心霊図書館 > 心霊文庫 > 14

果たしてウイルソンか?

(一) 私がウィルソンの通信を受くるまで

 私がどんな径路を辿りて死者から通信を受取ることになったか、一つ率直に告白すべきだと考えます。

 一体私は心霊現象の可能性に就きて多年懐疑的態度を執って来たものであります。私は御同様ただ有り合わせの理窟を並べるのでした。んな下らない人間の生涯が、肉体の滅びた後まで続くのですって……。御冗談でしょう。秋の木枯こがらしに吹き飛ばされた木の葉が再びん春に舞いもどりますか! あんまり勿体をつけ過ぎると却って滑稽なものになりはしませんか……。

 人類が猩々しょうじょうから進化したということはそれは事実かも知れない。この人間が更に一段の進化を遂げて一の超人間になることもあるいはあり得るであろう。が、過去はドシドシ過ぎ去ってそれッきり記憶から消えて行くのが事実ではないか! 心霊現象などというものはあれは畢竟ひっきょう主観の産物に相違ない。現に心理学はすべてをいろいろの精神状態、例えば幻覚、錯覚、催眠状態、等々に帰しているではないか……。

 長い間こんな小理窟に捕えられていた私にもとうとう少しづつ変化が起って来ました。信念のきざして来るのは誠に遅く、丁度目に見えぬ塵埃がいつの間にやら積るようなものらしい。それが積り積って、一朝俄然としてわれわれは不可能が可能になったことを発見するのであります。最後に私の疑念を根柢から一掃したのはいわゆる死者からの通信でした。丁度電話口で一人の友と対話するのと何の相違もない確実さは、これを拒否すべき一切のすべを私から奪い去りました。『あなたは死んだのだからあなたと話をするのは莫迦ばか莫迦ばかしい』――そんな事を言って見ても一向はじまらない。彼は現に存在し、そして彼の生前の特性をそっくり表現した言葉で、うれしい、なつかしい通信を送ってくれるのですから何とも致方いたしかたないのです。五感の証明ならる場合にこれを疑ってもよいでしょう。われわれの眼に昇ると見える太陽は実は動かずに、地球がその周囲を急速度で廻転して居ることは事実です。が、一人の友が遠方からあなたに話しかける場合に、その音声、その人格、その談話の内容を規準としてそれが本人か否かを識別し得ないという事は全然あり得ません。殊にその人格が何よりも有力に物を言います。

 んな具合で私は霊界の存在並に死後個性の存続という事につきては確証を握りましたがそれでも他のもろもろの心霊現象に対しては、私は一々懐疑かいぎの眼を向け、牛の歩みののろのろした前進をつづけて行きました。『何とか他にもいろいろの解釈法がありそうだ……。』常にそうした用心深い、若くは煮え切らない態度を執りました。

 私が初めて死者と交通を開いたのは卓子傾斜法によりました。卓子の彼方には活きた実在の人達が居って、われわれと交通を開きたがって居るのです。いよいよそれが事実に相違ないと認められた瞬間の、私の受けた衝動は正に絶大なものでした。私はおどろおそれて椅子にりかえった。死んだ者がチャンと生きてるのですもの……、そして死んだ者からの通信を立派に受取れるのですもの……。

 勿論むろんこの卓子通信法ははなはだ不満足なものではありました。それがわれわれの潜在意識の産物でないことは判っても、その通信内容がいかにも貧弱で彼我の意思の疏通そつうが不充分でありました。なんぞもっと完全な装置はないものか――私はその事ばかりに心を苦しめるようになりました。

 んなに近くて、しかもんなに遠い。そのじれッたさはまことに言語に絶えました。譬えて見れば、丁度親友に手をさしのべると、その中間に幕が降りたようなものです。しかもその幕は言声を包む幕で、相互の言葉がはッきり通じないのです。私のような性急せっかち者にはそれが到底満足し切れませんでした。相互の交通ができるというならそれは是非直截で、明瞭で、そして確証的でなければ駄目だ。共同電話見たいに誰でも利用し得るまでにならなければうそだ……。

 そこで私は他界の住人達に質問を発しました。私にはたして心霊能力があるか? 若しも能力があるものならこれを発達せしめて彼我の間に、より完全な交通を開くことはできまいか?

