霊の姿というものは大概座者の前面に現われるものであるから、背景に仕掛をするという説は大して有力なものではない。取框とりわくは一枚毎に厳査し、自分自身でポケットの乾板をそれに填め、ホープ氏の手までも念入りにしらべた。万事簡単率直に行われた。

 使った乾板は全部で十二枚、最初の六枚を取框とりわくに入れる時ホープ氏は暗室に居合わしたが、ぎの六枚を入れる時には私一人であった。いずれの場合にもホープ氏は乾板に手を触れたり、又は手をかざしたりしない。

 私は自身取框とりわくを携えて撮影室に入り、焼点を合わしてから初めてそれをホープ氏に渡した。ホープ氏は取框とりわくを暗箱に収めて蓋を外し、ゴム球を押して十秒乃至十五秒間露出するのだが、その際ホープ氏とバックストン夫人とは写真機の左右に立ち、各々片手を暗箱の上にかざす。その距離は三四インチである。一つの取框とりわくの乾板全部を写しおえると、その取框とりわくは自分に渡される。そこで自分は暗室に入り、自分で現像と定着とをり、すッかり済むまで何人にも手を触れさせない。何の乾板にも私はきりでジェラティンの上に暗号を附けて置くからすりかえることはきない。私は一度使う毎にかならず、取框とりわく、暗箱、レンズ等を精査し、又ホープ氏が取框とりわくを手にしてる間は決して眼を離さなかったので、縦令たとえ不正手段を施そうとしても到底駄目だったに相違ない。かくして撮った十二枚の成績はぎの通りである。――

第一第二、私の姿と背景が写っている丈で、他に何物も現われていない。

第三。星雲状の白い雲が私の左肩の上に現われ、私の頬に達している。

第四。私の顔の前面ありありと白紗状のものが現われ、半ば私の容貌をボカしている。その他の個所は全然鮮明である。私の頭部が動いていないことは耳だの頬だのの輪郭がくッきりしているので明らかである。

第五。私の頭上左側に白い星雲の房見たいなものが現われて、それに顔らしいものが出来かかっている。

第六。私の頭上右側に前者と類似の星雲の房が現われている。

第七。第七の撮影にかかった時には、ホープ氏もバックストン夫人も、それまで一つも碌な姿が現われていないので大分失望心配の色を浮べて来た。私も前夜一睡もしなかったので余り善い恰好をしていなかった。そこで、バックストン夫人の二人の娘が補助的に私の背後に立つことになった。が、矢張り第七枚目に写ったものは、座っている私の背後に二人の娘が立っている丈で、異常なものは何も現われていない。

第八。背景に星雲状の二個の光球が現われ、空中に漂っているかの観がある。

第九。同じく二人の娘と座ったのであるが、私の頭の上部、二女の間の空所に鮮明なる男子の顔が現われ、背景からすくなくとも三フィート位離れているように見える。その顔は前年物故した私の叔父のジェームス・トウィーデエルの顔にそッくりである。

第十。この時から二人の娘は退き、私一人で座った。別に異常の何物も写っていない。

第十一。私の頭の左側に密着して白色の斑点が現われた。第九と同一の顔の睫毛と鼻の一部らしい。

第十二。私の右の頬の一部をさえぎりて白色の斑点が現われた。明らかに第九と同一の顔の鼻及び中央部らしい。

 以上述べたとおり、十二枚の乾板中四枚は無痕跡で、残る八枚に異常のものが現われてる。八枚中四枚はホープ氏が暗室にる時に取框とりわくに収め、他の四枚は自分独りで収めたのであるが、一番成績のよいものは後者に属する。私は心霊現象が私の頭部と関係して表現することに気がつくや否や、わざと自分の位置を変えて見たが、それにも係らず光物や人物の顔は常に私の頭部に密着して現われ、明らかに私の位置の変動に随伴することを示した。私は撮影に際し、数回は亡母の頭髪を手に握り、又他の数回は亡養父の時計を握り、意念を之に集注して、はたしてそれが『観念の絵画』であるや否やを試験したのであるが、しかし此等これらの人々が少しも乾板に現われなかったところを見れば、この際撮れた姿が私の意念の産物でないことを決定的に証明するものであると考えてよい。又私はこの際は勿論むろん他のいかなる場合にも、親戚其他そのほかの肖像などを携えぬことにしているから、写真師は到底撮影中にそれを模写する術がない。又ホープ氏は一人の少女が私の傍にるのを霊眼で目撃したと言ってたが、その姿が乾板に写らなかったところを見れば、彼が詐術を用いて叔父の姿を出現せしめたのでないことの推定が下せると思う。詐術説などはごうもこの場合に当てはまらない……。


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