二つの怪奇な心霊現象

土佐の集団的怪現象

七、余談

 二月二十一日、岩原村の郷廻役から、ぎの書状が役所へ差出されました。それによると、あの荒療治で、大体は鎮まったが、まだ多少余波が残って居る模様なのでした。――『過日の狂乱者六十四人の内より、気分穏かならざる者が、少々発生の模様で、心痛致して居ります。何分地下役を始め、地下人ども、五台山高善院に対する信仰甚だ厚く、是非一度は同人の加持祈祷を受けたいとの念願を抱いて居ります。きては一同同所へ立越し、加持を受けることに致しては、いかがなものでござりましょうか。この儀お指図を仰ぎう存じまする……。』

 役所で評議の結果、人気の転換法として、それも至極かろうという事になりました。

 今回の再発患者というのは総計十四人でしたが、それ等を地下役達が引具して、二月二十四日五台山に赴き、大般若の祈祷を受けました。すると不思議にもそれが効いたものか、一同すっかり正気に返りました。もっともその頃までに、岩原村の村民と、かの長丞との間の仲直りが、すっかり出来ましたので、あるいはこれも大いに与って力あったのではなかろうかということでした。

 三月二十五日、筆録者は散策の途次、五台山高善院に立寄り、雑談数刻に及びました。その際岩原村の怪異談に花が咲き、いろいろの物語りが出ましたが、律師の述べた所説の中には、相当面白いところがありますから、それを紹介することにしましょう。――『すべて加持祈祷というものも、平時と変時とでは、趣きがちがうものじゃ。平常家内安全、息災延命を折るには、常の経文読誦位で事足りるが、かの岩原村を襲ったような、大袈裟な邪気を払うには、不動明王大威神力と唱えた位のことでは、なかなか効験ききめのあるものではない。少くともこの高善院等の法力では、所詮駄目でござる。そうした場合には、矢張り国家の御威福を借り請けるのが近道じゃ。これは祈祷者達のよくよく心得置くべきことで、生中の修法などをやると却って神仏の御名を汚すことになります神仏の御威徳が不足なのではないその御威徳を身に受けて充分に之を発揮するだけの力量が祈祷者の方に備わっていないのじゃ……。』

 敢て卓見というほどの事でもないが、衒気げんき稚気ちきとから離脱した、枯れ切った老僧でもなければ、ちょっと言いかねる文句でしょう。それにつづいて律師は、一の体験諭を試みたが、多少興味があるから、ついでにそれを附記することにしましょう。――

『最早や五六年前の古い話でござるが、あの時この附近の若者達が、三十歳許りの男遍路を、愚僧の許に連れて来たことがあります。暴ばれて手に負えぬというので、乱暴にも縄で右の男の首玉を縛り、丁度犬を牽くようにして引きずって来たもので……。見るといかさま右の遍路は、狐狸の類に魅惑されて居るらしく、キョロキョロウロウロと一向落付きがない。愚僧は篤と思案の末、その者を玄関につくばらせ、金剛杖を携えて参った。……金剛杖で、一つ芝居をしてやれという所思つもりでナ……。

『それから愚僧は、声を励まして呶鳴どなりました。……おのれ妖魔畜生! 汝いかなれば、万物の霊長たる人間に対して障碍しょうがいを致すのじゃ。速かに退散致さざるに於ては、国主の威権をもって、汝輩を遣類なく退治してしまうぞ! 退散するか、退散せんか! こらッ!! ――そう言って拙僧は手に持てる金剛枚をもって、敷居の辺を両三度手強くたたきました。良い塩梅に、こいつが多少効験ききめがありまして、右の発狂者はぴっくりして縁の下へ逃げ込みました。そいつを更に引きずり出し、おも大声にて呵責し、再三金剛杖を振かざして、威しつけましたところ、彼者ますます恐れ戦慄おののき、ドウやら退転の模様が見えますので、その機を逸せず、拙僧はおも跳りかかり、傍らに転がって居た大石を、力任せに杖でたたきますと同時に、彼者は仰向けにひっくりかえりました。

『ドウやら手応えがあったらしく感じましたので拙僧は居間へ立戻って、休息して居りますと、やがてしもべが来て、彼者が只今起き上りましたとの注進。そこで早速縁先えんさきへ立ち出でますと、先刻まで人の見境のなかった遍路が、立派に正気に戻って居たではござらぬか。そして拙僧を見ると等しく、地上に端坐して、一伍一什いちぶしじゅうの身上ばなしを致したものでござる……。イヤ全くもって不思議な次第で……。

『彼者の述べた所はざっとうでござる。……自分は阿波の侍であるが、余りにお恥かしき次第ゆえ、姓名を名来るだけは、何卒大目に見ていただきたい。先年来発狂の身となり、その間、ありとあちゆる秘法を試みましたが、少しく効験なく、とうとう今回両親に附添はれ、病気平癒祈願のめ、四国八十八ケ所の順礼にまかり越した次第でござる。が、何分気が確かでないめ、道中でいつしか両親と離ればなれに相成り、うかうかと他国の遍路達の後について、ここまでまかり越したような次第……。幸に時節到来したものか、今回計らずも貴僧の御威力をもって悪霊退散、ドウやら元の通り意識明瞭と相成り、何と御礼の申上げやうもござりませぬ……。

『右の侍は一夜当院に止宿の上、翌日帰国の途につきましたが、翌年三月にも再び遍路姿にて訪ね来り、阿波の国の名産ども、多分に贈られたことにござりました。まあう言ったような手軽い狂乱者ならば、未熟なる拙僧の力に及ぶこともござるが、今度の岩原村の大騒動、総計六十四人の狂乱者を鎮撫するというような大仕事は、縦令たとえ愚僧を差立てられても、到底無益でござったに相達ない。御役所の威光をもって行ったあの荒療治、それこそ真正ほんとうの祈祷というものでござる……。』

 筆録者の文句どおり、全く『さすがに高善院の権奇けんき』といいたくなります。兎に角彼は略もあり、識もあり、相当のしっかり者だったでしょう。

 これでこの記事は終りですが、最後に筆録者の巻末の附記を原文のまま掲げて、本記録の正しい史実であることの証左としましょう。――

右一部中村の官邸に於いて暇日かじつの折から、故紙の裏に半ばは虫鼠の食となりしを捜し出して、彼を綴り此を削りて書き改むること右の如し。素より邪魅の奇談を書置き候も、諸人の嘲を忌憚はばかり、数年の間そのまま差置候にぞ麁略そりゃくの儀は思い知るべきなり。なおも洩れぬる事、疑わしき事どもは数十人眼の前に見もし聞もしせる所なれば、その人々に尋ね問うべし。決して妄言にはあらざるなり。

   嘉永六癸丑四月二十七日

野島通玄識


六、後始末

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一、明治大正を通じて
の一大奇蹟


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