霊界通信の種々相

人間と心霊界との関係


 左記は二千年前地上に生活したと称する古代霊パワーが、現代入神講演者として、世界的令名を馳せつつある英国の名霊媒、ミューリック・モリス夫人を通して、地上の人類に呼びかけた、大講演の筆記である。その着眼のいかに高邁であり、又その熱情のいかに熾烈であるかを観よ。

 世にも強烈なるは、人間が感覚に対する執着性である。彼等は、言わば五感の奴隷である。眼に見えないもの、耳に聞えないもの、手に触れないもの等に対して、大多数の人間は、片端から、これを無用の長物視する傾向を有して居る。が、この物質の世界は、多くの世界の中の、ただ一つの世界に過ぎない。人間は単に物質の舞台に登場するにとどまらず、他のいろいろの舞台にも、登場せねばならぬ運命を有っているのである。

 私どものように、死の関門を通過したものには、物質的存在と、超物質的存在との、相互交錯の模様がよく判る。宇宙内部は、決してたった一と色の、物質的なもののみを以て成立する訳のものではない。その内面には、物質以上のものが、無数に充満して居り、そして人間は、同時にそれ等のすべてと交渉を有して居るのである。悲しい哉人間の五感は、お粗末千万のお道具であるので、微妙精緻な霊的事実を捕える力がなく、その結果、人世の最大重要事を等閑視して、しばしば取りかえしのつかぬ失敗、錯誤に陥ることにもなる。われわれ具眼者……つまり人間以上の視力の所有者から見れば、全く危くて黙視するに忍びない。そこで、私のような、人間世界に興味を失わないものが、霊媒と称する敏感者を通じて、地上の児孫と交通を開き、以ていささか道案内の役を買って出ることにもなるのであります。

 過去に現われた大導師達と同じく、現代人とても、その心掛次第で、いくらでも心眼は開けて来る。道を求める誠意さえあれば、彼は生きながら、道そのものの体現者となれるのである。すべては心の眼が開くか、開かないかできまる。一たん心の眼が開きさえすれば、濶然かつぜんとして、より大なる世界が眼前に展開し、地上の人類の為めに、深き憐みと、厚き同情を以て、すべて献げることを辞せざる、すぐれた霊界居住者の群との、密接なる交渉も成立する。人間とは、比較にならぬほど立ちまされる洞察力のお蔭で、彼等は地上の人類に向って、いかに近く襲来すべき難局を打開すべきかを指示する能力を備えている。そもそも難局とは何か? 他でもない、それは人類の意念、慾望の集積が作り上げた結果である。すべての人類はうあっても、逃げることのできない、一つの原則――苦難の法則に縛られている。苦難によりて獲得された、貴き経験――これ以外に、人類の解放は、到底望むべくもないのである。

 いずれの時代、いずれの民族間にも、それぞれの宗教があり、又それぞれの導師がある。彼等の表現する真理は皆美しく、彼等のもたらす教には、大なる慾心と、希望とが充ち充ちている。が、悲しい哉人間には、物的慾望と、下劣なる排他的感情とがあり、為めに各宗教宗派の間には、いつしか不和、争闘、猜忌、反感が伴なった。それが従来人類の大なる悩みである。すぐれたる他界の居住者達には、この真相がよく判っているので、彼等は宗教問題に関して、世界の全人類を統一融合せしむべく、最大の努力を惜まないと同時に、人生最大の神秘である所の、『自我』の問題の解決に向って、懇切なる指導を惜まないのである。人間が切実に本具の面目を求むる時こそ、宇宙人生の統一原理――神の観念が、初めてはっきりと捕捉し得る時なのである。

 汝は汝自身の認識力を通じてのみ、外界を知ることができる。甲の観る世界と、乙の観る世界とは、しばしば根本的に相違する。他なし、その観点が全然相違しているからである。汝の使用する機関を通じてのみ人生を知り、人生を理解するのである。従って汝にとりて最大の急務は、ず汝自身を知ることである。自我の神秘を解決し得た時に於てのみ、汝は初めて宇宙人生を語る資格ができる。ここでくれぐれも銘記すべきは、肉体のみが、決して人間の有する唯一の重要機関ではないことである。科学はこの点に関して、すでに有力なる幾多の暗示を与えつつあるが、今後科学の進歩と共に、人間に超物質的エーテル体が具はることは、必ずはっきりと証明されて来る。それはただ時日の問題に過ぎない。人間というものは、一方物質の世界に住むと同時に、他方超物質の世界――換言すれば、感情の世界、理性の世界、叡智の世界にも住むのである。従って人間は、此等微妙精巧なる心の機関につきて、充分の研究、充分の理解を必要とする。何となれば人類は、それ等の機関を浄化し、又活用することによりてのみ、人生千古の宿題たる平和と、幸福とを、地上に実現せしむることができるからである。

 かの地上の人類を悩ました、世界大戦の勃発は、そもそも何に基因したか? 他なし、破壊的思念の集積の結果である。世界の人類は、なほその悪影響の下に呻吟しつつある。果して然らば、思念の世界が、いかに人生に至大の影響を有するかは、極めて明白ではないか! で、何は措いても地上の人類は、ずその心を浄め、破壊的思念に換ゆるに、建設的思念を以てせねばならない筈である。人類にして、つとめてむなくんば、優れたる霊界の居住者達は、右に関する知識を与うるに、決してやぶさかなるものではない。ここに霊界との交通をば、できる丈開拓せねばならぬ最大の理由がある。死の彼岸に住む霊達は、ようやく汝等の隣人である。彼等が何よりも切実に希望する所は、信仰の融合統一である。従来地上の宗教界は、その不和争闘が、あまりにもはげしかった為めに、心ある人士は、ようやく袂をつらねて無神論に走り、又懐疑論に走った。彼等としては、各宗教の信者間に存在する憎みと、怨みとを、正視するに忍びなかったのである。

