心霊問題の表と裏

マアガリィ霊媒問題

七、結論

 以上で大体この問題に関する概念は得られたと存じますから、筆を擱くことに致します。これは一つのマアガリィ霊媒問題の記事に過ぎませんが、一事は万事、これから学び得るところは決して尠少せんしょうではないと存じます。

 第一に痛感されることは不可思議現象、所謂いわゆる奇蹟というものの効果の、案外に薄弱なことであります。何人も最初は奇蹟を過大視します。ただ一度でも確実な現象に接すれば、自分は心霊宗に帰依する――そんなことを考えます。ところが実際奇蹟に接して見ると、なかなかソウは行かない。一寸の期間は奇蹟を観てびっくりもし、又感動もします。矢張り霊界は存在するらしいなどと思う。が、一度見た丈の奇蹟の印象は次第に薄らぎ、その代りに、間断なく接触する周囲の現実が、次第次第に心を占領する。死後の安寧幸福などよりは、現在の肉体の快楽などの方が、痛切に自分に訴える。その結果、矢張りあんなものは一の幻覚であったかも知れないなどと考えて来る。最後に古い古い在来の疑惑が、怒濤の如く、再び勢力を盛り返して来て、奇蹟の印象を吹き飛ばしてしまう。残念ながら軽便な奇蹟によって、社会人心の革正かくせいなどは想いも寄りません。それにはもッともッと根強い、力強い、血と涙と脂汗とから成立する、心身の努力が必要であります。

 第二に痛感せらるる事は、いわゆる老大家の、案外に不正直であると同時に、臆病であることです。マクドゥガル博士の如きは、ジェームス博士の後継者としてハアヴアド大学に教鞭を執り、その傍一歩時流を抜ける心理学上の名著を刊行し、誠に申分なかりそうに思われる学者でありながら、マアガリィの心霊現象の背後に、一個の霊魂がげんとして控えているという丈で狐疑逡巡し、ほとんどその頭脳の健全が疑わるる程度の言辞を弄しています。これはつまり自分の地位の可愛さから、不知不識の間に、心の聡明をおおわれた結果に相違ないのです。マクドゥガル博士ほどの人にして、既にソウだとすれば、他は推して知るべしであります。其所そこへ行くと、新進気鋭の士は何のはばかるところも、恐ろしいものもありませんから、真理と見れば、これに向って驀地ばくちに突進します。従って心霊学の大成は若い人でなければ、とても駄目だと考えられます。現に最近の報告によれば、ハアバアド大学の講師連が、老大家連とは独立して、マアガリィの実験会を組織し、徹底的に事件の真相を探らんとしつつあるそうです。詐術なら詐術として面皮を剥いてやるがよい。事実なら事実として保護奨励を加えてやるがよい。宙ブラリンが一番可けない。真の研究は、ドウしても少壮者の中から出ると思われます。

 第三に痛感されますことは、心霊研究が、何処どこまで行っても、悪魔の使徒というべき、フージニ式の人物の妨害を覚悟せねばならぬことです。研究が次第次第に深みを加えるに連れて、その妨害は恐らく深刻の度を加えるでありましょう。何となれば霊界の法則が闡明せんめいさるる事は、バケモノ式のものに取って、んな都合の悪いことはないからであります。どんな研究も、くはへ楊子で気楽にはきません。心霊上の問題となると、それが直接に人間の生命に触れる事柄ですから自然に熱の加わり方も烈しかろうというものです。昔しの時代には、それが宗教戦という形を取りましたが、二十世紀の世の中では、それが心霊戦という形を取ることになるのではないでしょうか?

 編者曰く、マアガリィの霊媒力については、著者が大正三年、英国で開催されたる、世界神霊大会に、日本心霊家代表として出席せる帰途、ボストンに立寄り、親しく実験せるところで、その詳細は載せて欧米心霊行脚録にありますから、就いて参照されんことを望みます。


六、マクドゥガル博士の態度

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シナイデル家の心霊現象


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