 するとその返答はうでした。彼方むこうの世界でも顕幽交通の困難に打ち勝とうと正に全力を挙げて居る。熱心家は誰彼だれかれを問わずこの仕事に加入するがよい。取り敢えずあなたはお書きなさいと。

 つまり私がるともらないとも言わないのに、他界からは早くも自動書記をせよとの号令がこの私にかかった訳なのです。その後私が研究のめにどこかの交霊会に出席する毎に、きまり切って、おまえは自動書記をやるのだと命ぜられました。

 一たい書くことは私の職業ですから、それはお易い御用ですが、そんな事で物質界と霊界との交通を簡単化し得るか否かは、少々心細く思われました。が、こちらから贅沢を言うべきでないと思い、早速その準備したくに取りかかりました。

 私は大型の滑かな紙を買い求め、それをピンでとめるべき適当な板をさがしました。それには製図板が誂向きだが、そんなものは手元にありません。いろいろと工夫の結果台所にあった料理板を使うことにしました。私は一枚の紙をそれにピンどめにしてその前に座を占め、手には軽く鉛筆を握りました。鉛筆は最黒色のものを選び、成るべく細く削りました。できる丈心を空虚にして、軽く鉛筆を持って待つことしばらくにして、意外意外! 私の手は自分自身以外の或物あるものによって動かされ始め、何やら紙面にかすかなる痕跡を造って行く。あちらへ行ったり、こちらへ曲ったり、自分の手にしてしかも自分の手にあるまじき行動を執る。とうとう紙の末端に達してピタリと止まって、待って居る。これは行を変えるのだ――私はそう気がつきました。私の手を動かしている何物かは決して私を無視して居る訳ではなく、私との共同作業を期待して居るらしいのです。私は歓んでその命令に服従しました。

 何という興味深い冒険でしょう!

 が、書き終って読み返して見た時にいささかがっかりしました。何となればそれはただ金釘の連続に過ぎず、ところどころに蚯蚓ミミズ見たいなものがまじって居るだけでしたから……。

 んな大騒ぎ、んな絶大の期待の結果がただ金釘の連続! その時の私の気分は丁度初めて登校した就学児童のそれでした。前途の希望は相当大きいが実際自分に直面したものはただ苦しい手ほどきでした。

 私は椅子にもたれてとくと考えました。若しもつづいて刻苦努力すればきまいものでもなかろうが、自分にはたしてそれ丈の時間の余裕があるだろうか。私位の中年のお婆さんになればなかなか用事が多いのだから……。

 最後に私は毎朝少許しょうきょの時間をこの仕事に割くことに決心し、規則正しく金釘の稽古をはじめました。規則正しくと言っても、私は天使エンジェルではありませんから時としては遅々たる進歩に愛想をつかし、料理板を台所に逆送して、こんな事はきれいさっぱりと忘れてしまおうとしたことも何回かありました。

 が、それもできませんでした。いつの間にやら楽天的希望と言ったようなものが湧いて来て、書いて見たくてしょうがなくなる……。一日二日とうちにとても制止し切れなくなるのです。その衝動が外部から来るのか、それともわれわれを無意識から有意識に導いた、人性固有の前進的意念の働きによるものかは私には判り兼ねます。

 私に言わせると祈祷だの断食だのというのはドウも忍耐力の別名のようです。私が辛抱強く稽古をして居る中に、最初大きな曲線であったものが次第に小型になり、とうとうそれが立派に読み得る文字になり、そしてある日曜の朝に一つの言葉を綴ったのです。その時の私の驚喜満足は何卒なにとぞお察しください。とうとうモノになりかけたのですもの……。

 しかし、それはホンの手ほどきで、たった一語か一句位のものでした。鉛筆を動かして呉れている霊魂というのは、きいて見るとそれは私の亡夫で、しきりに私を激励して呉れました。現界を後にしてからの亡夫は、天使見たいな忍耐力を獲得したものと見え、私のような、がッかりし易くて、じれったがり屋で、そして疑ぐり深い人間を、根気よく誘導してくれるのでした。

