心霊文庫16篇 『再生問題の検討』

創造的再生説に就きて

(上)賛否二派

 一昨年の春も、私は再生説にきて、卑見を発表しかけましたが、外国出張のめに、途中で尻切トンボに終らせてしまいました。実をいうと、当時この問題に対する私の考は、まだ充分に纏まっていませんでした。又他界の居住者の意見を徴すべき、適当な通信機関、つまり霊媒も充分仕上っていなかった。それやこれやを思うと、あのまま立往生していたことが、あるいは却って自他双方に取り、好都合だったかも知れません。さもないと、後から訂正増補を要する個所が、相当多かったと考えます。もちろん、今日でも、とても充分とは行きません。まだまだ枝葉の点につきての疑問は、山積してります。が、再生説につきての根本観念丈は、どうやら動きの取れない、確かなところまで、漕ぎつけ得たように感じます。西洋の方にも、ポツポツ良い議論が現われかけました。で、今回改めてこの問題につきて、概括的に卑見を述べようとする次第であります。

 一体再生説は、東洋方面では、昔から一般にこれを肯定する方に傾き、又西洋でも、フランス方面においては、アラン・カルデック以来、再生論者が多いようです。現に昨年物故ぶっこしたシェレー博士の遺著にも、この問題を肯定的に取扱ったのがあります。が、英米の学界では、これを頭から否定しないまでも、疑問のままに残して置く論者が大多数であります。肯定論者には、肯定すべきそれぞれの根拠があり、否定する方にも、またそれ相当の否定すべき理由がありますので、私はず両者の論点を箇条書きにして、簡単に紹介することに致しましょう。問題を簡単化する為には、これが一番捷径はやみちかと思うからであります。すでにさんざん言いふるした事柄を、物珍らしそうに、ゴテゴテ並べ立てるほど、片腹痛いことは滅多にありません。――

 さて肯定派の主張から御紹介致しましょう。

 (一)現世は徹頭徹尾不公平に出来上っている之を合理的に説明する事は再生説以外に何もないという説

 人生が偏頗へんぱ不公平であることは、これは何人にも拒めない。境遇、機会、能力、――どの点から言っても、決して平等でない。一人の小児は黒ン坊の腹に宿り、他の一人の小児は王妃の腹から生れる。甲は生れながらにして、健全な精神肉体を恵まれてるが、乙は貧弱な頭脳と、肉体とを担って産声うぶごえを挙げる。はなはだしいのになると、生れつきの盲者であったり、唖者であったり、又不具者であったりする。善人だと言っても、必ずしも栄えない。悪人だと申しても、必ずしも亡びない。組織や制度の改造で、幾分かはこの不平均を破れるとしても、それは多寡が知れてる。又宗教家が『現世で不幸な者は、来世で極楽浄土に行ける』などと言ったところで、それも一片の気休めである。現世の不幸災厄を、死後の世界で埋め合せて貰ったところで、決して正当な清算とは謂われない。現世の事柄は、現世で解決した時に、初めて真の清算である……。

 だんだん煎じつめると、結局どうあっても、再生説を持ち出さなければ、収まりがつかないというのが、この一派の主張の要点であります。即ち人間が、前世の成績によりて適当な境遇、機会、能力等を割り当てられ、其所そこ寸毫すんごう依怙贔屓えこひいきもないから、努力の必要がおこるので、もしこれを否定すれば、人間は横暴な神、又は盲目な自然の単なる翫弄物がんろうぶつに過ぎないということになり、そこに因果律も成立なりたたねば、向上進化の途も開けない……。ざっとそういう理窟りくつになるものであります。仏国の再生論者レオン・ドニイは、く述べて居ます。――

『すべての霊魂が、根本において、神から出発してるには相違ないが、しかしすべての霊魂の年齢は、決して同一でない。そして相前後しつつ、進化の長い階段を昇りつつあるのである。る者は太古において人体に宿り、幾度も幾度も人生の経験を積み、今やほとんどその卒業期に近づいている。る者は、つと人間世界に席を置いたばかりであるから、その宿るところも、地球の辺陬へんすうに住む野蛮人の肉体であったりする。そんな野蛮人でも、多くの再生を重ねて、ついに階段の上部に進み得る……。』

