心霊図書館 >> 心霊文庫第17篇

『死者に交わる三十年』

地縛の霊の解放

 『地縛の霊』とは、英語のゼ・アースバウンド (The Earth bound) の訳語で、所謂いわゆるうかべぬ霊魂』『迷える亡者』などと同様な意味をもって使用されて居ることは、ここに申上ぐるまでもありますまい。

 実際問題に触れない人は、おしなべてんなものの存在を否定したがりますが、およそ天下にこれほど無智な、向う見ずの仕打はないでしょう。心霊実験が進歩しなかった時代には、あるいはさう考えられても致し方がありますまいが、今日では、霊媒を用いて地縛の霊を捕えることは、顕微鏡を用いて微細な黴菌ばいきんを捕えるよりはむしろ容易で、つ正確味がある位であります。現在日本にも、西洋にも、そうした仕事に堪能な霊媒は、決してすくなきをうれえません。

 西洋で地縛の霊を捕えるに妙を得ている、有名な霊媒の一人は、米国カリフォルニア州カール・ウィックランド医学博士の夫人で、その詳細は同博士の著述にかかる『死者に交わる三十年』 (Thirty Years Among the Dead) 中に忠実に記述されて居ります。一々証明づきの報告で、今更いまさらこれを否定しようとしたところで、天に向ってつばするが如く、とてもできない相談であります。

 ウィックランド博士夫妻は、先般来欧州大陸を漫遊して、心霊上の講演、並に実験を行いつつありましたが、本年八月英国滞在中には、『ロンドン心霊協会』などでも講演を行った模様であります。するとウィックランド夫人の霊媒能力は、入英後間もなく活動を起したらしく、右に関する記事が、サー・アーサー・コナンドイルによりて、最近『デイリィ・エキスプレス』紙上に報告されて居ります。大要を述べると左の通りであります。――

『某日ドイル氏は、ウィックランド夫妻を携えて、エセックス州の某荘園を訪問した。一と通りるい建物を見物して辞去したが、その際ウィックランド夫人の眼に、一人の奇妙な恰好かっこうの老人の姿が映じた。彼はほどの老齢で、駝背せむしであつたが、ヨチヨチ一行の後から付いて来て離れようとしない。夫人は言った。「あれは地縛の霊で、昔この荘園に住んで居たものです……。」』

 一行は村の宿屋へ入って茶をんだり、その他諸所をるきまわったりして、日暮ようやくドイル氏の住居に戻ったが、その間老人の付いて来るのが、始終夫人の眼に映じて居た。やがて室に入ると、早速老人はウィックランド夫人に憑依して、自分はダヴィット・フレッチャーであると名告なのった。段々いて見ると、彼は元荘園の管理人であったが、死後すでに一世紀以上になるらしかった。そのくせ彼は未だに自分の死んだことに気がつかず、ただ誰かに水中に押し込められたこと丈を記憶して居た。従って彼は今以いまもって荘園の管理をしているつもりで居るのであった。ウィックランド博士は、かかる際に使用する常套手段にで、彼が最早もはや人間界のものではないこと、従って眼を霊界に開き、向上の途を辿るべきこと、死んだ以上駝背せむしなどは、うに放棄すべきこと、其他そのほかいろいろ懇切なる注意を与えたもので、あわれなる霊魂は、死後百年以上を経過した今日に於て、初めて窮屈なる地上の雰囲気から脱却し、美しい霊界に安住の地を見出すことになった。彼は死後初めて自分の母の霊魂、その他に逢って非常によろこんだ。後で荘園の記録をしらべて見ると、果して十八世紀の末葉まつように、ダヴィッド・フレッチャーなるものが、強盗の手にかかりて非命に死んだことが確かめられた……。

 んな話は、千百の実例中のただ一つで、材料はいくらでもあると言ってい位であります。実に人間の執念、ことに死の瞬間のつきつめたる観念ほど、強烈に死後その霊魂を束縛し、左右するものはありません。肉体のある人間は、衣食住その他の仕業に屈托し、又感覚の動きに捕えられて居りますので、一意専念、唯一事を思いつめるということは滅多にありませんが、死者の霊魂は、おもうことだけが全生命であり、自から造りあげた狭い、苦しい観念の世界に閉じこもつて、未来永劫同一事を繰り返し繰り返し、いたずらに時を刻むのであります。これは心霊実験の明示する所で、推理や想像の所産にかかる、コジツケ説ではないのであるから、動きが取れません。東西の心霊研究家が声をらして、警世の言葉を絶叫しつづける所以ゆえんも、実にそうした確信の上に立つからであります。

