第六感と精神統一法

(三) 心霊から観たる人間

『汝自身を知れ!』――ギリシアの先哲は全くうまいことを言ったものです。人間は何をやるにも自分というものが資本で、従って自分自身を知ることが先決問題であります。ことにこの精神統一法などと来た日には、自分をヌキにしてはまるきり何の手懸りもありません。

 在来の諸修法が何やら物足りないのも、畢竟ひっきょう昔の人間が内面的構成要素につきての知識を充分に持ち合わせていなかったことに基因してるようです。これにつけてもわれわれは近代の物質科学者並に心霊科学者達の努力に対して大に感謝してしかるべきで、今日人間そのものの真相がいくらか判って来たのも、すべて此等これらの人達の恩恵に外ならないのであります。この際最大の禁物は、われわれが強いて眼をつぶって赤裸々な科学的事実を無視することであります。むかしガリレオが地動説を提唱した時に、ローマ教の僧侶さん達は、そんなことはバイブルにかいてない。あれは悪魔の説だ、と言って、懲罰を加えようとしました。こんな真似は中世時代のワカラズ屋のみのする仕業かと思うと、必らずしもそうでもないから御用心が肝要です。私が今ここに述べんとするところも、私としてはただ科学的の事実を紹介するつもりですが、事によると御用学者や活神様の御意見とは必らずしも一致しないところがあるか知れませんから、何卒何卒活眼を開いて御批判を願います。先入主せんにゅうしゅに捕えられた色眼鏡が第一番の困りものです。

 イの一番に私はず最近の物理化学が

  物質をどう見ているか?

瞥見べっけんして見たいと存じます。御承知の通り物質科学は近年異常な発達を遂げまして、現在の物質観と三四十年前のそれとでは正に雲泥の相違でございます。八九十の元素がゴロゴロ存在し、それが天地間の最後の存在であるというのでは、どうにも始末が悪く、その必然の結果としてここに科学と宗教のあらそいが発生した次第であります。ところが幸いにもそれは一時の悪夢であって、今日となりては科学と宗教とは非常に仲よく提携ができそうなのであります。私は物質科学の専門家でないから単に結論だけ申上げますが、最新の学説からいえば、物質の構成要素は驚くべく簡単化してしまったようで、要点を摘むとんなことになりましょう。

 (一) 所謂いわゆる物質なるものの本質は、その窮極きゅうきょくおいて陰陽の電子である。

 (二) 陰陽の電子は、エーテルから成立する。

 (三) 電子の運動には一定の法則――心が内在する。

 う切りつめて見ると、最近の物質科学は、結局一切の現象の窮極きゅうきょくおいてたッた二つの要素『心』と『物』との相対不離の関係を認める訳で、これは正に東洋思想の粋、又は日本の神道精神と一致し、同時に又近代心霊科学が最後に到達した結論とも符合します。最近の物質科学がここまで進んでいるとも知らないで、今お唯心論を唱えたり、唯物論に引っかかったりして騒いでいるのははたして正気の沙汰でしょうか?

 兎に角右にのべた物質観から考えても、人体の内面には、よほど微妙なる機構が当然存在しているらしいことは推定できますが、更に心霊科学の方面から調査をすすめて見るとその点が一層明瞭となり、人類発生以来の千古の疑問が、初めて一つ一つ解決されて行くかの感があります。これからできるだけ簡潔に手掛りとなるべき有力な資科を御話しすることとしましょう。便宜のめに私はこれ推理的器械的心霊的の三種類に分類したいと考えます。

 推理的方面から申上げますと、第一に注意すべきは――

  細胞意識と人間意識とが別物であること

であります。人体を構成する、細胞意識ははなはだ微弱低級で、細胞同志で共喰ともぐいもしかねない。ところが、こんなつまらない細胞の集合体たる人体を通じて、時として途方もない大思想が生れたり、大発明が湧き出したりします。して見ると人間の物質的肉体の内面には何やら他のくしびなるある物――例えば魂と言ったようなものが宿っているのではあるまいか。

