霊界通信   新樹の通信   第三篇

はしがき


 私が『△△姫の通信』を受取りつつある間にも、同一機関を通じて亡児からの通信は間断なく現われつつありました。前者は、相当長き歳月にわたれる幽界居住者の古い思い出話で、自からそこにまとまりがあり、又一つの見識もありますが、後者は、経験も思慮もとぼしき新帰幽者のその折々の感想、又は見聞の通信で、いずれも断片的、即興的の性質を帯びてり、時とすれば随分稚気に富んだ個所ところもあります。兎も角も私としては、通信の都度、これを記録にとどめて置きましたので、今では数冊のノートブックをふさいでしまい、分量からすればすでに相当なものであります。今後これが何年つづき、そして何冊のノートを埋めることになるか、考えて見れば、私ども父子のきずなは随分妙なところで結ばれていると思われるのであります。

 右のような次第で、亡児の通信の内容は必らずしも発表に適しません。私的関係以外にはむしろつまらないのが多く、又感情から言ってもこれを公表するに忍びないのが多いのであります。私がこの数年間、ほとんど亡児の通信に手を触れなかった所以ゆえんであります。

 が、翻って考うれば、日本の心霊学界の現状はあまりにも貧しく、あまりにもさびしく、心霊学徒が観て首肯しゅこうし得るほどの純真な霊界通信はほとんど何所からも現われていないのであります。はなはだしきに至りては、うした通信の有無さえも知らない者がなかなかに多い。これは、人間生活に取りてまことに多大の損失で、んなことでは、到底正に来るべき新時代の先達たる資格は備わらないと言わねばなりますまい。

 果せる哉、日本の現在の思想界、信仰界は混沌を極め、又日本の現在の文学界、芸術界は低調をつづけてります。公平に観て、現代人士の眼光は、卑俗なる地上生活以外にはほとんどただの一歩も踏み出していないのであります。

 かれを思い、これを思う時に、私はとうとう勇を鼓して亡児の通信に手をつけて見ることになりました。私としては成るべく研究者の参考になりそうなもの、又成るべく悩める人の心のかてになりそうな個所ところを拾い出すつもりでありますが、それが果して読者の期待に添い得るか否かは、自分ながら覚束ないのであります。くれぐれも、これは未完成な一青年からの私的通信でありますから、何卒なにとぞあまり多くを期待されぬよう切望する次第であります。

 昭和十一年七月

淺野和三郎


新樹の通信 第三篇

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一、帰幽後の一仏教信者


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