 が、こんな短所だらけの人間でありながらも私は進歩しました。きれぎれの片言かたごとがやがてつながりの文章となり、兎も角も通信を受取るようになりました。その頃は自分の親戚みうちの人達からの通信ばかりでした。いずれも親切に私見たいな我侭者の努力に興味をもって援助を与えてくれました。その後私が自由自在に通信を受け得るようになったのは、主として此等これらの人達が練習させてくれた賜と信じて居ます。

 それにしても自動書記は私に取りてなかなか捗々はかばかしく行かない難事業でした。後には手で文字を綴る前にその形が私の胸に印象されるようになり、更に後になると思想がうつるようになりましたが、最初はなかなかそうは行かず、ゆっくりと一字一語を綴るのでした。思想丈映るようになってからは自分で勝手にそれに衣裳きものをきせればよいのですから非常にらくでした。もっとも時にはしッくりと思想に合った文句が見つからず、幾時間も筆を停めていることもありはしましたが……。

 他界からの音信たよりはすぐそれを言葉に書きとめないと、時としてその筋道を見失うことがあってこまりました。後でき直して見ても、教えられることもあるし、又教えられないこともあるし、あてになりません。これは私の記憶力が鈍いせいでもありましょうが、ドウも外界から伝えられる思想はつるつる滑って保持し難きところがたしかにあります。迅速に書きとめないと崩壊して消え勝ちです。

 但し自動書記には機械的でない他の半面があります。つまり書く人の心の準備で、それは平板や鉛筆の準備以上に必要です。

 通常私は朝餐後すぐに坐ることにしました。ですから午前九時と十時の間に邪魔をする電話の憎らしさッたらありません。自分はその間是非ともたった一人で心を平静にして居なければならないのです。そうして置いて心の中から雑念妄想を払いのける。

 あなた方も心を空虚にしようと試みられたことがお有りですか? なかなか容易な仕事ではありませんネ。四方八面からいろいろの思想が突入して来て、からッぽにして置こうと思う場所を占領する。それ等を一方に押し出してやると、そのお代りがすぐ他方から飛び込んで来る。私はありとあらゆる方法を講じて此等これらの邪魔者を駆除すべく試みました。ある時は一つの池を想像し、それに注意を集中して、一生懸命池のへりに近づく者を追い返しました。る時は階段の上に自分自身を据えつけ、扉を排して昇って来る雑念小僧や妄想娘にめ出しを喰わせようとしました。が、私に取りて最も有効な統一法はる一つの文句を作り、心の中でそれをいろいろ異った書体で書きかえ書きかえすることでした。私はそれでようやく私の心を空白に保つことに成功しました。

 そうして準備した心の空白に一つの文句がポカリと映ると私は大急ぎでそれを書き下します。それが私の自動書記の初期で、当時はただ断片的に通信を受取るのみでした。従ってぎにいかなる文句がつづくかは少しも判らず、それが却って興味をそそる点でもありました。『これではたして何等かの意味を為すかしら……。』そう思って居るとたちまち奇想天外式の文句がつづいて私を驚喜せしめるのでした。

 私はそれ等の通信を保存して置きましたが、やがて積り積って厚ぼったい草稿になりました。それが『四人の死者からフロム フォーア フー アール デッド』の前半です。それまでは私の自動書記は皆親族の霊魂達から送られたものでした。が、ある日バーチングトンの友達と卓子の前に坐った時に、まるで赤の他人の霊魂が現われました。われわれの思想が彼に達したので、それに応じて手伝いに来たというのです。それが取りも直さずダブルュー・ティ・ステッドでした。

 が、卓子の傾斜ではドウも思う壷にはまりませんので、私はとうとう例の霊示的筆写法で通信を受取ることに致しました。

 心をすッかり空虚にして静かに座って居ると、間もなく長い文句が私の心眼にありありと映じ出しました。それは光で出来上った長虫そのまま、拗れたり、くねったり、結ばれたり、ほどけたりして居ます。私は勇気を鼓してつとそれを書き取りました。

