霊界通信 新樹の通信 第三篇
三、幽界人の富士登山
或る日母の守護霊さんから、『近い内にあなたの母さんについて富士登山をするから、あなたも御一緒になすっては。』との通信がありました。僕は生前に、一度も富士登山ができずに、こちらの世界へ引越して了った人間なので、この勧誘には、少なからず感興を催しましたが、自分でもいろいろ考え、又僕の守護霊とも篤と相談した結果、母の一行とは別に、僕達二人きりで出掛けることに話がまとまりました。人間の躯に憑って登山すれば、俗界の事情はよく判るかも知れないが、それでは自然幽界の事情にはうとくなり、これも余り感心しない。この際寧ろ、純粋の幽界人として、富士山の内面観察を試みることにしようというのが、僕達の眼目だったのです。従って僕達の方が、母の登山よりも却って二三日早くなりました。何にしろこちらの世界の仕事は、至極手取早く、思い立ったが吉日で、現世の人間のように、ヤレ旅仕度だ、ヤレ時日の打合せだ、と言ったような面倒くさい事は、一つもないのですからね。
ところで、僕の守護霊さんも矢張り僕と同じく、生前一度も登山の経験がなかった人です。乃で今度は思い存分に、登山気分を味ふべく、二人ともせめて現世の人間らしい恰好を造って行こうではないかということになりました。念の為めに、その事を指導役のお爺さんに申上げると、『それは面白いことだ。躯を造って登ることも、たしかに一理あるように思う。』と大へんに力をつけてくれました。
先づ僕達は服装の相談をしました。僕は矢張り洋服姿で出掛けるつもりで居ると、守護霊さんは、しきりに白衣を着るがよいと勧めました。『霊峰に登るには、洋服などは可けない。頂上には尊い神様もお鎮りになって居られる。これは是非清らかな白装束でなければなるまい。』『あなたは白装束になさるが宜しいでしょうが、』と僕は抗議を申立てました。『僕は生れた時代が異いますから、洋服で差支ないと思います。洋服にしないと、僕にはどうも登山気分が出ないのです。まさか洋服を着ても、罰は当らないでしょう。』
とうとう僕は、日頃愛用の洋服を着て行くことにしました。靴は軽い編上げ、脚にはゲートル、頭には鳥打帽という、頗るモダンな軽装です。守護霊さんは、これは勿論徳川式、白衣を裾短かにからげ、白の脚絆に白の手甲、頭には竹笠と言った、純然たる参詣姿です。『こりゃ大分不似合な道連れじゃ……。』守護霊さんは見競べながら、しきりに可笑しがって居られました。
さていよいよ出掛けようとした時に、僕は不図金剛杖のことを思いつきました。仮にも躯を造って山に登る以上、別に憊れはしないとしても、一本杖が要りますね。』そう僕が発議すると、守護霊さんも、『成るほど、そういうものがあった方がよいであろう。』ということになり、乃で、早速お爺さんにお願いし、めいめいに一本づつ杖を取寄せて貰いました。
『この杖は難有いもので、ただ一概に木の棒と思っては良くないぞ。』とお爺さんから注意がありました。『これは魔除けになるもので、汝達にも、矢張りこれがあった方がよいのじゃ。うっかりして悪霊に襲われぬとも限らぬからナ……。』
他にも、僕達が身に付けたものがありました。それは例の楽器で……。守護霊さんは、いつも愛用の横笛を帯にさし込み、又僕はハーモニカを、ポケットにしのばせました。何しろ僕達は、遊山と言うよりも、寧ろ修行に出掛ける意気込みですから、期せずして、二人の心は、日頃精神を打ち込んでいる仕事に向った訳なのです。
仕度もすっかり整いましたので、いよいよ出発と言っても、そこは現世のような、面倒臭い出発ではありません。ただ心で何所と目標さえつければ、すぐ其所へ行っているのだから、世話はありません。僕達の選んだのは、例の吉田口で、ちょっと現界の方をのぞいて見ると、北口とか、何とか刻みつけた石標があったようでした。その辺には、人間の登山者も沢山居り、中には洋服姿の人も見受けました。僕は守護霊さんに、それを指摘しながら、
『御覧なさい、近頃の登山者は斯んな恰好なのです。僕ばかりが仲間外れになってはしません……。』