 (二)一家族の中に時として遺伝を超越した変り種又は天才が生れることがあるこれは或る程度再生説を裏書きするものだという説

 一系統の家族の間には、通常遺伝的の特性があるもので、いわゆる遺伝の法則が成立するが、時とすれば、同じ両親から生れた兄弟姉妹の間にさえ、能力から言っても、又品性から言っても、驚くべき変り種が、ヒョコンと発生することも否み難い。体的には類似してても、性質には天地の相違が見出される。ことに顕著なのは、双生児の場合で、外形はそっくりだが、内容はまるで変っている双生児が、しばしば見出される。神童又は天才などというのも、要するに優良な変り種に過ぎない。例えば生れてたった四歳で、大家も及ばぬ作曲をしたモザルト、――その一族をしらべても、前にモザルトなく、又後にモザルトがない。そんな実例は、他にも沢山ある。古今東西に傑出している一流の天才達も、ことごとく一粒種である。プラトン、ダンテ、沙翁シェークスピア、ニュートン、釈迦、イエス、弘法、日蓮、……その祖先並に両親は、いずれも平々凡々、そしてその子孫の中からも、碌な者が一人として現われないから、間歇かんけつ遺伝説などは、頓と役に立たない。就中なかんづく、釈迦だのイエスだのの場合には、余りに飛び離れてえら過ぎるところから、ほとけの再来だの、神の子だのと言うことにして、解き難き謎を強いて解こうと試みた。これはもちろん一の迷信で、取るに足らないが、遺伝の法則ばかりでは、実際の事実を解釈するに、不完全だという事を証明すべき好資料ではある。遺伝説の欠陥を充たし得るものは、ただ再生説あるのみである。輪廻に輪廻を重ね、経験に経験を積んで、ほとん窮極きゅうきょくまで発達し切った霊魂の宿れる肉体だから、それで神変不思議に近い働きも発揮されるのだというのである。ここに牝鶏に抱かせた多くの卵の中から、たまたま一羽の家鴨あひるが生れた時に、これは不思議な間歇かんけつ遺伝だと言ったら、何人か失笑せずにれよう。そんな場合に、家鴨あひるの卵の出所を捜すのが、当然の筋道であるように、天才者の出現の場合にも、矢張りその出所を遺伝以外、系図以外に求めねばならぬ。……

 (三)一学級の生徒に同一教師が同一講義を授けても生徒達の吸収力がめいめい相違するこれも再生説を裏書きするという説

 体力智力という点から観て、ほぼ匹敵する生徒でありながら、甲は数学が得意であり、乙は歴史、丙は文学、丁は哲学という風に、各自の吸収する力量がちがう。これは何故かといえば、畢竟ひっきょう学習する課目が、る生徒には、今度で二度目であり、る生徒には、それが初めてであるからである。識域下に残っている前世の記憶を、識域上に引張り出すのは容易であるが、最初の経験を印象づけるには、非常に骨が折れるのである……。

 心理学者の、解釈に困っている直覚なども、要するに前世の経験の蓄積と見做みなした時に、初めて了解ができる。現世で遭遇するのは、今度が最初であっても、前世で熟知している事柄だから、途中の運算や、推理を経なくも、一足飛びに結論をつかみ得るのだ。――そう説明するのであります。

 (四)一国の興亡盛衰は再生の原則を適用せねば解釈がつかぬという説

 歴史を繰りひろげると一国民、一種族の興亡盛衰が、常に繰りかえされる事を発見する。ある時まで、メキメキ延びて行った民族が、る時に及んで、バッタリと衰滅に近づく。はなはだしきは、婦人の出産力が衰えて、入口が減って行くのだから、何とも致し方がない。アイヌ族などがその好適例である。って置いても、だんだんその人口が減り、だんだん元気が失せて行く。再生論者に言わせると、これは優良な霊魂が、その種族を見棄てるのだというのであります。『霊魂達はある時まで、ある一つの種族を通じて、物質世界の経験を積むが、その種族によりて吸収し得る限りは、すでに吸収し尽してしまったとなると、彼等は他の種族に引越して行く。の因の世界で見切りをつけるのだから、果の世界に、それが現われるのは当然である……。』――セオソフィ学徒は、そんな見方をするのであります。

