横森家に搦まる因縁譚

横森家に搦まる因縁譚

九、社殿造営の託宜

 昨年秋以来、かね代女の身辺に起りつつあった奇蹟的現象は、右に述べたとおり、世にも驚くべきものでありますが、しかしそれよりも一層重要なりと思考さるるのは、彼女の口を通じて漏らさるる、武田信玄不動明王の託宜と称するものであります。その託宜は、何所までが不動明王の意思であり、何所までが武田信玄の意思であり、何所までが横森市兵衛の意思であり、又何所までがかね代女の意思であるのかは、軽々に断定の限りでありません。心霊研究の立場から云えば、この託宣の内容は相当複雑なものであると考えねばなりますまい。りに不動明王の意思を、無色透明の液体だとすれば、武田信玄の意思は、あの人の生前の行動から考えて、相当濃厚な色彩――例えば真紅しんくの色の液体見たいなものではあるまいかと思われます。

『わが亡き後は、この不動明王の掛軸をこの方の御霊代みたましろと思え!』霊魂のくしびな働きの一端に触れて居るものの眼から観れば、かれの臨終の言葉は、甚だ恐ろしい言葉であります。力量ちからは不動明王の力量ちからでも、その力量ちからの方向は、武田信玄によりて、或る程度まで左右されて居りましょう。換言すれば、ある程度まで、武田信玄の色彩を帯びたる、不動明王の働きということになって居りましょう。市兵衛の霊魂は、んなことを言って居ります。――

『これは極度に負けぎらいの不動明王である。この不動様に祈願すれば、どんな事でも九分九厘というところで、てのひらをかえさしてくださる……。』

『この不動様は、どこまで深謀遠慮に富んで居られるか知れませぬ。不動様がいよいよ落付く場所に落付きなされた暁には、どんなお働きを発揮されるか知れませぬ……。』

 この言葉に、何所どこまで市兵衛自身の色彩が加味されて居るかは、容易に判りませんが、兎に角冷静に考えて、大体さもあるべき事と肯かるる節がないではありません。恐らく律儀者の市兵衛の色彩は、そう濃厚ではありますまい。が、かね代女の口から漏らさるる託宣に就きて、一ばん色彩の加わり方の少ないのは、かね代女自身であるように見受けられます。素直で、無教育で、そして無関心――これが霊媒として、かね代女の最大の身上であります。

 兎に角この託宜の内容性質に就きての攻究は、今後の日本の心霊学界の、大問題の一つであると痛感されますが、然らばこれまで出現した不動明王の託宜の中に、んなのがあるか?

 私は深き仔細ありて、私が聴いた全部を公表するには、時期尚早と考えるものであります。それ等の多くは、充分調査の上で、ボツボツ発表して行っても、決して遅くはない性質のものであります。が、それ等の中に、是非とも至急公表して、大方の指教――少くとも甲州の具眼者の考慮を仰がねばならぬと思わるる問題が、ただ一つ存在します。外でもない、それは一時も早く、穂坂村の横森家の邸宅を取払って、其所に武田信玄の霊なり、又不動明王なりを祀るべき、一大社殿を造営せよとの託宜であります。

 横森市兵衛の霊魂は、かね代の口を借りて、しきりにんな事を述べます。――

『横森家の邸には、ただに大切な不動明王の掛軸が納まって居るという、深い由緒があるばかりでなく、忠義な佐菜山備中守の屍骸も、又武田家唯一の遺児の屍骸も、共にあそこに埋められて居て、言わば切るに切られぬ因縁の土地である。ドウあっても、彼所あそこはあのままには棄て置いてはならぬ。あの大切な掛軸を御本体として、立派なお寺なり、お宮なりを造営すべきである。甲州には、武田信玄をお祀りした神社もないではない。が、それは内容なかみなしの、ホンの形式だけのものである。信玄公の生きた御霊代は、あの不動明王のお掛軸以外には絶対にない。その証拠には、あのお掛軸のあらたかなお働きを見るがよい。人から人へと、三十六年間の流浪の旅の間に、誰の手に入っても、あばれ不動の名で通って居たではないか。自然の理にはずれなければ、んな事でも、あの不動様に所願して見るがよい。必ずその祈願をかなえさせてもらえる……。』

 この霊魂の言葉が、の点まで正しいものであるかは、時日が浅くて、充分の調査が届いて居りません。かね代女に訊いて見ましても、彼女が人に依まれて、不動様に祈願を籠めた実例は、僅かに指を屈するほどだといいます。しかしその僅少な範囲内に於ては、霊験すこぶる顕著なるものがあるようです。彼女の親戚に十一歳になる一人の子供がありますが、生来骨無し児と言われ、ツイ先達まで、大小用とも母親の手に抱かれてして居ました。ところが、今年の一月五日、かね代女は不動明王の託宣に従い、一日に三度づつ、子供に代りて水行を行うこと一ヶ月に及んだところ、右の小児は次第に足腰が立ち、現在では立派に独りで歩行ができるようになったということです。これなどは、たしかに面白い実例に相違ありませんが、しかしその数がいかにも少ないので、もちろん今後の霊験に対して、あやまらざる推定を下すの資料には、すこぶる不充分であります。

 従って横森家の邸に、寺院又は社殿を造営するなどということは、余ほどの研究調査を重ね、又当局との交渉をも経、よくよくということに、衆議が熟し切った上でなければ、決して着手すべき事柄ではないと考えられます。霊魂の指示だとありて、軽々に社殿の造営に着手し、後で物議と誤解とを惹き起した実例は、過去に於て決して少くはありません。兎に角横森家の人達、又武田信玄に深き憧憬を有する甲州の人士は、容易ならぬ心霊上の難問題を叩きつけられたものであります。これが空漠たる夢物語然たる霊告であるとか、宗教的野心のある山師の提案であるとかいうならば、一気にたたき潰して、何の遠慮会釈もりませんが、一概にそんな乱暴な処置も取り兼ねるのが、今回かね代女の身辺に起りつつある心霊事実であります。家伝の重宝として尊重して居た、不動明王の掛軸が、三十六年目に発見されて元の所へ帰って来た。……彼女の年来の難病が、掛軸発見と同時にすっかり平癒した。郷党の間に重きをなした市兵衛さんが戻って来て、生前のとおりに物を言う……。生米と生水ばかりを常食として、すでに半歳以上になるが、彼女の健康状態は、ますます良好になる……。他のすべての諸点が、真偽お不明であるとしても、此等これらの数点のみは、実際の事実であって、とても否定することができないのですから厄介であります。たしかに近年稀有の心霊上の大問題に相違ありません。

 乗りかけた船で、私としても、微力の及ぶ限り、今後引きつづき調査研究の歩をすすめましょう。が、これは到底独力でいかんともすべきでありません。是非とも広く大方諸彦たいほうしょげんの御指教に預かりたいのであります。(大正一五、三、十二)


八、生米と生水との生活

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十、一片の甘藷で死に瀕す


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