 第二に注意すべきは、

  人間の個性が肉体のように早く変らないこと

であります。生理学者に言わせると、人間の肉体は約七年で全然新規なものに変ってしまうということです。ところが、人間の個性、少くとも個性の中枢は一生涯変らない。たとえ変ってもはなはだ軽微で、三ッ児の魂百まで、の諺は決してわれわれを欺かない。して見ると人間の自我と肉体とはむしろ相互に独立した存在ではあるまいか。

 第三に注意すべきは

  肉体の活動と精神の活動とは必らずしも一致しないこと

であります。死に瀕した人が素晴らしい名言を吐いたり、肺病病みのヒョロヒョロが一代の傑作を出したりするばかりでなく、兎角優れた文学者や芸術家の中には、肉体的には極めて貧弱な人物が多いのであります。して見ると人間の肉体の中には、肉体と何やら別個の独立的存在があるのではなかろうか。

 まだまだ並べ立つれば、うした材料は沢山ありますが、推理をもって到達し得るところには限度があり、推理で最後の止めを刺すことはでき兼ねますので、今度は器械的方面からどこまで突きとめ得たかを述べることにしますと、第一に申上げねばならぬことは

  人体から三層のオーラが放射されて居ること

であります。オーラとは一種の放射体で、古代の埃及エジプト人、印度インド人等はこれを後光と呼んで居ました。が、それが学界の問題になったのはツイ近年のことで、英国の電気医キルナア博士が一種の染料を使用して『キルナア鏡』を作製するに及び、ほとんど例外なしに何人にも人体のオーラが目撃し得るようになりました。オーラは大体三層に分れ、内層は灰色がかった太い線状を呈し、中層は光輝性の霧で、巾は二、三インチ乃至五、六インチ、外層はそれから更に五六インチもはみ出しているが、末はどこまで達するかよく判らない。ここで面白いのはオーラの色と意念の動きとが大きな関係を有することで、例えばカンカンに怒った人のオーラは赤黒く、純愛に燃ゆる人のオーラは淡紅色を呈してるの類であります。同時に又オーラと疾病との関係もすこぶる密接で、キルナア博士はこれによりて専ら病気の診断をしたのであります。それから死体に全然オーラがないことも看過すべからざる点であります。

 オーラの性質内容はまだよく判りませんが、右の実験によりて人体の内部が案外複雑隠微であり、ただ肉体ばかりひねくったのみでは不充分だということを悟るには充分でありましょう。

 第二に注意を要するのは、

  死の瞬間に人間の体量が減ること

であります。この実験をしたのは和蘭オランダのマルタ博士、北米のマクドゥガル博士等ですが、その報告によれば一人の平均減量約二オンスであるとのことです。事実はただそれきりですが、事によるとこのたった二オンスの減量の中に人生最大の謎が潜んでいないとは誰が言い得ましょう。兎に角今後の重要なる研究題目の一つであります。

 第三に注意を要するのは、

  幽体(エーテル体)の姿が写真に撮れること

で、別々の方法を用いてこれに成功した研究者が二組ほどあります。

 甲は北米のウアッタース博士とカアリングトン博士の共同事業であります。約一フィート平方の真空式のガラス箱を造り、その一端に断首機を据えつけ、これで鼠、蛙等の小動物の首をチョン切る装置にしてある。ず麻痺させた動物(例えば蛙)を右の箱に入れ、空気を排出し、そしてそのなかに水蒸気を充たす。これはアルファ粒子が水蒸気のこもった室内を飛ぶ時に、その痕跡が写真に写るからであります。さていよいよ蛙の首を切断してから数秒内に写真を撮って、これを現像して見ると、全部とも行かないが、その中の何枚かにはすこぶる鮮明に蛙には蛙の幽体、鼠には鼠の幽体が写るのであります。