 この宗教宗派の争が、或る程度、死の彼岸にも続くことは事実である。が、それは地上の執着と、煩悩とから離脱し得ざる、未熟霊の仕業である。霊界の上層に進めば、最高の統一原理――独一の神的実在と、秩序整然たる神霊界の認識が、全般的に行き亘ってしまっている。在来のいずれの大宗教としても、畢竟ひっきょう皆それを捕えてはいるのであるが、ただ程度の深浅、名称の異同等に煩いされた結果、排他主義の奴隷になって了ったのである。一たん這間の真相が、人々の心にひらめくと同時に、人類はここに初めて真の自由、真の解放の域に達し、全面的に大自然の大道理を受け容れることができて来る。

建設と破壊

 現代人の多くは、最早もはや基督キリスト教の教理教条を、そのまま受け容れることができなくなっているが、しかしあの信仰にも、その用途が全然ないではない。多数の善男善女が、あれに依りて、或る程度の安心立命を求め得るのであるから、強いて彼等の信仰を破壊するにも及ばないのである。又いかにこれを破壊しようとしたところで、容易にこれができるものでない。丁度幼椎園の生徒が、簡単卑近なお伽噺で、無上の満足を味ふようなものである。が、無論それが最後のものであってはならない。真のキリストは宇宙的神的キリストであって、断じて地上の一個人の独占すべきものでも何でもない。大自然律の裏には、大自然律の制定者があり、そしてその制定者の下には、それぞれの執行者が控えている。ここに組織が生じ、職分が定まるのであるが、唯物質界の観念を、そっくりそのまま、神霊の世界に当てはめる事は誤りである。超物質界に於て、優れた智慧を獲たものの懐く職分の観念は、物質界の人士の懐く職分の観念よりも、比較にならぬほど深刻である。物心両面の世界を左右する不可思議の威力、これが腑に落ちた時に、初めて高級の霊達の職分が認められ、つづいて宇宙神の実在が認められる。すべて物質界と超物質界とを区別するものは、ただ意識の障壁に過ぎない。意識が拡大すれば、又意識の使用する諸種の媒体が発達すれば、その障壁は立所に撤廃される。勿論死によりて、肉体と物質界との間の交通は止んで了ふ。が、その瞬間に、魂の機関である所の、エーテル体が活動を起して、即座に新らしき環境との交通を開拓する。かるが故に、各自の魂が十二分の発達を遂げさえすれば、あらゆる世界の障壁は、ようやく撤廃され、坐ながらにして顕幽を達観し、三世を通覧することになるのである。

 基督キリスト教の創立者である所のイエス、彼は正にこの宇宙原理の顕彰者の一人に相違ないと思う。ただ今日の人類の知識の程度、又今日の人類の生活の状態は、二千年前とは天地の相違である。ここに指導方針の大変更を必要とする。今後に来るべきは、うあっても、一切の既成宗教宗派に超越し、すべての長所を採り入れると同時に、すべての短所を棄てたものであらねばならない。一つの民族には当てはまるが、他の民族には当てはまらず、一つの階級にはあつらえ向きだが、他の階級には役に立たないと言ったような、そんな偏狭な、そんな融通性のとぼしい教理では、どうにもならない。すべてに共通の、大司宰神の信仰の下に、全人類が融合一致して、意義ある生活を営むことができるのでなければ、われ等の大精神運動――神霊主義の出現の理由が、全然見出されないことになるといえる。

戦雲

 兎に角そう言った大変動は、早晩必ず到来するに決っている。われわれには、その予言ができる。何となればわれわれには、人生の大局を達観し、現在地の世界に低迷する、暗雲の彼方を透見する力が具わっているからである。

 私はさきの大戦が、破壊思想の集積であったと述べた。

 われわれから観れば、又もや地の世界は暗雲にとざされている。が、われわれはそれを眺めて、あえて悲観はしない。何となれば苦難によりてのみ、初めて大なる慈悲が養われ、又苦難によりてのみ、初めて争闘の愚なることが、痛切に人の心に浸み込むからである。地上一切の民族、一切の人種は、この神の大計劃けいかくに参与して、応分の役割を演ぜねばならない。すべて破壊ありて建設立替ありての立直しである人類の進化は単にこの筆法によりてのみ得られる

 諸君はこの神の大計劃けいかくの一分担者であるから、諸君の存亡は、偏にこの神の大理想に順応すると、否とによりて決する。

 記せよ、諸君は一人残らず、宇宙の神的実在の一分子であるから、真の解放の目的が達せらるるまでは、どうあっても苦難を甘受せねばならぬ。で、この際われわれ霊界居住者としての使命は、ひとり世界の各宗教の統一を期すのみでなく、同時に地上の人類に、切実有効なる実行的指針を伝え、以て天下の老若をして、その向う所を知らしめることである。

 印度の釈迦も強調したとおり人間によりて何より大切なことは見性の一事である明智の開発である心眼の打開である。これが単なる口頭禅でなしに、いよいよ実行上に現われたとすれば、古来世界の大導師達によりて顕彰された、神の実在が初めて判り、同時に神の司配の下に、それぞれ経綸の衡に当る、偉大なる神々の指教と、保護とに浴することができて来るのである。現在この未曾有の、大試練の前に立つ地上の人類にとりて、これ以外に、又これ以上に、切実有効なる実行的指針はないと思う。


パワーと語る

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諸君は何を求めて
爰に来れる?


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