霊界通信   新樹の通信   第二篇

新樹とその守護霊


 私が新樹に向い、彼の本来の守護霊にきて、初めて問いを発したのは、彼我ひがの間に交通の途が開けてから、まだ幾何いくばくもたたぬ昭和四年七月二十二日のことでした。

問『おまえにも、きっと守護霊が附いてる筈だが……。つまりおまえを指導してくださる、後見人見たいな方が……。』

答『……いてります……。』当時は通信がまだ不完全で、やっと言葉がつながり出した時でした。『五……五人附いてります。』

問『五人……フム大へん大勢ついてるのだね……。一たい一人に守護霊が、そんなに大勢附いてるものなのかしら……。』

 私はいささか不審の眉をひそめて、独り言のようにそんな事を申しました。その時新樹からは、何とも答がありませんでしたが、ただ妻の霊眼には、漢字で『五』の字が極めて鮮明に映じました。

 越えて七月二十五日にも、私は新樹に向って、同じく守護霊問題を持ち出しました。その時の返答で、現在彼についている五名の守護霊は、死後産土神から特に附けられた、臨時の指導者であり、彼の本来の守護霊ではないことが明かになりました。『自分の守護霊の事をきかれると、僕何んだか悲しくなるから、その話はしばらく止めてください……。』亡児はそう言って、之に関する談話はなしを避けるのでした。そう言われては、私も無理に問い詰めることもならず、いつも奥歯に物のはさまったような気持で、とうとう約一年間も、この問題を未解決のまま打ち棄てて置きました。

 そうするうちに、ドウあっても彼の守護霊を突きとめなければ、収まりがつかないことが、ボツボツ起りました。就中なかんずく私をして、飽までこの問題を追窮ついきゅうさせる決心を起させたのは、昭和五年六月十四日の夜、『東京心霊科学協会』の事務室で行われた、龜井霊媒の交霊会に、亡児の顔が現われたことでした。それは余り鮮明な物質化現象ではなかったが、しかし龜井霊媒の頭上約一尺許の辺に、髣髴ほうふつとして現われたのは、まさしく亡児生前の顔に相違なかった。それは私自身よりも、むしろ立会人中の二三人が承認するところでした。

 で、その翌日、私は早速亡児を妻の躯に招び出して、右の事実の有無を確かめました。ところが意外にも、亡児は断乎だんことして右の事実を否定しました。――

『僕、龜井という男の交霊会などに、ただの一度も出現した覚えはありません。僕はお母さんの躯以外に、絶対にかからないことにしてります……。』

 これをきいて、私は少なからず疑惑にとざされました。あれが亡児の仕業でないとすれば、一体何人がそんな真似をしたのか? 龜井霊媒の背後に働いている、印度人モゴールのイタズラか? それとも新樹の背後に控えて、彼の行動を助けている、五人の指導者達の仕業か? それとも又彼の本来の守護霊の所作か?

 私は直ちに、あらん限りの手段を講じて、右の穿鑿せんさくに当りました。ここで一々その手続きを述べることは、余りにも煩瑣はんさわたおそれがありますから、省いて置きますが、兎に角私が最後に到達した見込は、ドウあっても、それは新樹の本来の守護霊の仕業に相違あるまいという事でした。

『こりァドウあっても、新樹の守護霊を呼び出して、きいて見なければならない。』と私は躍起となりました。『新樹は、守護霊の話を持ち出すと、悲しくなると言って、成るべく避ける気味だが、彼も幽界へ入ってから、すでに一年以上になる。いつまでそんな感傷気分にひたってるべきでもあるまい。よしよし取り敢えず、妻の守護霊にたのんで、一つ新樹の守護霊に逢って貰って見よう……。』

 そこで七月二日の夜、私は妻の守護霊をんで、右の旨を述べると、先方は案外気軽に、私の註文を引き受けてくれました。――

『承知致しました。早速これから亡児こどもの守護霊に会って、いろいろいて見ることにしましょう。仔細はいずれ後ほどお知らせします。』

 約十分間ほど経過すると、妻の守護霊は再び戻って来て、いかにも満足そうに、右の会見の次第を報告するのでした。――

『矢張りあなたのお見込どおり、亡児に代って、これまでいろいろの事をしたのは、守護霊の仕業だったそうでございます。これまであの方は、仔細あって裏面に隠れ、わざと新樹にも会わずに居ましたが、時節が来たので、今後は直接新樹の世話をすると申してります……。』