 ウィックランド博士夫妻の今回の欧州巡錫じゅんしゃくが、一般人士に対して、れほどの感化を及ぼすことになるかは、今のところでまだ不明でありますが、兎に角かかる計画が、彼地このちで着々実行され、そして『デーリィ・エキスプレス』の如き新聞紙が、真面目にこれを報道するということは、日本ではまだ見られぬ現象で、西洋の方が日本に比して、たしかに一日の長があるとわねばなりますまい。そのくせ日本国に地縛の霊の災厄が少ないかというに、決してそうではないのであります。ことにかの関東大震災の如き、転瞬てんしゅんの間に、数十万の人畜の生命を奪ったことを考うれば、いかに浮べない亡者が多いか、想像に難くないと信じます。

『そらっ地震だ! 大変だ! あぶない! 逃げろッ!』

 そうした刹那せつなの恐怖に戦慄おののきつつ、今お愛児を尋ね、愛妻を捜しつつ、右往左往する亡霊は、いかに鉄筋コンクリートのそびえ立つ、復興の都大路に充ち充ちて居るでありましょう! 私の実験の結果も、明らかにそうした消息を物語るものがあります。

『亡霊なんか、いくら騒いだって構わんじゃないか! 亡霊は亡霊だ。生きた人間の知ったこっちゃない。』

 私はよくうした放言に接しますが、こんな勇気は、畢竟ひっきょう無知からうまるる勇気で、丁度ちょうど低脳者がチフス菌だらけの生水なまみずを、ガブガブ飲むのと同様、一向める値打ねうちがありません。心霊研究の結果が明らかに証明する通り、現幽の間には、密接不離の因果関係が存在し、人間の肉体は、間断なく幽界居住者の宿泊所となりちなのです。発狂、ヒステリィ、神経衰弱、瘋癲ふうてん、慢性病、悪癖、出来心、……われわれ人間は、表面的観察にもとづきて、んな名称をくっつけて、済ました顔をして暮らして居りますが、適当の心霊的手段方法をもって、その裏面の消息を探って見ると、其所そこにはきまり切って幽界の落武者、つまり地縛の霊が頑張って居るのを見出すのであります。

 現代の薬物医学、倫理学、法律、政治、宗教等は、此等これらに対して、姑息手段以外に、ほとんど手を下すべき術を知りません。ばれるから拘禁する。眠れないから睡眠薬を飲ませる。衰弱するから転地させたり、滋養物を食わせたりする。他に迷惑を及ぼすから刑罰に処する。るいことをするから説法する。死んだから葬式をしてやる……。これでも一時を糊塗ことし得ないではありませんが、根本的社会改良、生活改善は望まれません。

 微力ながら私どもなら、もと奥深く突入して、此等これら人生の不幸災厄の真因をほじくり出して、適当に処分することができます。無論日本の心霊研究は、今日ようやく整理の緒に附いた丈です。吾々は一方に於て、在来伝統の諸霊術(各派の修験者行者等の修法)を審査して、の短を棄ててその長を採り、他方に於て新規の霊媒を保護養成して、的確なる幽明の交通を講じつつ、苦心努力を重ねている最中で、まだまだ充分安心の域に達して居りませんが、しかし大概の霊的調査なら、ず遺憾なく遂行し得るところまで漕ぎつけました。その結果最近数ヶ月間に、幾多の重病者が見事に平癒し、幾件かの難問題が立派に解決されました。実験向きの霊媒では、欧米に比して遜色がありますが、実用向きでは必ずしも劣りません。事によったら現在では、日本の霊媒の方に、あるいは少し勝味が見えはせぬかと考えらるるのであります。

 兎に角幽冥の世界と、人間の世界との間には、案外関係が深く、人生の安危存亡、吉凶禍福は、主として其所から生れ出ると言っても過言ではないのが事実であります。人間が強いて眼を瞑って、無知によりて一時の安心をようとするのは、ただ損の上塗りをする丈のことで、一向つまらない、幼稚至極、愚劣千万な話であります。それも昔のように、頭から只かく信ぜよと迫るのなら、其所そこに無理が伴いますが、二十世紀の心霊研究は、未だかつてそんな事を何人も強いようとはしません。現在はこれこれの霊媒が居り、これこれの方法によりて、これこれの結果を挙げて居るのだから、公平な見地でよく査べた上で、お互に事実を事実として認めるの雅量をとうではないか。これは決して他事ではない、直接御互おたがいの身の上にかかる問題だから、一時も早く適当の方法を講じようではないか。――ただそう主唱しゅしょうする丈なのであります。まさかにこの正当なる主唱しゅしょうが通らぬほど、暗い日本国ではありますまい……。(昭和二・九・二〇)


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