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第四講 心霊写真の検討

 三 『クルュー団』の心霊写真(上)

創立以来二十余年、未だかつてボロを出さないクルュー団。――見事に現われたクルックス卿の未亡人の姿とクローフォード博士の霊界通信。

 現代英国において心霊写真の霊媒としてもっとも有名なのはけだし例の『クルュー団The Crewe Circle. であります。これはホープMr. Hope. 並にバックストン夫人 Mrs. Buxton. の共同事業で、共にクルューに居住してるところからこの名称で一般に通用してるのであります。この二人は各々単独に仕事をしても差支さしつかえないのですが、ただ両人協力する時に一層成績がよろしいというのでそうしてるに過ぎません。

 コナン・ドイル卿がクルュー団にきて延べているところを少しばかりここ抜萃ばっすいします。――

(ホープ氏の人物)――ウイリアム・ホープ氏は元は職工で、今から二十年前に不思議な能力、即ち彼に与えられた乾板の上に、非現実の人物又は物体を現出せしむる能力を偶然にも発見したのである。間もなく氏は故コリイ副監督の知遇を得、この人から初めて彼の手に成れる心霊写真の真価を承認さるるに至った。今日ホープが愛用しつつある、旧式の、脚の折れた写真機はコリイ氏が先年贈与したものである。

 ホープが心霊写真家として立ってから随分久しいもので、その間あらゆる専門家から徹底的試験を受けて立派にこれを切り抜けて来た。サー・ウイリアム・クルックスなども彼の実験者の一人である。むろん彼とてもまた他のすべての霊媒と同じくさかんに詐術呼ばわりを受けたものであるが、どの攻撃も尻切トンボに終り、これに反してその成績は次第次第に優良の度を増しつつある。もとよりいかなる霊媒とても常に絶対的の成功は期し難い。ホープとて五枚の中三枚が大丈夫というところであろう。ただしそれ等とても、出来栄はまちまちで、ある場合には辛うじて輪郭が判る程度であり、ある場合には正確緻密、幽霊の姿の方が実物の人間よりも却って活々いきいきしている位である。

 ホープが職業的霊媒であることは恐らく多少の疑惑を招き易い点かと思われる。詐術と職業とは時とすれば不幸にも合併してる。が、不正な霊媒は早晩発見されるもので、決して五年十年二十年と永続するものではない。お厳密に言えばホープは純粋の職業霊媒というべきものではない。私はこの人物ほど金銭に淡いものにただの一度も遭遇したことがない。彼は乾板一ダースにつき僅に四シリングペンスという破格に安い費用を請求する丈である。彼の門戸は富者に対すると同様に貧者に対しても開放されている……。

 何しろ開始以来二十年にもなり、その間連続的に仕事をしてて未だ曾てボロを出さないというのですから全く折紙つきの心霊写真家というべきで、従ってクルュー団に対する証明者は到底ここに挙げ切れないほど沢山あります。左に代表的なものの二三を挙ぐることにしましょう。

 英国科学界の重鎮、又心霊学界の柱石としてどなたも御存じの、例のサア・ウイリアム・クルックス――コナン・ドイルも延べているように、この人がホープ、バックストン両人の力量を試験して、ぎのような証明書を一九一七年(大正六年)十二月発行の『サイキック・ガゼット』誌に寄せてります。

(クルックス卿の証明)――私はクルューにおもむきて、例のクルュー団の手で自分の写真を撮って貰った。私の姿は大へんよく写り、そして同一乾板の上に、すぐ自分の側に、亡妻そっくりの姿が現われたのである。

 私はクルューに赴くに当り、わざわざロンドンから一封の乾板を懐中して行った。無論それは買い取ったままで開封してなかった。ホープ氏の住所に着いてから私は氏と共に暗室にはいって行った。氏はそうすることを喜んで承認したのである。それから私は自分で乾板の封を切り、その中から一枚を取り出して自分の姓名を附し、残りの十一枚は元の通り、包装紙に包んだ。右の一枚の乾板は矢張り自分の手で取框とりわくに収めてポケットに入れた。ついでホープ氏の撮影室に入り、私は一脚の椅子に坐を占めた。いよいよ準備が整ったときに私はポケットの取框とりわくを取り出して、ロンドンから同行した一人の婦人の手を借りてそれをホープ氏に渡した。ホープ氏はその取框とりわくを暗箱に入れ、その蓋を開けて私の写真を撮り、又それを閉ぢて暗箱から取り出し右の婦人の手を経て私に戻した。――ただそれ丈のことである。