 ステッドの教ゆる所によれば、彼がわれわれの心に印象しようと思う思想が、つまり右の文字になるのだそうです。『四人の死者から』の後半はそうして出来ました。ステッドの通信を受取るに当りて私は随分と自分の心胸の奥の奥まで祓い清め、彼を失望させまいと努力しました。私は現世でステッドとは一度も会いませんでした。私は彼が高き理想の人物であることは知って居ましたが、彼の書いたものは一行も読んだことがなく、彼が死後の生命の存続を宣言しつつあった際などには、てっきりそれは謬見びゅうけんだと確信し切って居ました。

 その後私は他界の存在に関してステッドと同一線上を歩むようにはなりましたものの、しかし彼の信ずる事柄で私が信じ得ないものは沢山ありました。これは現在でもその通りです。彼の人生観、又人生を取りまく不可思議事象の解釈等はドウも私のとくい違った所があります。が、私は彼からの通信を受け取ることには歓んで応じました。彼の意見に賛成だろうが、賛成でなかろうが、兎も角も私は彼の言わんと欲する所を取りぎすることにしました。彼もまたそれで満足してくれました。それは私に取りてはなはだ有益な練習でもあり、又興味ある仕事でもあった。何となれば私自身にドウしても承認し得ない意見でも、それがいかに合理的であり得るかを示してくれたことが一再でなかったから……。私はステッドが生前書いたものを一切読んだことがなく、又その経歴もほとんど知らないと申しましたが、私はあくまでその無知を続ける方がよいと考えました。ですから『四人の死者から』がいよいよ出版された時には著者たる私の心痛たらありませんでした。

 あれは私の観念が生んだシロモノではないかしら……。あの中に盛られた思想は畢竟ひっきょう私の潜在意識の現われではないだろうか……。夢――出鱈目――人気取り――そう思われはしないだろうか……。

 私は不安な心地で世間の評論を待ちました。ところが意外にも世間はあの通信を認めてくれました。ステッドの旧友達は、あの中に盛られた思想は、正にステッドのに相違ないと折紙を附けてくれました。米国の某批評家などは『ジュリアの通信』を想い出させるとまでめてくれました。

 それに元気をつけられて私は霊界通信業を止めようとする気にならずに済みました。その後しばらくの間これはと思うほどの通信に接しませんでしたが、ある日例によってバーチングトンの交霊会に出席して見ると、私が一人の『偉大なる人物』から遠からず通信を受取ることに内定しているとの通報を受けました。私は深くはそれに気をとめませんでした。

 ある四月の朝私がある一つの小説を脱稿しかけて居る最中、不図ふと例の書きたいという衝動が胸にきざしました。しかもそれは非常に強力で、自分では困ると思ったにも係らず、とうとう座に就かされてしまいました。

『あなたの放射した思想が私のもとに達しました。』

 そういう文句がず現われました。所が、私の方では別に思想を放射した覚えなどはすこしもないのです。モウ一章で自分の小説が書き終えるところなので私の心はまるきりそれに捕えられて居たのです。

 が、兎も角も私は何誰どなたかと訊いて見ました。すると

『ウィルソン』

という答が出ました。

 私はちょっと考えて見たが、こんな名前の人は一人も知りませんでした。

 試みに親友名簿を繰りひろげて見ると、ウイッカム、ウイリアムス、ウイリアムソンなどという名前ばかりでウィルソンというのは一人も居ない。もっともウィルソンという中名なかなの友達が一人あるにはありましたがその人はまだ地上の人なのです。

『あなたは新聞で私の事を知っています』

『あなたの姓と名を残らずきかせてください』

 小さい走り書きでぎの文字が現われました――。

『ウッドローウィルソン』

    ×     ×     ×

 もちろん私は少しもこれを信じなかった。

 私がウィルソンの名前を知って居たのは事実です。イヤ誰だっても知って居ます。『あんまり有名な名前だから不図ふとそれが出たのだ……』そう私は独語ひとりごちしました。

 ただの一瞬間も私はこの通信者が例の十四ヶ条のミスター・ウィルソンだと信じなかった。何か言いたい事があるなら、それを漏らすべき適当な人間は外に居る筈だ。自分は政治に興味がない。私はアメリカ人でもない。又私は一度もウィルソン氏に逢ったこともない。あまりといえば不合理だ……

