横森家に搦まる因縁譚

横森家に搦まる因縁譚

六、掛軸の発見と復帰

 一人の六部に盗み去られた不動明王の掛軸が、いかなる経路を取って、浮世を伝々したか? ――これは人間の方からいうと、全然開かれぬ神秘の扉であります。明治二十三年から大正十四年に至る、まるまる三十六年間の行方は、全然一枚の白紙で、どこにも調査の手がかりがないのであります。

 が、心霊能力の活動霊魂の活動からいうと前後三十六年の掛軸の行先は手に取る如く判っているのであります私どもはかね代の神懸りの結果から推定してこれに間違わないものと認めない訳に行かないのであります

 祖先伝来の大切の宝物を盗み取られた市兵衛老人が、当時家族の他の何人よりも、之に就きて心を痛めたのは勿論であります。『先祖に対して何とも申訳がない……。』八十歳の老翁は、その事ばかり思いつめました。もちろん警察署にも捜索願いを出し、その他当時に於て、きる限りの手段を講じましたが、何の手がかりも音沙汰もない。彼は泣きの涙の中に、空しく一日又一日と暮しましたが、その中からだが弱って、翌明治二十四年五月五日に、絶大の怨みを呑んで歿してしまった。

 その当時の状況を市兵衛の霊魂はう述べます。――

『生きている時に、このぢいは泣きに泣いて捜しましたが、とうとうその行方が判りません。くやしい! 済まない! 私はそればッかり思いつめて死んでしまいましたが、いよいよ死んで見ると、信玄公のお告によりまして、何も彼も一遍に判ってしまいました。うなることも、言わば皆深い深い約束事、深い思召おぼしめしがあってのことだということでありますが、しかし私の念願から申しますれば、一時も早く、大切の不動明王を、因縁の搦まった横森家へ取りもどしたい一心……。

『丁度その頃生れたばかりの児が、このかね代であります。私は不動明王の御指図をもって、このかね代の体にきました。かね代の体を使って、大願を果たさなければならないのであります。可哀想にかね代には、随分苦労をさせました。子供の時分から貧しい境遇に育ち、年頃になって嫁入りしてからも、病気のめに戻って来る。……最後に昨年のあの難病……。みんなこの市兵衛が蔭からした仕業でありますこの市兵衛には三十六年間あの掛軸が何所どこをドウめぐッて歩いているかがすッかり知らされて居ました知らされて居りながら時節が来ねば何うすることもできず苦労を重ねて今日に至ったような次第……。』

 市兵衛の霊魂の述べるところによれば、六部と不動明王の掛軸の行先は、ざッとうです。――

 横森家からあの掛物を盗み出した六部は、それを背負ってず信州に行き、信州から静岡に行き、その後又新潟、青森等の方面にも行った。青森では林檎を売っていたこともある。つづいて盛岡にも行った。最後に右の六部は横浜に出で、鈴弁――かの新聞種になった本人――の家に寄食した。そうするうちに、彼はある悪事を働いて、荷揚人足達の怒りを買い、川の中に放り込まれて非業の死を遂げた。しかしその事件は有耶無耶うやむやの中に葬られ、警察問題にはならすに済んだ。うしたことで、一時鈴弁の家に落付いた不動明王は、やがて山憲の手に譲られた。その山憲が又それが自分の実兄――浅草で酒店を営んでいる山田某なる者に譲った。ところがある時、山田商店の若者と葱善(浅草の八百屋)の若者とが、遊興のめに十八円の金子かねの工面に窮した結果、無断で山田商店の掛軸を持ち出して、葱善に預け、十八円の金子かねを借りた。それッきり金子かねを返しに来ないから、不動の掛軸は、当然葱善の所有に復することになった。右の葱善の妻君というのが、即ち現在三河島で不動堂をりしている田中秀蓮である。

 右の霊告の全部が、果して事実であるか否かは、調査の手がかりがありません。が、少くともその後半、横浜以後の事は、ドウも動かすことのできぬ事実のようであります。田中秀蓮という婦人には、私はまだ逢いませんが、兎に角その人が、日頃生命にもかえられぬほど大切にして居た不動明王の画幅を、きれいさっぱりに返すことになった主なる理由の一つは、たしかに神懸りの言が、一々胸にこたえる点があったからだと考えられます。

 よしや他の全部が、真偽不明であるにしましても、明治二十三年十月十日に盗まれた横森家の家宝たる不動明王の掛軸が、三十六年の後によしや於て、東京三河島田中秀蓮という不動信者の手元に発見せられ、そしてその発見の方法が、横森市兵衛と名告る霊魂の憑っている、当時三十六歳のかね代という婦人の霊告による事丈は、動かすべからざる事実であります。

 それがたしかに盗まれた現品に相違ないか? ――これに就きては、そこに一点の疑惑を挿むべき余地がありません。かね代の姉の三千代、兄の金一などという人達は、朧気ながらも、その掛軸につきて記憶して居り、殊に父の市太郎という人は、わざわざ甲州から出掛けて来て、田中秀蓮の前で、その実証を挙げたのであります。今は消してしまってあるが、元は立派に『横市』という記号が附いていたことまで、証拠立てられたのであります。

 若しそれ、それが一部の心理学者の言うように、かね代女の潜在意識の発動ということではないか? ――んなことは問題になりません。かね代女は掛軸の盗まれた翌年にうまれたもので、それがんなものかということは、全然念頭になかったと言います。

 田中秀蓮が、いよいよ右の掛軸を横森家に返すと決定するまでには、英断に当然多少の曲折があったようですが、最後に話が纏まって、いよいよ掛軸が元の甲州穂坂村横森家に送り届けられたのは、実に昨大正十四年十月一日のことでありました。


五、掛軸の盗難

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七、武田信玄不動明王


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