 そこで私は取框とりわくを携えて再び暗室に入り、自分の手で現像した。私は相当経験がある写真家をもっみずから任じてるものである。ホープ氏は乾板の定着をおえるまで一切それに手を触れなかった。私は右の乾板を自宅へ持ち帰って、自分で焼きつけを行った。

 私はこれが申分のなき試験法であったと思う。私はたった一枚しか写真を撮らなかった。撮影に際して私の傍には何人の姿も見えなかった。ロンドンから同行の婦人の眼にも何物も映らなかった。写真に現われた姿は私の妻を知れる限りの者――家族親戚以外の人々までもが彼女の姿に相違ないと証言した。それは自宅にあるどの写真と異なっている。その表情は彼女が最後の病臥中のそれに酷似している。

 心霊写真にきて何等知識もなく、又研究もしないものが漫然と唱える下らない懐疑説などは、クルックス卿の証言一つでケシ飛んでしまうものと考えられます。そんな真似をしてお茶を濁すべき時代はモウとううに過ぎ去りました。

 クルュー団の手で作らるる心霊写真は必ずしも人像ばかりでなく、又必ずしも写真機を使用する必要もなく、直接乾板の上に生前そっくりの筆蹟で死者の通信文などが現わるる場合もあります。故クローフォード博士(卓子浮揚現象の徹底的研究者)からの霊信などはその好適例であります。それは一九二二年(大正十一年)六月三十日、故クローフォード未亡人一行四人がクルューへ立寄った時に現われたものであります。いずれも皆熱心な心霊研究者ばかりですから詐術防止の手段は十二分に講ぜられ、乾板も一行が持参せる特殊の印号づきのものなのでした。その際写真に現われた文句は左記の通りでした。――

Dear Mr. Hope,

 Needless to say I am with you where psychic work is concerned, and you can be sure of my sympathy and help. I know all the difficulties and uncertainties connected with the subject. I am keenly interested in your circle and will co-operate with you. Regarding your enemies who would by hook or by crook dispose of the phenomena. leave them alone. I, W. J. Crawford of Belfarst, am here in Crewe on Friday, June 30th.

W. J. Crawford.

(親愛なるホープ様

 申上ぐるまでもなく、あなたが心霊上の仕事をされている所へは、私はきっと居合わせて同情と助力とをおしまぬものであります。心霊写真というものははなはだ困難で不確実性を帯びています。私はあなた方の団体に切実なる同情をささげ、歓んで共同作業をするつもりです。あなた方の敵はあらゆる手段を講じてこの現象を揉みつぶそうとしていますが、そんなものは相手になさらぬがよろしい。私――ベルフアスト市のダブリュー・ジェ・クローフォードは六月三十日金曜日にクルューに来合わせてります。

ダブリュー・ジェ・クローフォード)

 

 右の写真を見れば判りますが、一語一語はエクトプラズムのわくに囲まれてり、そしてその筆蹟はクローフォード生前のそのれとそっくりそのまま、寸分の相違を認めません。一体この文字は何所から出て来て写真に撮れたか? 其所そこに詐術説の侵入すべき余地のとぼしいことは勿論むろん、一部の心理学者の主唱する潜在意識説や思想伝達説も、これに対して余りもっともらしい説明とはなり得ないようであります。

 右とほぼ類似の現象が経験ある写真家として知られているファウルズ夫人、さては心霊学界の大立物の一人として知られているヘンスロー教授の場合にも起りました。前者にありては、ホープ氏の発議で彼女の持参せる包装中から第二枚目の乾板を任意で抽き出して現像して見ると、七十語以上の私的通信が現われてり、又後者の場合には大英博物館のガラス箱に収めてあるギリシアの稀観文書中の四行の複写が現われてたのでした。これなども在来のありふれた鼻元思案式の説明では到底首肯しゅこうし難き性質のものであります。


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