横森家に搦まる因縁譚

横森家に搦まる因縁譚

三、かね代女の神懸

 医者という医者にかかっても、少しも病気が治らず、百計尽きた揚句、彼女は附近の人々の勧めによりて、悩める者の多く辿る路を辿りました。外でもない、七月頃から、ツイ附近の不動様へ参詣することになったのであります。

 少々くどいようだが、後で大関係のあることですから、右の不動の来歴に就きて一言して置きます。堂守は田中秀蓮というおばあさんで、葱善事田中某という人の妻でありますが、今から七八年以前に神憑りとなり、熱心なる不動の信仰に入った人だといいます。が、この不動堂で秀蓮よりも大切――少くともこの問題に、一層密接の関係を有っているのは、秀蓮所蔵の不動明王の画像であります。右の画像は余程の大幅で、中央に不動明王を描き、周囲に三十六童子を描き、軸は黄金、布地きれぢにも同じく黄金の金線が沢山織り込んであって、どんな素人が見ても、一見直ちに余ほどの貴重品であることが判る位の逸品だといいます。さればにゃ、秀蓮も非常に之を尊重し、生命いのちにもかえられぬ宝物だと言って、めったな参拝者には、それを拝まさぬ位にして居たということです。かね代女の神懸りは、この不動明王の掛軸と関連して発展したのであります。

 かね代女と秀蓮とは、以前から面識の間柄でありましたが、今回病気平癒祈願のめに、参拝の度数が重なるに連れて、ますます懇意の間柄となり、八月二十五日の晩には、秀蓮の親切なる勧めに任せて、その堂に宿泊することになりました。

 一旦床に就きましたが、夜半頃不図ふと眼をさましたかね代女は、独り起き出でて、右の不動明王の掛軸の前に跪坐きざして、熱心に不動経、並に般若心経を読誦しはじめました。その間何分間ったのかは判りませんが、いつしか彼女は半恍惚の状態に入ると共に、腹の底から湧き出づる、自分とは全く無関係の音声に、ず自分自身がおどろかされ、つづいて間近にして居た、田中秀蓮がおどろかされました。日蓮宗信者や、不動様信者の間には、神懸り状態になって、言葉くちを切ることを『罪障消滅』と呼んでいますが、心霊研究の立場から言えば、これは純然たる一の憑霊現象であります。この現象が起った結果、罪障の消滅すべき処置方法を講ずれば、それで罪障消滅ということになりましょうが、現象そのものは、畢竟ひっきょう単なる心霊現象で、それが直ちに罪障の消滅とは謂はれないのであります。んな手段と目的とを混淆したような取扱方は、一時も早く修正すべきだと信じます。

 それは兎に角、神懸り状態に陥ったかね代女は、凛々りんりんたる大音声だいおんじょうを張りあげて、彼女の夢想だもせぬ、意外千万な文句ばかり呶鳴どなり出したのであります。――

『われは山梨県北巨摩郡穂坂村に於て、二十八ヶ村の名主なりし横森市兵衛であるぞ。――これなる不動明王の掛軸は、わが家の祖先から伝われるところの貴重の宝物、普通ただの掛物とは訳が違うぞ。――この掛軸は掛軸ながらも言葉くちをきく。納まるところに納まらねば、何人の手にも負えぬあばれ不動であるぞ。――指折り数うれば、一人の六部めに、この掛軸が盗み出されたは、今から丁度三十六年前、かくいう市兵衛は八十一歳、かね代がまだ生れぬ時のことであった。間もなく市兵衛のからだは亡びたが、その魂魄こんぱくはこれなるかね代の肉体にかかり、彼女あれを迷わせ迷わせて、幾度となく病気にかからせ、最後に今度の難病で苦しめたのも、つまりこの病気によって、かね代を不動明王のお傍へ引寄せる手段であった。いよいよ三十六年の宿願を果して、不動明王の所在ありかが判った上は、かね代の病気は即刻になおる。――田中秀蓮どのよく聴いてくれ! かね代が尋ね当てるまで、仮にそなたの守本尊として預けてあったなれど、実はこの掛軸は、深い因縁のある宝物で、横森家以外のものの預かるべき品物でない。一時も早く、きれいに横森家へ返して貰いたい。若しもわが言葉に従わねば、そなたに取りてまことに気の毒なことになる……。』

 以上は、その時かね代女の舌端から迸り出た言葉の、ホンの一部分だけを書いたに過ぎません。実際は二時間許りにわたり、恐ろしい権幕で、滔々とうとうと述べ立てたそうで、他の何人よりも、かね代自身が且つ驚き、且つ呆れ返ったといいます。


二、問題のかね代女

目  次

四、深き因縁の発生


心霊図書館: 連絡先