心霊図書館 > 「心霊講座」 > 第四講 心霊写真の検討

第四講 心霊写真の検討

 二 初期の写真霊媒

未亡人の背後に立ちて片手をその肩にかけた大統領リンカーン。――二十五年前の亡母の姿、三十五年前の少女の顔の斑点をはッきり現わした心霊写真。

 順序として心霊写真の元祖と言わるるマムラアの事蹟をモすこしくわしく述べて置きましょう。マムラアの撮った写真は非常に多数に上りますが、就中なかんずく大統領リンカーンの幽霊写真が有名です。その際リンカーン未亡人はわざとチンダル夫人という仮名を用い、面紗ヴェールですッかり顔の全部を隠してマムラアを訪問したので先方では無論その何人であるかを知らないのでした。が、いよいよ出来上がった写真をしらべて見ると、それはありありとリンカーンの幽霊が写ってた。マムラアは言った『奥さん、これが何誰だれだかお判りになりますか?』夫人は判っている旨を答えた。するとその席に居合わした他の一人の婦人が叫んだ。『アラ! それはリンカーン大統領ではありません!』リンカーン夫人がその時初めて告白した。『全くその通りです。実は私がリンカーンの寡婦でございます。』写真を見ると黒衣をつけたリンカーン未亡人の背後にリンカーンが立ってて、片手を未亡人の肩にかけすこぶる情味ゆたかなるものであります。

 この程度では学術上の証明として勿論むろん不完全でありますが、当時の有力なる写真専門家其他そのほかの証明を読んで見ると、ドウもマムラアという人は真正の写真霊媒であったようであります。例えば専門家のゲー氏は彼に就いてう保証してります。――

 マムラア氏から一切の自由調査を許されたので、私は一瞬間も眼を離さずに彼のするところを監視してたにも係らず、ガラスの上に私自身の姿の外に、モ一つの他の姿が現われたには驚いた。私は勿論むろんその前にすべての隅々すみずみ隈々くまぐまをしらべ、又暗箱、その他一切の附属品を調査して置いたのである。その後においても、私は引きつづいて研究を重ねたが、第一回の時よりも一層良好なる成績を収めたので、彼の心霊写真の純正なることを承認せぬ訳に行かなくなった。

 これは数ある証明中の一例に過ぎません。幾人かの人達は、自分の写真機、自分の薬品、自分の乾板、自分の撮影室等を用いてつ自分に関係ある死者の肖像をたのであります。

 英国において心霊写真の先頭であったのはけだハドソン Hudson. という人でありましょう。これにいではパーク、リイヴス、デュガイド、ブルスネル、ウィリイ、マアティン、ホープ、ディーン、モス、フーパァ等実に済々多士さいさいたしで、とても此等これらきて一々記述する余裕がありません。くわしいことはコーツ博士の『死者の写真』 Dr. Coates; Photographing the Invisible. でも参照して戴くより外ありませんが、ただ当時の心霊写真研究がどの程度まで進んでたかを示すべく、かの有名な生理学者アルフレッド・ラッセル・ウォレエス博士 Dr. A. R. Wallace. の『近代霊魂現象』中に書いてある一節を紹介しましょう。その時の霊媒は前記のハドソンであります。――

(亡母の写真)―― 一八七四年(明治七年)三月十四日私は約束に従ってハドソンの許に赴いた。私は予而かねてし幽霊写真が撮れるならそれは私の兄の写真ではないかと考えてた。かつて霊媒のガッピィ夫人を通じて右の旨が通信されたことがあるからである。が、この日ガッピィ夫人の許へ立寄って試みに交霊実験を行って訊いて見ると、写真には私の亡母が写る旨を敲音ラップで通信して来た。さて先方では私は写真を三枚ほど撮って貰ったが、毎回私は自分で自分の坐る位置を決めた。三枚の乾板にはのこらず自分以外の像が現われてた。第一のは男の姿で短剣をびていた。第二のは婦人の全身像で私のやや後ろに立ち、手に花束を持って私を瞰下みおろしていた。第三の写真を撮る時に、私は成るべく肖像が私のすぐ傍に現われるように註文した。いよいよ出来上ったのを見ると一人の婦人の姿が私の前面にごく接近して現われ、その衣服が私の体の下部を遮っていた。私は現像の実況を見てたが、現像液を注ぐとすぐに現われるのは幽霊の姿で、私の姿はそれから約二十秒の後に現われるのであった。原板を見ただけではそれが何人の姿であるかが判らなかったが、焼附やきつけ紙に写したところを一見した瞬間に第三枚目のは疑うべくもなく私の母の姿であることを知った。目鼻立も表情もそっくりそのままであった。さて最後の二枚の婦人像を私の妹に送ると、妹は第二の方が、第三のものよりも一層母に類似しているという意見であった。私には第二のものは余り似て居ないように思えたが、拡大鏡を当てて見ると、母の顔の著しい特色、即ち人並外れて突き出でた下唇と顎とがありありと現われているのに気がついた。この母の特色は余ほど以前に顕著であったので、晩年には口が少し歪んで来た。つまり二枚の幽霊写真はどちらも母に似てるのだが、ただ母の別々の時代を現わしているのである。

 モ一つブルスネル R, Boursnell, の心霊写真に関する実例を紹介することにしましょう。数ある写真霊媒の中でもこのブルスネルなどは特に傑出してて、有力なる沢山の証拠を学界に提供してるのであります。物質化現象の真摯なる研究者として皆様お馴染のムーア海軍中将――この人がブルスネルにきて二枚の心霊写真をります。一枚は中将のすぐ傍に祖母の姿が現われたもので祖母の生前の写真と比較対照すれば一見紛う方なき同一人物であることが判ります。他の一枚の写真には中将の姿に接近してアイオラの姿がはっきり現われてる。その容貌が当人の生前の姿にそっくりであるばかりでなく、彼女の下唇の右側から顎に向けて黒い斑点が出来ている。これは一見はなはだつまらないように見えるが、証拠物件としては大変有力なものなのであります。ブルスネルが写真を撮った時から数えて正に三十五年の昔、中将の縁者であるこのアイオラ嬢は丹毒で斃れたのだといいますが、その丹毒の初期は彼女の下唇の右側に小型の斑点が出来たのがはじまりで、即ち右の心霊写真に示された斑点と寸分の相違がないのだということです。写真を撮った時にブルスネルはムーア中将の何人なるかを知らず、いわんや三十余年前に中将の親戚の家庭に起った些末さまつ事などを到底知る筈はないのであります。ですからムーア中将はこの二枚の写真に対しては生前特に重きを置いてたようでありますが、誠にもっともな次第であります。


戻る

目 次

次へ


心霊図書館 管理人