『成るほどナ、』と守護霊さんも非常に感心して、『近頃洋服が流行ると承っていたが、斯くまでとは思わなかった。これも時勢で致方があるまい……。』
どうせ人間の方から、僕達の姿は見えはしないのだから、何所を通っても差支はない筈ですが、しかし人間と一緒では、何やら具合がわるいので、僕達は普通の登山路とは少しかけ離れた、道なき道をグングン登って行きました。そこは随分ひどい所で、肉体があっては、とても登れはしませんが、僕達は言わば顕幽の境を縫って行くのですから、何やら地面
ぢたを踏んでいるようでもあり、又空を歩るいているようでもあり、格別骨も折れないのです。その感じは一種特別で、こればかりは、ちょっと形容ができません。まァ夢の中の感じ――ざっとそう思っていただけば宜しいでしょう。なに金剛杖ですか、……矢張り突きましたよ。突く必要はないかも知れないが、しかし突いた方が、矢張り具合が良いように思われるのです……。
しばらく登ると、そこに一つのお宮がありました。勿論それは幽界のお宮で、つまり現界のお宮の、一つの奥の院と思えば良い訳です。そこには男の龍神さんが鎮まって居られましたので、僕達は型の如く拍手を打って、祝詞を上げ、『無事頂上まで参拝させて戴きます……。』と御祈りしました。万事現世で行るのと何の相違もありません。
それから先きは一層ひどい深山で、大木が森々と茂って居り、いろいろの禽鳥が囀っていました。ナニそれは現界の禽鳥かと仰っしゃるか、そうではありません。すべてが皆幽界のものです。僕達には現界の方は、偶にチラリと見える丈で、普通はこちらの世界しか見えません。ですから禽鳥の鳴声だって、現界ではきいたことのないのが混って居ます。顕と幽とは、言わば即かず離れず、類似の点があるかと思えば、又大へん相違している個所もあり、僕達にも、その相互関係がよく判りません。うっかりしたことを言うと、飛んだ間違をしますから、僕はただ実地に見聞した丈を申上げます。理窟の方は、何うぞ学問のある方々が、よくお考えください……。
やがてある地点に達しますと、其所には、ごく粗末な宮らしいものが建って居ました。それがどうやら、山の天狗さんの住居らしいので、守護霊さんと相談の上で、一つ訪問する事にしました。僕はお宮の前に立って拍手を打って、『こちらは富士の御山に棲われる、天狗さんのお住居ではありませぬか?』と訊いて見たのです。が、内部はひっそり閑として、何の音沙汰もない。
『ハテこれは違ったかしら……。』僕達が小声でそんなことを言って居ると、俄かに先方の方でとてつもない大きな音がする。何かと思って、びっくりして顔を見合わせている間に、何時何所をどう入ったものか、お宮の内部には、何やらガサコソと人の気配がします。『矢張り天狗さんが戻って来たのだナ。今の大きな物音も、たしかにこの天狗さんが立てたに相違ない……。』僕はそんなことを思いながら、そッと内部をのぞいて見ると、果して一人の白髯を生やした、立派な天狗さんが、堂々と坐り込んで居ました。その服装ですか……衣服は赤煉瓦色で、それに紫の紐がついて居り、下には袴のようなものを穿いていました。言うまでもなく、手には羽団扇を持っていました。
僕達は扉を開けて、丁寧に挨拶を述べましたが、あちらは案外やさしい天狗さんで、
『まァ上れ!』
というのでした。
『イヤただ御挨拶だけさしていただきます。先刻はお不在のように拝見しましたが……。』
『俺は宮の内部にばかり引籠っては居ない。或る時は樹木の頂辺に居たり、又或る時はお山の頂上まで行ったり、これでなかなか忙がしいのじゃ。』
『この宮にはたった一人でお住いですか?』
『イヤ眷族が多勢居る。俺が一つ口笛を吹けば、皆一散に集まって来る……。』
『そんな光景を、一度拝見させていただくと、大へんに結構だと思いますが……。』
『それはちょっと出来ん。……皆用事を帯びて他所に出ているからナ。』
天狗さんは、口笛だけはどうしても吹いてくれませんでした。乃で僕は話題をかえて、