『一体その守護霊という方は、どんな方ですか?』と私は少しき込み気味にたずねました。『矢張り人霊ですか?』

『なかなか立派な、気性の優さしい方でございますよ……。もちろん元は私達と同じく人間でございます。しかし私などより、ずっと後の時代の方で、生れた時の年号はたしか享保、とか申すそうでございます。あの方の経歴について、私も一と通りの事はきいて存じてりますが、私から申上げたので面白くございません。何卒直接御本人をおび出しになって、おききくださませ……。』

『むろん妻のからだにかかれるのでしょうネ?』

『それはかかれます。しかし御本人は、まだ一度も人間の躯にかかって、通信したことがないので、少々心配だと申してります。まァって御覧なさいませ。』

『新樹は守護霊の事を言われるのが、何やらつらいような事を申してりましたが、別に差支えはないでしょうネ。何ならあなたから、一言亡児によく言いきかせて置いて戴きたいですが……。』

『宜しうございます。ナニ時節が来たのですから、モウ心配はございません。これからあの児は、だんだん自分の本当の守護霊と一緒になって、働くことになるでしょう。』

『時に』と私は一考して、『現世にた時の守護霊の姓名は、何というのでしょうね? 招び出す時に姓名が判っていないと、何やら勝手が悪いですが……。』

『姓名でございますか……。承知致しました。しかし言葉で言ったのでは、しも間違うとけませんから、この女の眼に見せて置くことにしましょう……。』

 そう言ってから、ものの一分とも過ぎぬ時に、妻の閉じたる眼の裏には、白地に極めてくっきりと黒く浮き上りて、

『佐伯信光』

という四文字が現われたのでした。


 私がいよいよ亡児の守護霊を呼び出したのは、それから数日を過ぎた七月八日の午前でした。左にその日の問答を、ありのままに記述することに致します。

問『あなたのお名前は……。あなたは新樹の守護霊さんですか?』

 例の如く私は潮時を見て、そう切り出しました。

答『わたくしは……わたくしは……わたくしは……』

 先方は非常に昂奮の模様で、数回同一文句を繰り返しました。唾液つばきが喉につかえて、旨く言葉くちがきけない模様でした。それでもようやく『わたくしは……佐伯信光……と申すものでございます。』

問『イヤよくお憑りくださいました。あなた様が亡児の守護霊さんだったことは、近頃ようやく承知致しました。あの児の肉身の父として、厚く御礼を申上げます。――いろいろお訊きしたいと思うことがございまして、今回お呼び立て致しましたが、何卒どうぞお差支なき限りは、御通信を願いたいもので……。』

答『承知致しました。が、何分にも私はまだ弱輩の身で、果して充分の通信をお送りする事ができますか、うか、いささか心懸りでございます。新樹の守護霊と致しましても、こんな未熟のものでございますから、はなはだ力量が不足勝ちで……最愛のお児さまを、ああいう事に致しまして、私と致しましても、まことに面目次第もないことでございまして……。』この間せかえる泪の為めに、言葉がしばらくしどろもどろになりましたが、やっと気を取り直した風で、『しかし、これもうぞ定まった天命とお思いになり、うぞおあきらめをお願い致します。私とても同様に、早く現世このよを去りましたもので、従ってさしたる修行を積んだものではございませぬ。しかし今後は、充分新樹を助けて、活動を致しまして、御研究の御手伝を致し、せめてもの埋め合わせを致し度く考えてります』

問『それでは早速伺いますが、一たいあなたは、どちらのお方で、又いつ頃の時代にお生れでしたか?』

答『私は名古屋の藩士で……。身分は大したものでもございません。生れた年は、たしか享保五年と記憶しますが……。一体こちらでは、年代などは一向用事のないもので、従ってそれ等の記憶は、だんだん薄らいでまいりますが、たしか享保五年であったと存じます。そして死歿致しましたのが寛延元年、私が二十九歳の時でございます……。』

