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果たしてウイルソンか?

(十二) 新人生観

 五月二十一日の通信は短かいものであるが、新人生観の樹立を高調したところが幾分ききものです。――

『若しも吾輩の通信が承認されたとなると、その必然の結果として人事上に価値の置換えが起る。往時重要視されたものが竹頭木屑の如く取扱われ、その代りに新規の事物がめきめき擡頭だいとうして来る。

『とも角も今までただ一っしかないと考えられた世界が、今度は二つになるのだから其処そこに人生観の変更が起るのはけだし当然であろう。元来人間がここまで発達したのは環境の変化に対して順応性をっているからである。従って現世でいかに財宝を蓄積したところでこちらの世界でそれが全然無用の長物であること、これに反して非物質的なる精神の宝は死の関門を越ゆる時にもそっくり自分の身に附いて行くものであること、等がはっきり判れば、人間は不知不識の間にその順応性を発揮して処世観を変えるに相違ない。金銭かねはなかなか結構なものだか一時的の価値しかないとすれば蓄財を以て終生の事業とするのはとドーもソロバンが取れない……。きっとそう考えて来るに相違ない。別に金銭を不浄物扱いにするのではない。そんな必要はどこにも認められない。が、金銭はわれわれが昔し考えていたように、そんなに大切なものでなくなるのだ。それから人間の生命――これが矢張り同一運命を辿る。いかに若返り法などを講じて見たところで地上の生命は死後の生命のように永遠性がない。恐らく地上の生命と死後の生命との釣合は、丁度幼年時代と青年時代との釣合の如きものではなかろうか。その辺の詳細はまだ吾輩にもよく判らないが、ただ吾輩にもよく判っているのは、こちらの生活が、すこしも時間の経過にわずらいされぬこと、ここらの住人がすこしも年齢としを取らないことである。事によるとこちらの世界の生命は金剛不壊こんごうふえのシロモノかも知れない。兎も角もこちらの円熟せる、そして容易に滅びない生活の方が蝸牛角上かぎゅうかくじょうでごたごたするくだらない地上生活よりぐっと重要性を帯びて居ることを一時も早く自覚すべきである。』


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