心霊文庫16篇 『再生問題の検討』

再生説の真義

二、地上生活は一の分教場

 ですから、再生説の見地からすれば、地上は……イヤ恐らく宇宙全体は、霊魂教育の為の一大学校と見てよろしかりそうで、霊魂進化の全課程は、極めて広くつ深く、一切万有の発達に必要なる、いろいろの経験が、間断なく与えられ、咀嚼そしゃくされるように、巧妙に仕組まれてるのであります。地上の物質界などは、恐らく全教育組織の中の一小部分、言わば一分教場位に考えてよろしいと思います。

 御承知の通り、地上の学校では児童は毎日通学して学科を習い、次第に経験を積みて、下級から上級へと進みます。宇宙の霊魂学校でもまた同様で、それぞれの生徒は、必要に応じて幾度か地上に再生し、その時代、その環境に適応した、ある特殊の経験を積み、次第に向上の途を辿るのであります。

 言うまでもなく、人間は皆最初野蛮時代を通過してります。野蛮時代というのは、つまり霊魂学佼の幼稚園で、道徳的にも、智的にも、極めて低いものでありますが、そうするうちに、次第に物心がつき、利害得失の道理も少しは判り、又是非ぜひ善悪の萌芽もきざし、我侭わがまま性、残忍性、忿激ふんげき性等が、段々うすらいでまいります。何となれば、そうした野獣的性情は、結局自分自身の苦痛を増し、不幸を招くものであることが、経験的に判明して参るからであります。従って道学者の唱える、かの良心というものは、詮ずるところ、過去の蓄積されたる経験の概括的記憶に外ならぬのであります。すなわち前生の苦き経験にかんがみ、一再その失敗を繰り返すなかれという、内在意識からの、警告の声と見做みなしてよろしいのであります。

 かくて霊魂は、幾度かの再生を経て、歓びと悲しみ、成功と失敗、幸運と不運などの数々をめ、更にその上に他界に於ける静思、反省、薫陶、修養の長年月をけみした上で、次第次第に、より高き生活の標準に達し、智力、徳性共にすぐれ、更に進んで、現世的物慾の上に超然たる、尊き霊性をさえ発揮するに至ります。それが取りも直さず、真の文化の目的で、現代においても、すでにる程度、その域まで到達したものが絶無ではないと思います。例えばその優秀高邁なる智力をもって、学界を指導する人、その円満具足せる能力をもって、国政を処理する人、その清浄無垢の人格をもって、万人の模範となる人、その透徹鋭利なる直覚ちょっかくもって、不朽の真理を伝える人、――此等これらの人達の霊魂は、恐らく他に先んじて、宇宙学校の課程を修め、他に先んじて、工夫練磨の功を積んで来た上級生なのでありましょう。

 さて地上の学校教育においても、依怙贔屓えこひいきは、大々的禁物でありますが、宇宙学校においては、その点は一層厳格であります。右に挙げたような偉人物の境涯は、決して彼等のみに許されたものではなく、いかなる人でも、幾回かの再生の後には、必ず到達し得る境涯なのであります。彼等が偉大優秀であるのは、要するに常人よりも、一と足も十足とつあしも先に、進化の道程を辿ったという丈の話であります。かくて古参の霊魂は上級に、新参の霊魂は下級に、無限の行列を作って、上へ上へと進級して行き、その中には、進化の全過程を修了して卒業するものもありましょうが、その後には、常に下級生が続きます。これが宇宙学校の教育組織なので、其所そこ寸毫すんごうの情実などはまじりません。ですから再生説の見地から観れば、人生は巨大なる、一つの階段を昇り行くが如きもので、階段の最下端は、陰惨にして薄暗い野蛮の境地に接し、その最上端は、光明赫灼かくしゃくたる天帝の玉座に達します。右の階段の延長がどれ位であるかは、到底判りませんが、其様そんな事は余り問題でない。われわれが是非ぜひともはッきりと自覚せねばならぬ重大事は、自己の現在立てる階段が、自己の現在の器量に寸毫すんごう偏頗へんぱなく、しッくりと適合してる、ということで、これによりてわれわれは、一切の不平不満を忘れ、絶えず勇往邁進ゆうおうまいしんの希望に輝くことができます。

 再生説が教うる、最も偉大なる条項の一つは、けだ性の交迭問題でありましょう。即ちわれわれは、前生において男性として生れても、その次の時代には、女性として生るることがあるかも知れぬ――再生説はそう主張するのであります。何の必要ありて性の交迭こうてつなどをるかといえば、その最大目的は、霊格の円満大成を期するからであります。歴史をひもといて見ても、万人の瞻仰せんぎょうする偉人物というのは、不思議にも男性的と、女性的と、双方の徳性を兼ね具えた、円満な人格の所有者であることに、お気がつかるるでありましょう。

 兎に角われわれは、再生する度毎に、異なった肉体、異なった姓名、異なった性、そして恐らく異なった両親を持つのでありますが、これが為にわれわれの個性は、毫末ごうまつも損傷を受くることはありません。霊魂問題の実際に触れぬ空論家は、よくうのべます。『人間は生れる時に、宇宙意識の大海の中から、その一滴の霊を授けられ、死ぬ時には、これを元の大海に戻すのである……。』はたしてこれが事実だとすれば、人生は単に暴慢なる、造物者の残酷なる遊戯に過ぎないことになります。最も公平無私なるべき造物主が、残酷なる暴君! 天下にんな不徹底な理窟りくつが、何所にありましょう。矢張り「われわれの個性は、過去現在未来を一貫して、向上の道を辿る」というのが、道理にもかない、又心霊研究の結果も、これに太鼓大の印版を押して裏書きするのであります。