 が、あたまから否定することも少々きまりが悪かったので私は中間を執って更にいて見ました――。

『何の御用であなたは私の所へお現われになられたのです?』

『私は後に見棄てた現世にまだ興味が残っているのです。私はあなたと共通の興味――平和と善意とをもたらすべき仕事の発展に興味をって居るのです。私の努力したところをあなたも努力して居られるのです……。』

 成るほどそうかも知れないが、しかしアメリカの政庁からロンドンの小説家の書斎に呼びかけると云うのはチト距離が遠過ぎはせぬかと私には思われました。私という人間も一の理想家には相違なく、人類間の相互理解を高めるべき運動にはいささか力瘤を入れてはいますが、しかし政治的方面にはまるきり没交渉の身であります。私に言わせると、各国語に翻訳された世界の文学が何よりも人類の帰一的感情を促進する力があるというのです。ところが先方では早くも私の胸中を洞察したらしくすぐにぎの文句が現われました――。

『個人の力量にはもとより限度があります。しかし、その占むる所の地位が高ければ高いほど。その与える感化影響も自然大きい訳で、その点において私などは理想の実現に向って頗る有利の位置にある訳です。大国民の後援を背景として立てば、世界の民衆もる程度まで動かされます。』

 成るほど言う所が自から大きくて、かって権勢の地位に立っていたウィルソンの面影がないでもありません。で、私も大に興味を催し、ともかくもしばらく自分の疑いを側方わきへ片づけて置いてその言葉に耳を傾けて見ることにしました。文句は更につづきました。――

『アメリカという国は半ばはその地理的関係から、半ばは実業その他の状態から、就中その構成分子が世界各民族の寄せ集めであるところから、理想実現のめにははなはだ適当な国土でありそれのみは、世界中のいずれの旧国――習慣と伝統と旧信仰と旧式の方法とに縛られている世界いずれの旧国よりも優れて居ります。われわれに与えられた機会は実に絶大のものであります。他の国々が陳套ちんとうな思想、厄介な迷信の重荷に喘ぎ喘ぎ人生を辿る時にわれわれは軽快な旅行ができるのです。私は是非ともこの絶好の機会を利用したいと思う。現在の私は最早アメリカの発達に直接参与する事はできないが、しかし私はまだそれに興味をかけて居る。この大国民の前途にはかならず大なる使命がある……。』 私は成るほどウィルソンらしい面影がないではないと思いましたが、もちろんそれがウィルソンに相違ないと信じはしませんでした。『兎も角も書きたいというなら書かせて、見よう……』 私はそんなあっさりした気分で自分の躯をこの新来の霊魂に貸して見ることになりました……。

 ウィルソンから最初の通信を受取ったのは一九二七年四月十四日の事でしたが、その翌四月十五日にもつづいて通信が出ました。

 実をいうと当時スコット女史はかねて執筆中の小説がやっと脱稿しかけたところで、愚図ぐず愚図ぐずして居れば出版季節に外れるというので、霊界通信等にかかり合っては居られないような気もするのでした。が、折角見込んでくれたウィルソンに恥をかかせるのも済まないと思い直して、つとめて自動書記をやったのでした。

『元来私は』とウィルソンは通信するのでした『地上に住んで居た時分には神霊論者スピリチュアリストではなかったのです。肉の生活のぎに霊の生活がつづこうなどとは夢にも思わなかったのです。人間というものは当然たった一つの生活、つまりわれわれの感覚で認識し得る一つの生活しかっべきものではないと思っていたのです。る意味においてそれは正しい考であったとも思う。われわれが死の門を通過してこちらの世界に歩み入るに際し、縦令たとえ其所そこに個性の中絶というような事は起らないにしても、しかし大体において幽界の住人は、生れ変った、一のあたらしい存在には相違ないのです。地上の生涯は、あれきりで、一段落がつき、あれきりで一の纏まったものであります。われわれ幽界居住者から見れば、後に見棄てた地上の生活はさながら一場の夢であり、われわれは最早その一部分ではないのです。われわれに取りては新たに始めたこの幽界生活こそ唯一無二の大事な生活であり、これに向って全力を傾注せねばならないのです。