『あなた方から御覧になると、一体僕達は何者に見えますか?』
天狗さんは、最初僕達二人を、普通の人間かと思ったらしく、しきりにジロジロ見て居ました。僕の方でも、成るべくそう思わせるように努め、さも現世人らしく振舞ひました。
が、そこはさすがに功労経た天狗さんだけあって、一種の術を心得て居り、熾んに九字を切って、何やら神様に伺いを立てている様子でした。やがてヅカヅカと僕達の方に近寄り、先づ守護霊さんの両手をつかんで、ぐっと引寄せ、下から上へと躯中を撫でました。つづいて僕の事もそうして見て、何やらにたツと笑いました。
『いかがですか、僕達の正体が判りましたか?』
『イヤ神様に伺ってよく判った。あなた方は、矢張り幽界のもので、修行も相当できているが、今回見学の為めに、わざわざ躯を造って、富士登山をしたものじゃそうナ。俺も最初から、どうも様子が少し変だとは思っていた。何やら妙に親しみがあって、威張りたいにも威張れなかった。地上の人間なら、一つ大いに嚇かしてやるところなのじゃがナ。アハ……。』
『何うぞお手柔かに……。実は僕達は、これでも少しは天狗界の事情を知って居り、随分不思議な術を見せて貰ったこともあります。』
『ああ左様か……。俺にも術があるのだが、この山では禁じられているから駄目じゃ。』
天狗さんは、よほど僕達に対して好奇心を起したらしく、頻りに根掘り、葉掘り、僕達の身元査べをしました。別に隠す必要もないので、僕達も経歴の概略を物語り、二人とも音楽に趣味を有っていることを話すと、天狗さんますます乗気になりました。
『是非あなたの笛をきかせてもらいたい。俺は笛が大好きじゃ。』
『無償ではこの笛は吹けません。』と僕の守護霊さんも、そこはなかなか如才がありません。『あなたが口笛を吹いて下さるなら、私も笛を吹きましょう。』
『こりゃ困った。今口笛を吹く訳には行かぬ。ではあなた方の帰り道に、復立寄ってください。その時に大いに口笛を吹いて、眷族を集めてお目に懸けるから……。』
とうとう笛も口笛もお流れになって了いました。帰りには別の道を通ったので、従ってこの天狗さんとも逢わず、今以てこの話はそのままになって居ります。その中機会があったら、わざわざ出掛けて行っても良いと思って居ります。概して天狗というものは、気持がさっぱりしていて、そして案外に無邪気で、こちらがその気分を呑み込んで交際しさえすれば、頗る与し易いところがあるようです。天狗と人間との交渉は、相当密接なようですから、今後もせいぜい気をつけて、報告することにしましょう。
僕達は天狗さんと別れて、又登り出しました。時々現界の登山者達の方をのぞいて見ましたが、何れも気の毒な位憊れて、気息をはづませて居ました。こちらはその点一向平気なもので、平地を歩くのとさして変りません。『これではあまり楽過ぎて、登山気分が出ませんね。』『脚につけた脚絆の手前が、恥かしい位のものじゃ。』――僕達はそんなことを語り合いました。
森林地帯が尽きて、いよいよ禿山にかかろうとする地点で、僕達は兎も角も岩角に腰をおろして、一と息をすることにしました。
『ヤレヤレ憊れた。どっこいしょ……。』――僕は冗談にそんなことを言いましたが、勿論些ツとも憊れてはしません。こんな場合、現界の人なら莨でも吸うとか、キャラメルでもしゃぶるとかするところでしょうが、僕達にはそれもできません。あつけないこと夥しい。
あまり手持無沙汰なので、一つ音楽でも行ろうということになり、守護霊さんは腰間の愛笛を抽き取り、僕はポケットのハーモニカを取り出しました。これまで僕は何回となく、守護霊さんと合奏して居りますから、近頃はとてもよく調子が合います。できることなら、一度皆さんにきかせて上げたいのですがね……笛とハーモニカの合奏も、なかなか悪くないものです……。
それは兎に角、僕の守護霊さんが、小手調べの為めに、笛を唇に当てて二声三声、ちょっと吹き鳴らした時です、思いも寄らず、何所かコー遠い所から、嚠喨たる笛の音が聞えて来ました。僕達はびッくりして、互に顔と顔とを見合わせました。