 くの如く、われわれの霊魂は、る時は男子の頑強な肉体を貰ったり、る時は女子の繊弱せんじゃくなる肉体を授かったり、現幽の間に生死往来を重ねますが、そのお蔭で、だんだん修行が積んでまいります。肉体というものはその使用者監督者たる霊魂に取りて必要ではあるが、同時に又容易ならざる負担であって、御承知のとおり、是非ぜひに供給しなくならぬは、衣食住の三つであります。文明というものは、要するに此等これら三つのものを、完全に取揃えるめの努力で、それが動因となりて人類の体力、能力、徳力等が発達するのであります。その証拠には、天然の物資の豊富な熱帯地方の人類を御覧なさい。呑気で、懶惰らんだで、文化の程度が概して低くあります。これに反して充分に考え、充分に努力せねば生存不可能なる、比較的恵まれざる地方に棲息する人類は、その発達が却って迅速で、地上の文明は、皆そうした所に花を咲かせ、実を結びます。

 んな塩梅に、何事につけても、努力は人間に必要でありますが、これを見て一部の論者が、それが神だの仏だのの無い、何よりの証拠だなどと主張するのは、恐らく早計でありましょう。人間の行る教育法だとて、気のきいたところでは、專ら開発主義を執ります。詰込み主義は、記憶力と模倣力とを養う丈で、実務には一向役に立たぬ無能力者を作り上げることになります。神の経綸に、かかる宇宙学校の方針が、んで人間界以下の愚劣な方法にでましょう! 何所まで行っても、宇宙学校の方針は開発主義で、各自の努力を強要します。もちろん人文の未だ幼稚な時代には、釈迦、孔子、基督キリストのような霊界の大使徒を送りて、る程度まで注入教育を施してくれましたが、そうした時代は、モウ過ぎ去りました。信仰問題だろうが、倫理問題だろうが、ただしは社会問題だろうが、現代人はできる限り、自己の力量、自己の努力をもって、一つ一つに解決して行かねばならぬ境涯に達してります。人間の能力で、到底り切れない仕事、人間が思案に余って、絶望の声を放つ場合でもなければ、真正の天啓などは、恐らく現われまいかと考えられます。

 ここに再生説を提唱するにつけて、必然的に、る程度の説明を下して置かねばならぬ問題は、その期間のことであります。即ち帰幽せる霊魂は、何年位を経て現世に再生するものであるか? という問題であります。これははなはだ興味ある問題ですが、遺憾いかんながら現在のところでは、多くの霊界通信が、ことごとく一致するに至りません。セオソフィの研究者達は、かつて二百五十人の霊魂を調査した結果、文明国民の再生までの平均期間は、

  約五百年

であると言ってりますが、もちろんそれは、最後の断案とすることはできません。私一個人としては、むし期間不定説に傾きます。御参考までに私見の概要を左に申上げて置きます。――

(一)再生までの期間は、文明国民ほど概して長く、しばしば千年二千年に達する者もある。野蛮民族はこれに比してはなはだ短く、しばしば数年又は数十年で再生するらしい。

(二)幼少の際に帰幽した霊魂は、概して短日月の中に再生し、中には死後直ちに何所かの母体に宿るものもあるらしい。

(三)何等かの理由で、早く再生したいと熱望しつつ死んだものの霊魂は、概して早く再生し、これに反して、何等かの理由で、現世の生活に興味を失いたるものの霊魂は、なかなか再生せぬらしい。

(四)規律の正しい日本の幽界では、霊魂の再生に対して、相当の監督を加え、霊魂自身の自由意思にのみ放任されては居ぬらしい。

 これははなはだ漠然たる説ですが、目下のところ、この辺で御辛抱を願わねばなりません。今後研究の歩が進むに連れて、もすこし具体的な事を申上げることができるようになると思います。

 ところで、最初再生説に逢着した者は、大ていこれを嫌い、深く考えて見もせずに、そんな莫迦ばか莫迦ばかしいことがあるものかなどと言って逃げたがります。ことに現時のように生活難の声がかますびしく再びんなイヤな地上へ生れて、苦労の仕直しをすることは真平まっぴらだ、と考える人の多い時代ほど、再生説は不人望であります。が、これはごうも取るに足らぬ話で、人生は断じて娯楽、惰眠、富貴、野望等の物慾を満足するめの遊園地、丁度浅草の第三区、又は大阪の千日前見たいなものではありません。前にも述べた通り、人間の一生は、宇宙大学の必要なる一課程であり、この事が充分に会得さるれば、その人の人生観は、初めて正しき軌道の上に引き戻された訳で、苦労艱難かんなんは、多ければ多いほど、却って歓迎する気分になれます。よしや失敗したところで、一向悲観する気にもなりませぬ。何となれば、これによりてわれわれは、金や宝で買えない貴重な経験を積むことになるから……。

 以上説いた所は、はなは蕪雑ぶざつに流れましたが、ほぼ再生説の意義が御判おわかりになられたことと考えます。次回には更に進んで、再生の目的、並にそのことの内面装置等につきて申上ぐることに致しましょう。(昭和三、四、二二、於大阪心霊研究会)


現代の不安と再生説
一、神霊主義と再生説

目  次

再生の出発点と帰着点


心霊図書館: 連絡先