 (五)ソウ沢山でもないが一部の人士は自己の前世を記憶して居るこれは再生説をある程度裏書きするという説

 再生論者は、催眠術其他そのほかによりて獲られたる、再生の実例を沢山挙げて肯定につとめる。ことにフランスにそれが多い。トマス・リボー、ボフーオート提督、ド・ロッカス大佐、その他の催眠学者の著書報告の中には、催眠の状態において、前生の経験閲歴を、詳密に物語った実例が沢山載せてあります。むろん之等は、ことごとく被催眠者の主観に属することで、客観的証明は到底与えられないが、それでも再生説を、或る程度まで裏書きするものだというのです。日本にもそうした事例は、相当沢山あります。平田全集にも、ある家の小児が、前の世で生れた家の模様を、くわしく物語ったという相当確実な記録が収めてあります。

 以上列挙した以外にも、再生説肯定論者の提出する主張は、まだ沢山ありますが、いずれも多少コジツケ気味があり、学術的にあまり有力でないと認められますから、ここにはすべて省略し、今度は入れ代って、再生説否定論者の提出する主張を、簡単に紹介することにします。――

 (一)向上進化が宇宙の原則であるのに幾度幾度も現世に再生して嬰児として又初等学校の生徒として下らない経験を繰り返すのは不合理だという説

 英米には、何よりもずこの理由で、不賛成を唱えるものが、非常に多いように見受けます。

『自分は現世において、一通り高等教育まで受けたのに、又人間界に生れて、赤ン坊として、両便の世話まで焼かせるのは真平まっぴらだ。そんな人物不経済があるものでない。再生しなくとも、死後の世界には、何でも皆立派に揃っている。修行もできる、娯楽もできる。知識や経験をめに、わざわざこの不完全な人間世界へ逆戻りしなくても、少しも差支ない。し地上の生活が、そんなに大切なものなら、永遠に地上に住むような仕掛にすればよいではないか。現に心霊論者は、永遠の向上進化を説き、霊界は他界に比して、遥かに優秀だというではないか。われわれは実験的にも、推理的にも、又大自然の法則からも、再生は信じられない。意志の自由が各人に許さるるものなら、すくなくとも自分は、二度と再びんな不自由で、不完全な物質の世界に舞いもどる意志はない……。』こんな意見を抱いてるものが、非常に多数なのであります。

 (二)過去の記憶を有する者が少しはあるとしても再生説を科学的に肯定する事実は未だ見つからない従って之を学術的仮説として認めることには不賛成だという説

 右これも英米の識者中には、はなはだ有力な意見であります。一昨年私が『ライト』社に、主筆のガウ氏を訪問した時にも、同氏は劈頭へきとうこの議論を提げて、私に迫ったことを記憶します。私はその時笑って答えました。『あなたの仰ッしやる再生説に関する科学的の実証、――それは一応もっともではあるが、しかし何所まで科学的で、何所から非科学的かというその境目は、観る人によりて各々等差がある。現に心霊写真、卓子浮揚等の物理的心霊現象にしても、或る人は、これを以て充分科学的に正確なものだと考え、或る人はあれではまだ不充分だと考える。再生に関する証拠も同様である。で、私はこんな高尚隠微な問題に関しては、寧ろ一つ一つの実証そのものよりも、広い意味で行う所の正しき推理、並に直覚に重きを置きたい。現に神の実在などという問題だって、個々の実証よりは、推理若くは直覚に重きを置くではないか。英米人士は、少々フランスの向うを張って、ツムジを曲げ過ぎはしませんか。』そう言いましたら、ガウ氏も笑っていました。

 兎に角英米人士が、再生説否定に傾いていることは事実で、そして彼等の提出する反対理由の最も有力なものが、右にかかげた二つ位である事も事実であります。他にも宗教的、倫理的等の立場から、再生説に反対するものがありますが、多くは感情論であったり、方便論であったりして、紹介する丈の価値がありません。例えば再生説を肯定すると、現世の失敗は、この次に生れ代った時に訂正するなどという、無責任観念を伴うから面白くないとか、自分はキリストの生れ代りだ、などという自惚者うぬぼれしゃを沢山作るからけないとか、言ったような説であります。この筆法で言った日には、何事にも、又何物にも、何とか難癖をつけられます。諭ずるに足りません。


再生の出発点と帰着点

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