 兎も角も私は一の貴重な経験をました、それはわれわれの下す結論の一向取るに足らないということです。地上に居った時、何と理窟をくっつけて見たところで、勘違いは要するに勘違いであって、事実の前には何の権威もありません。私などはこれでも地上生活を極度に善用した方でしょうが、しかし、私の有する前提が間違っていために私の下した結論は当然間違って居ました。もっともそんな事は実はドーでもよいようです。肝要なものは結論そのものでなく、結論を作るべく一生懸命脳漿のうしょうを絞り、思索に耽る事であります。途中の練習が大切なのでその結果などは深く論ずる事には足らないのです

 一たい霊性とか、霊能とか言ったところで、その前に何より肝要なのは精神の錬磨であります。つまり精神的錬磨が積まれたた暁に次第次第に微妙な霊性が発達して行くのです。但し霊性の発達には地上の生活のみではとても足りない。それは当然幽界生活の方に持越して行かなければなりません……』

 つづいて四月十七日には左の通信がありました。――

『あなたが幽明交通に心懸けて居られるときいた時に私は早速その機会を利用しようと決心したのです。一体多くの幽界居住者は通信をしたがって居ます。途中で通過しなければならぬ霊媒の個性に妨げられてその通信に錯誤くるいが出るのを恐れて差控えるのです。このさい霊媒はかならずしも故意に詐術を行おうとする訳ではありません。むしろ霊媒の先入的意見の為に知らずらず発生する錯誤くるいなのであるから一層始末が悪いのです。ある個所まではこちらからの通信を正確に伝達もするが、やがてそれに対して批評的になり、そのぎにはこちらの通信を変えにかかる。故意に詐術をやるのならそれを止めさせる方法もあるが、自分の意見が正しと信じ切って一生懸命にるものに対してはつける薬が全くないのです。

 われわれ幽界居住者は冷静な態度でこちらからの放送をありのままに受取る人……つまりわれわれの無電の完全な受信装置を求めて居るのです。ところが、今までの経験によれば、そんなものははなはだ少ない……

 一言ここに受信者の心得を述べて置きましょう。受信者の頭脳は打てば響くような敏活さを有っていなければならぬ。ねむそうな、ぼんやりした頭脳では役には立たない。例えていうとそれはこちらの思想をいくらでも注ぎ込むことのできる生きたコップでなければならない。生命は動きそのものであるから、鈍重な鋳型の中にはとても盛られない。

 それからそのコップはあくまで無色透明なるを要する。無色透明でなけれれば、こちらの思想の色彩がはっきりと映らない。

 むろんこの幽明交通なるものは、相互の意志と感情とがピッタリ一致しなければとてもできません。こちらは通信を送ろうと思い、そちらは通信を受けようと思う。それが成立なりたたねばとても駄目です。地上の人達が愛のみを必要条件の如く考えるのは誤りです。宇宙の間には一定の法則があり、その法則にしたがった時に初めて仕事ができます、幽明交通とても決してその選に漏れません。幽明交通の失敗は主として無知識に基因します。われわれの世界では目下その法則――換言すれば幽界を支配する法則と現界を支配する法則とを鋭意研究中です。地上の人達も同じ事を研究すべきです。若しわれわれがトンネルの両端から開掘工事を進めて行けば恐らく雑作もなくこの難問題の解決ができるでしょう。

 ここに熱心なる研究者があれば恐らくそれに呼応する者――換言すれば自から進んで研究の資料たることを志願する者はいくらでも現れるでしょう。無論そうした志願者は現界にも又幽界にも共に必要です。

 私の観る所によれば科学的精神というのは発意忍耐とのふたつの要素から成立して居るらしく思われます。多くの人達が失敗するのはただ発意のみを有っているからであります。これに反して世間の所謂いわゆる科学者達の多くはただ後者のみを有っている。

 研究者は、縦令たとえその実験の結果がはなはだ下らないものであっても決して失望してはなりません。堅忍持久は彼をして次第に経験と熟練とをせしめ、同時に意念の集中は彼の心眼を開かせるのよすがとなる。おこれに比して一層貴重なるは本能であります。これによりて彼はその進むべき方向を直感し、そして前進をつづける中にだんだん洞察力を養って行くのであります。』

 四月二十日の通信はうでした。――

『幽界に住むわれわれが地上の出来事を知るのにはその方法がいろいろあります。らたに死んだ者からきくこともあれば又地上の人達の心を読むこともあります。又る問題はそれが惹き起すところの反響によりて察知することができます。

