心霊問題の表と裏

シナイデル家の心霊現象

(四)附言

 以上私は自分の観察、実験の結果、在来の正規の所謂いわゆる科学では、説明し兼ねる二三の実例を挙げながら、大体の説述を試みました。私の観るところによれば、所謂いわゆる科学と称するものは、心霊問題の追窮ついきゅうに当りて、『地球の両極に於ける磁石』のような働きをしてると考えられます。何等一定の方向なしに、クルクル回転します。私がしある一現象の説明でも試みたら、それこそ災難です。いかなる説明でも、必ず他の現象によりて、反対説を唱えられるに決って居ます。

 ですから私どもは、断じて部分的説明に入ることなく、全体としての心霊装置を研究する丈にとどめねばならぬと信じます。現在いかなる素人でも、催眠術の一端に通じて居ないものはないと思います。催眠術にありては、按手あんしゅ法又は凝視法等によりて、被術者を催眠状態に導くのを普通としますが、被術者はこれによりて、ある程度まで自分の意識を失い、一般に意識的思念、又は行動が取れなくなります。しかし被術者の無意識方面、換言すればその潜在意識は、充分の活動力を保留します。これがその第一期です。意識の抑圧と共に被術者は不活動になります。これがその第二期です。さて被術者が意識を失うと同時に、術者はその空虚な所に自己の考を植えつけますから、被術者はある程度まで、術者の影法師であり、傀儡であり、その命令通りに動きます。術者の力が大なれば大なるほど、被術者の意識の抑圧程度が大きく、従ってその暗示がよく利きます。これがその第三期です。さて被術者がする丈の仕事をしてしまいますと、今度は再び不活動状態に入り、やがて術者の意思からのがれ出ます。これがその第四期です。いよいよ術者の意思から脱却しますと、今度は彼の平生の意識状態を回復します。これがその第五期です。

 これで見ると催眠現象と、心霊現象との間に、密接な類似の点が存在することがはなはだ明瞭で、従って両者の比較研究は、すこぶる簡単であります。第一期はどちらも外来の意念の受け入れに都合のよい準備をする時で、按手あんしゅ法とか、凝視法とかは、単なる間に合わせの手段に過ぎません。第二期はいずれも霊媒の意識を抑圧するに用いられ、どちらの場合にも霊媒にすッかり無防禦の受身になって居ます。第三期はどちらも活動期で、ただ催眠術の場合には、術者によりて樹植される考を遂行し、心霊現象の場合には、自己以外のある意思によって動かされます。その際霊媒は眠ってっても、又覚めてても、どちらでも差支なく、自分自身と心霊現象との間に、何等の関係があるものとは思考しないのであります。(ウィリイがしかるのみならず、シルベルト夫人なども通例覚醒してる。)ただ霊媒自身がある程度、現象中に混人することがあるので、結果が鮮明を欠く場合が少くありません。(例えばウィリイが、伊太利イタリア人の発音でドイツ語を喋るが如き。)この混線の為めに、学者の一部が、一切を霊媒自身の内部に求めんとする傾向があるのですが、沢山の実験を経たものは、それが誤謬ごびゅうであることをよく承知して居ます。

 お一番学者を迷わすものの一つは、恍惚状態に在る霊媒が、ある名前を名告なのることです。シナイデル家のオルガ、ミンナ、オット等,シルベルト夫人のネル、マーガリイのウォルタア等、いずれもしかるべき名前がついて居ます。ところが此等これらに向って身元を追窮ついきゅうすると、その返答は通例シドロモドロで、辻棲が合いません。ホルブ博士なども、オルガを追窮ついきゅうして見て、一向当てにならないのを発見し、故に大体において、オルガを信ずることがきないと主張しますが、それは余りに名前を過重視した誤りだと考えます。名前などは単なる符号で、ただ相互を区別する為めの、器械的工夫に過ぎません。名前の詮索と内容の詮索とは、全然別問題に取扱うべきでありましょう。

 兎に角催眠現象と、心霊現象との間には、多大の類似点がありますが、ただ一つ重大なる相違点が存在します。それは催眠術者に相当するものが心霊実験に無いことです。私はそれに相当する役割を造ろうと思って、いかに試みても失敗に終りました。これは断じて看過し難き点であります。そこで心霊現象の製作は、私の使った二人の霊視能力者の言を信じて、外来の守護霊の仕業と信ずべきか、それとも霊媒自身の潜在能力の発露と考うべきか――私はここに自説を主張するのを避けて、すべてを読者の判断に任せることに致します。(大正一五、六、八)


(三)後期のウィリイ

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完結


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