『登山者の中に、誰か笛を吹くものがいるのかしら……。』
『イヤあれは人間界の音色ではない。』と守護霊さんは、じッと耳をすませながら、『人間界では、あんな冴えた音が出るものではない。たしか神さんの手すさびに相違ない……。』
僕達は合奏どころでなく、しきりにあれか、これかと臆測をめぐらしましたが、とうとう守護霊さんが統一をして富士山守護の神霊に、その出所を伺うことになりました。すると直ちに先方からお告知がありました。『只今吹奏されたのは、富士神霊のお附の女神である。そなたの笛が先方に通じ、お好きの道とて、うっかり調子を合わせられたものであろう。……』
それと知った時に、僕は有頂天になりました。――
『やァこいつァ面白いことになって来た。守護霊さん、一つ是非その女神さんに、こちらへお出でを願って、合奏していただきましょう。』
『それもそうじゃ。一つあちらへ申上げて見ることに致そう。遠方からの合奏では、何やら物足りない。』
さすがに僕の守護霊さんは、音楽に生命を打ち込んでいる人だけあって、こんな場合には、少しも躊躇しません。早速その旨をあちらに申込んで快諾を獲ました。
待つ間程なく、間近かにさらさらという衣摩れの音がします。見ると一人の女神さんが立って居られました。年の頃は凡そ二十七八、頭髪は頂辺を輪のように結んで、末端を背後に垂れ、衣裳は蝉の羽に似た薄紗、大体が弁天様に似たお姿でした。顔は丸顔、そして手に一管の横笛を携えて居られましたが、それは眼ざむるばかりの朱塗の笛でした。
僕は文学者でないので、うまく表現ができませんから、一つ母の霊眼に見せて置きます。後でよく訊いて見て下さい。兎に角現世では、ちょっと見られそうもない、気高い風采の女神さんでした。
女神さんの方では、よほどわれわれを不審がって居られるようでした。
『先刻は大そうよい音色を耳にしましたが、あれはあなた方がおやりなされたのですか?』
『お讃めに預かって恐縮いたします。』と守護霊さんが恭しく答えました。『私の笛などはまだ一向未熟、とても神さまの足元にも寄りつける程ではござりませぬが、ただ日頃笛を生命として居ります以上、せめては一度お目にかかり、直接お教に与かり度く、勿体ないこととは存じながら、ツイあんな御無理を申上げた次第……。つきましては、甚だ厚かましうございますが、是非何ぞ天上の秘曲の一つを、お授け下さいますように……。』
熱誠をこめた守護霊さんの依みには、女神さんもさすがにもだし難く思われたものと見え、傍の岩角に軽く腰をおろして、心静かに、妙なる一曲を吹奏されました。残念ながら、最初僕には、その急所がよく判らなかったが、そこはさすが本職、僕の守護霊さんは、ただの一度で、すっかり覚え込んで了い、女神さんが吹き終ると、今度は入れ代って、その同じ曲を、いとも巧みに吹いてのけました。
『あなたは、稀に見る楽才のあるお方じゃ……。』
女神さんはそう仰ッしゃって、ひどく感心して居られました。
『只今のは、あれは何と申す曲でございますか?』
僕がそう訊ねると、女神さんはにこにこしながら答えられました。
『これは富士神霊様が日頃お好みの曲で、「八尋の曲」と称へられて居りまする。大そう来歴 の深いもので……。』
この女神さんは、至って口数の少ない方で、細かいことは何も教えてくれませんでした。それで別れ際に、こんなことを言われました。
『あなた方も、いずれ頂上へお詣りであろうから、その際は富士神霊様にお目通りをさせて上げましょう……。』
そう言ったかと思ったら、いつとはなしに姿がプイと消えて了いました。
兎に角、この時の守護霊さんの歓びと言ったら大したもので、女神さんが去られた後で、何回となく「八尋の曲」の復習をやり、僕にも丁寧に教え込んでくれました。お蔭で僕にも、ハーモニカで、立派に合奏ができるようになりました。
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