 乙は、同じ北米の有名なイオン研究所で『ウイルソン・エキスパンション・チェムバア』と称する装置でごく最近に行われたのであります。動物の肉体を構成する原子の数は極めて少数で、その大部分は空間から成立しているが、事によるとこの空間は単なる空間でなくそこに超物質的のある物――例えば内在原子体と言ったようなものが、原子と原子との隙間に存在しているかも知れない……大体そう言った見地から、ず五十疋の飛蝗バッタを捕えてエーテルで殺し、ぎと撮影したところ、五十枚の乾板中の十四枚丈に、飛蝗バッタの屍体の外に、その屍体から脱出した飛蝗バッタの幽体がはっきりと写ったのです。し一層正確に死の瞬間をつかむことさえできれば、五十枚全部に幽体が写ったのではあるまいかと想像されてります。

 以上のような純物理学的の実験成績に徴し見ても、動物の物質的肉体の内部には、超物質的のエーテル体が存在し、そして、死とは肉体とエーテル体との分離を意味するものであることがはなはだ有力に証明されるように思われます。

 最後に私は心霊的方面から実証されつつある所を申上げることにしますが、こいつは材科が多過ぎてまことにもって閉口です。うかうか喋っていた日にはこんな小冊子が何冊あっても足りないことになりましょう。仕方がないから、中でも最も代表的と思われるもの二三を拾い出して、しばらく我慢することにしましょう。ず第一に挙げたいのは、

  物質化した幽霊の姿が写真に写ること

であります。御承知の通り物質化現象というのは、死者が生前そっくりの姿に物質化してノソノソ実験室内に現われる心霊現象で、最近八十年間にそう言った実例はどんなに沢山あるか知れません。就中なかんずくかの理化学界の第一人者であり、又心霊学界の創業の偉材であったクルックス卿が、霊媒のクック嬢を用いてケーティ・キングと称する素的な美人の物質化現象につきて行った研究はまことに千古の偉観と言ってよいもので、同卿の手で撮影されたケティの写真数十葉は今斯界しかいの珍宝と称せられてります。外にもその種の写真は無数に存在し、つ年々殖える一方であります。んな事実にぶッつかると、何人も人間は死後においても生前そのままのエーテル体を保有してり、何等か適当の方法を講ずれば立派にそれが物質化して写真にも撮れるものであることを認めたくなります。

 これと関連して一層学術的に意義深いのは、幽霊のパラフィン手型並に幽霊の指紋であります。前者は出現した幽霊にたのんで、その手首をパラフィン溶液中に突込つっこませて作るものです。パラフィン膜は極めて薄いので、人間の手首からはとても引抜けませんが、そこへ行くと幽霊はまことに調法で、早速自分の手首を崩壊させてしまいますから、後へパラフィン手型だけが残ります。又幽霊の指紋というのは、幽霊がその物質化した指端ゆびはしを歯科医用の蝋塊に押捺して作り上げるもので、ボストンのクランドン博士夫人の実験会でよくこれをやります。私も先年同邸に滞在中、指紋三個を幽霊に作って貰って、今も手元に持ってります。

 第二に挙げたいのは、

  死者並に生者の姿が心霊写真で撮れること

であります。近代の写真霊媒としては英国クルユーのホープが最も優れてり、その手で撮影された死者の写真は万をもって数えます。更に面白いのは時として遠方にる生者の写真が撮れることで、現に私と同行した故久保博士(民之助)の令嬢の姿が分明に乾板上に現われました。当時同嬢はそんなことは夢にも知らず、日本の内地に健在だったのでした。これはそもそも何事を意味するか? というに、人間には生死如何に係らず、肉体そのままのエーテル体が別個に存在してり、そしてそれが時として遠方にも出掛けるらしいのであります。

