横森家に搦まる因縁譚

横森家に搦まる因縁譚

八、生米と生水との生活

 かね代女の奥の奥に控える、守本尊の意思の発現と考えねばならぬような事は、昨年から現在にかけて、すべてに力強く、着々としてかね代女の身辺に続出しつつあります。有りのまま自白しますが、寡聞なる私は、生来まだ一度もかほどに強烈なる心霊事実に逢着したことがありません。

『いよいよ不動明王の掛軸の所在地ありかが判った上は、かね代の難病は即刻になおしてやる。』

 これは昨年八月二十五日の夜、市兵衛の霊魂が取次とりつぎをした託宣でありますが、この託宜には寸分の掛値がなく、それまでブヨブヨになって居た、彼女の全身の水気が一時に去り、同時に今までゾロゾロけていた頭髪かみのけが、いかにくしで掻いてもただの一本もけなくなりました。

『汝は今日から生れ代って、不動明王に仕へる身となるのだ。これからえる毛髪は、ウブ毛と同じものである。少しばかり残っているふるい髪は刈り取ってしまえ!』

 かね代女はその指図通りに、ふるい髪を全部刈り取ったそうですが、現在では右の所謂いわゆるウブ毛が、相当の長さに延びて、房々として居ります。

『不動明王に仕える清浄な身となるにつけては、以後一切火の物ちをせねばならぬ。煮炊にたきしたものは、縦令たとえ湯一ぱいたりと飲んではならぬ。』

 昨年の八月二十六日からかね代女は、固くその命令を厳守すべく努め、主として生の玄米一日に約二合と、生水なまみずとで生きて居ます。副食物としては梨子なし林檎りんご蜜柑みかん少許しょうきょを摂取するだけであります。

 彼女は最近私に向って、その後の模様をく物語りました。――

『わたくしは昨年から引きつづいて、現在に至る約六ヶ月の間、至って変った生活をして居りますが、御覧のとおり、無病息災にさして貰って居ります。お指図どおり、生米と生水とだけで暮らして居りさえすれば、尾籠びろうな話でございますが、便通その他が事の外順当で、何所どこに痛いところも、痒いところもございません。が、矢張りただの人間でございますから、時々は失策しくじったことがございます。長い間大病をした後で、そんなものばかり喰べて居っては、栄養不良になってしまう。――ある時そんなことを親戚の者が申しまして、鶏卵の半熱や、牛乳などをすすめてくれました。人間心で、それもあるいはそうかと考えて、ツイそんな食物をべて見ますと、さァそのあとの苦しみたらございません。胃腸がきりきり痛んだ上に、一たんべたものは全部もどしてしまいました。近頃ではモウすッかり懲りてしまいましたので、お湯一ばいでも戴かぬことに致して居ります……。』

 生の玄米と生の水だけの生活――いわゆる現代の文化生活とは、何という相違でありましょう。これだけでも真に篤実なる医学者の興味ある研究資料ではないかと痛感されます。往年死んだ長南年惠女の不思議な生活、(『心霊文庫』第三篇附録参照)に対比すれば、かね代女の生活は、まだ余ほどの人間味があります。年惠女は、十有余年にわたりて全く絶食絶飲、そして祈願数分にして、数十本の瓶中に、各種各様の霊薬を出現せしめるというような、奇抜な事をりました。かね代女には、そんな離れ業は見られません。どの点から観てもかね代女は、いかにも普通の女らしい人間であります。が、その普通の女が、日常の食物だけ、すッかり常人と違っているのです。しかも年惠女が、すでに故人であるのに反し、かね代女は至極太平無事な面持をして、現に私の住所を訪れたり、丸の内の事務所に顔を見せたりして居るのであります。私は衷心から、他の篤学者の再思三考を促したいのであります。真の意味の心霊現象は、西洋式の物品引寄や、幽霊写真や、卓子浮揚やに限りはせぬと、近頃私はつくづく痛感して居るのであります。

 但しかね代女の現在の極端な火物ひのもの断ちの生活は、永久のものではあるまいと思考さるる理由があります。先般私がこの件に就きて、彼女の直接の守護霊たる、市兵衛老人の霊魂に質問しますと、その返答はうでした。――

『かね代の身体からだを根本から改造するめに、あんな生活をさせて居るのです。あれだけの事をさせませんと、不動様の真の御用をつとめる身になり得ないから、致方がございません。しかしおよそ一年ばかり火物断ひのものだちをつづけますれば、後は大へん楽になります……。』

 彼女の身辺に起りつつある心霊現象は、決して心霊現象のめの心霊現象ではなく、ばん止むを得ざる必要に迫られて、寧ろ心ならずも、涙を呑んで実行させて居る事柄のようであります。ある時期が来れば、当然それは止んでしまいましょう。私は人の聴くと聴かざることに頓着なく、この際世の篤学の士の、再思三考を絶叫して置くものであります。


七、武田信玄不動明王

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九、社殿造営の託宜


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