 天地間の出来事がわれわれに達するのは、地上の人達に達するのとはすこぶる趣を異にします。われわれはすべての出来事を振動として感知するのです

 振動がわれわれに感ずるのは丁度ちょうど人間の五感が、色を感じ、音を感じ、香を感ずるが如きものです。われわれは極めて迅速にわれわれが受取る振動を分析する。そうするとその振動がもたらす所の内容がすっかり判る……。この振動分柝能力こそつまり幽界居住者の感官の働きです。』

四月二十三日の通信――

『近来死後の世界に対する興味の昂進、それもただ死んだ親戚や知己に逢いたいというような感傷的の考からでなく、一般人士の興味が自然にこの問題に向って湧いて来たということはわれわれ幽界居住者に取りてはなはだ愉快に感ぜられます。若し死後の存在が一般に承認せられ、そして幽明間の交通が科学者達の努力によりて正式に確立せらるることになれば全世界の一般常識がる程度まで変動をこうむることになりましょう。この際死後の生存を正式に承認する者の最後は官僚であると思います。政府としてはその既得の利権を無視することはできない。ところが、死後の世界が現世よりも優れ、しかも両者の間に何等なんら根本的の相違がないということになれば恐らく既得権に対する侵害問題が起るに相違ない。これでは政府として保守的態度を執らざるを得ないでしょう。人間の世界に変態現象が発生する原因はここにあります。一方に堂々たる伽藍がらんと資本とを擁するブルブルジョアの既成宗教団があるかと思うと、他方に熱と力とに燃ゆるプロプロレタリアートの神霊論者が居る。ドーせドグマで固めた宗教が事実と真理との上に立脚せる信仰のめに取って代られるのはあきらかですが、しかし空っぽの貝殻だってしばらくの間は依然として地面を塞ぎます

 もちろん、どの宗教の僧侶だって永遠の生命を説かないのはありません。が、それは普通人にはとても寄りつけない理窟の陳列ばかりで、縦令たとえこれに賛成するにしても、ホンのお座なりの賛意を表するより外に途がない。これではとても新時代の民衆を率いる力はないと思います。第一坊さん達が神さまを裁判官と同様に取扱おうとするのはとても腑に落ちかねる点であります。善人には褒美をくれ、悪人には懲罰を加える神様が、それが無限絶対独一の真神……ドーあってもこればかりは承認し兼ねるのであります。われわれが地上の生活を終りてこちらの世界に移り住むのは新たなる機会を与えられる為めであって徒らに地上生活の清算をされる為めでは断じてないと信じたいのであります。』

 四月二十五日の通信――

『家屋は一つ一つ石を積み重ねて造られるもので、一度に出来上るものではない、これと同じく何事もソー手取早くは進行しません。人知れず裏面で行わるる惨憺たる諸準備――それに気のつく者は千万人にただの一人もありはしません。例えばこの地球、最初は一団の火球であったものが次第に準備されて現在の地球となり、それから生命が湧き、性が分れて最後に人類の進化を見た。天則のはたらきは遅いが、しかし確実であります。

 一つの物からぎの物が進化し、一つの時代はぎの時代の準備をする。いついかなる時でもそれが過渡期に属せぬことはありません。肉体の進化と霊性の進化とは常に相伴って起ります。現状に対する不満の念慮――それが人類向上の有力なる一要素です。工夫に工夫を重ね、改良に改良を試みつつある間に物質上の進歩が遂げられ、同時に精神上の進歩が遂げられる。

 人類の辿り来れる筋道を振り返って見る時に、われわれは彼が常に進歩改良の本能的衝動に駆られている事に気づきます。人類の痼疾ともいうべきは現状に対する不満足ということでそれが実に有益な役割を演じて居ります。これあるがめに人間の仕事が辛うじて鋳型に陥まらずに居られるのです。彼の破壊するのは建設せんがめであり。彼のあくせくするのはホンのチョッピリでも改良を加えたいからであります。彼に取りて十分とか十二分とかいうことは絶対にないのです。

 この本能、この不満の本能こそ原始的猿人から克己こっき自制じせいの現代人を発生せしめた原動力であります……』


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