 第三に挙げたいのは、

  死者の生前そのままの音声が直接談話で聴かれること

であります。直接談話というのは、霊媒自身が少しもその発声機関を使用せず、死んだ人が直接空中から言葉を発する現象で、このやり方は現在北米合衆国で最も広く行われ、ボストン、ニューヨーク、シカゴ、デトロイト等、いやしくも名ある都市にうした霊媒の一人や三人らぬ所は殆どただの一ヶ所もありません。英国これにつぎ、伊太利、ドイツ等にも少しはあるようです。日本には亀井、津田両霊媒しかりません。この現象で最も印象の深いのは、死者が生前の肉声そのままで談話を行うことで、それは丁度電話口で相手と応答するような具合であります。私が先年ボストンで実験をした時には、数年前に死んだ長南雄吉という、私の知人が現われて日本語で挨拶しました。他にそう言った実例はほとんど枚挙にいとまなしであります。

 そうとも知らず、皆さんが今なおとぼけたお顔をして、そんな事がはたしてできるのかしら……などと仰っしゃられると、そろそろお隣りのヤンキイからわらわれます……。

 わらわれる、わらわれないはどうでもよいとして、兎に角うした事実に直面した時に、われわれは矢張りエーテル体の存在を肯定したくなります。死後にエーテル体が残っているから、それで死者は一時的にその発声機関を物質化することによりて生前そのままの肉声を発し得る――そう言った理窟りくつになるのであります。

 も一つ最後に御注意申上げたいのは、

  霊界通信の全部が各種のエーテル体の存在を物語ること

であります。曰く自動書記、曰く霊言、曰く直接談話……霊界通信の種類は幾通りにも分れますが、それ等のすべてを通じて一致してるのは、人間に超物質的エーテル体が備わっていること、又そのエーテル体が幾種類かに分れていることであります。分類法は観る人の考えで、必らずしも一致しませんが、私の観る所によれば、肉体を併せて四種類に分類するのが、最も穏当のようであります。最近スミス夫人によって受信されたヨハネスの通信などがけだしその好代表でありましょう。次にその要旨を紹介します。――

『肉体と魂とは、もちろん両者の間に連絡はあれど、見ようによりては、これを別個の独立的存在と考えてよい。右の魂には三種のエーテル体がある。即ち肉体の内面にず第一エーテル体が宿り、ぎに第二エーテル体、第三エーテル体が宿っているのである。此等これらうち最初の二つのエーテル体は、その形状がほぼ肉体と同一であるが、ただその受持つ振動数はそれぞれ相違する。第三エーテル体は魂が一切の形態と離れる直前に使用するもので、これが魂の有する最高機関である。その形状は前二者よりも小さい。すべては肉体の発達につれて発達すれど、第二第三の高級エーテル体は、人間の地上生活中には、通例まだ萌芽状態を脱しない……。』

 際限がないので資料の紹介は一とずこの辺で切り上げ、くわしい事は改めて又他の機会に申上げることとして、兎も角も私はここで、人間の構成要素並にその性質分担等につきて左のような推断を下したいのであります。

 (一) 人間は自我表現の機関として原則的に四つの媒体を有する。

 (二) 第一の媒体は肉体で、これは主として慾望を受持つ。

 (三) 第二の媒体は幽体(第一エーテル体)で、これは感情を受持つ。

 (四) 第三の媒体は霊体(第二エーテル体)で、これは理性を受持つ。

 (五) 第四の媒体は本体(第三エーテル体)で、これは叡智を受持つ。

 (六) 此等これら四つの媒体は互に滲透的に重り合って一の連動装置を為し、同様に人間の四つの意識も互に交錯的に重なり合って働き、複雑なる心理作用を営む。

 (七) 人間の意識とその媒体とは表面不可分の状態にあり、心ヌキの媒体、媒体ヌキの心は到底考えられない。

 (八) 人間の所謂いわゆる死とは肉体と幽体以上のエーテル体との分離であり、死後本人の意識はそれ等のエーテル体を機関とする。

 (九) 地上生活中それ等のエーテル体はる程度の発達を遂げるが、しかしそれ等は死後の世界おいて更に充分の発達を遂げる。

 (十) エーテル体は感官的には不可視的不可量存在であり、又時空の束縛を超越している。


(二) 古来の諸修法
とその長短

目  次

(四) 人間の環境
と人間の隣人


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