問『あなたはその間、ずっと名古屋にお住居でしたか?』

答『イヤ名古屋に居住致しましたのは、二十三歳の時迄でございます。元来私は幼少の時から、少しばかり文学を好みまして、最初は文学で身を立てんと致しましたが、そのうちだんだんと音楽の趣味が加わり、むしろそちらの方面で身を立てようと心得まして、それには名古屋では、思う通りの師にも就けませんにより、江戸へ上ったような次第でございました。』

問『音楽はどんな種類のものをおやりなされたか?』

答『笛でございます。江戸へ行ってからは、その道のすぐれた師につき、いろいろ苦心を重ねましたが、お恥かしいことには、音楽者として充分上達もせぬうちに、空しく早世してしまい、私としても、残念至極に存じました。で、新樹の守護霊を命ぜられた時には、あの児を音楽の方で身を立てさせようかとも、一時は考えたこともございますが、ドウもあの児は、私ほど音楽が好きではございませんでした。又時代も時代でございますから、とうとう断念して、余り音楽を勧めないことにしました。それでも私の感化で、多少は音楽が好きであったように見受けました……。』

問『あの児の音楽趣味は、あなたの感化だったのですか。』

 と私もいささかびっくりして叫びました。『新樹は一体多趣味の男で、文学も好き、絵画も好き、運動も好きという塩梅でしたが、わけても音楽に対しては、ちょっと素人離れのする位の理解と趣味とを有ち、ことにハーモニカの吹奏は、手に入って居ました。守護霊と本人との関係は、そんなにも密接なものと見えますネ。』

答『左様でござりまする。人間の性格趣味の約七割位は、その人の背後に控えている守護霊の感化でござりまする。で、新樹という人物は、よほどの程度まで私に似てりましたが、ただあの児の方が、体格は遥かに私よりも優れてたように思いました。あの児が、よもや彼様に早世しようとは、夢にも思いませんでござりました……。』

問『するとあなたにも、当人の死は矢張りお判りになりませんでしたか?』

答『死という事は、われわれ守護霊にも、その間際まで教えられないのが通例でございます。ずっと上の方の神さまにはお判りになっていられるでございましょうが、われわれの境涯では、とても判るものでございません……。』

問『イヤ話頭が大分飛んだ方面へ飛びました。後へ戻って、すこしあなたの御経歴を伺わせてください。――あなたはただ音楽の修行をなされた丈で、どちらにも仕官というようなことはなさらなかったのですか?』

答『イヤ未熟ながらも、その道で将軍家に仕えました。』

問『御家庭は作られましたか?』

答『生涯に一度も妻帯は致しません。』

問『あなたの父母兄弟は?』

答『私の両親は早く歿みまかりましたので、私は幼時の際から、親戚の手で育ちました。兄弟は三人、一番上が姉、その次が兄、その兄が家督をぎました。私は三番目の末子でございました。』

問『あなたの信仰は?』

答『私の家では代々神道でありました為め、私も神さまを信仰致してりましたが、別にこれぞという深い理解を有っていた訳ではございません……。』

問『あなた方の時代の学問は?』

答『主に漢学でございます。それに少しばかり国学の方を加えた位のもので……。全体私は余り躯が丈夫な方でございませんので、充分身を入れて、蛍雪の苦を積むというほどの修行は致しませんでした。』

問『あなたはどんな病気でお亡くなりになられましたか?』

答『平常から私は心臓が弱かったので、別に床に就いて寝るような事もありませんでしたが、ドウも他の方々のように、活発に働くことができなかったのです。私の生命いのちりの病気も、結局その心臓でした。が、その当時私は急死したらしく、少しもその際の記憶が残ってりません。どの位って正気がついたものか、私にはとんと判ってりません。初めて幽界で気がつきました時は、丁度夜が明けて、眼が覚めたのではないかと思いました。』

問『ドウして死んだという自覚ができましたか?』

答『私の守護霊さま……その方はいつも四十位の年輩にお見受けされる方でありますが、その方がいろいろ私の面倒を見てくださいましたので、すぐに自分は死んで、ちがった世界に来たのだナ、という事が判りました……。』

問『その後幽界に於けるあなたの御修行はどんなものです?』

答『判らんことがありますると、皆右の守護霊さまに伺います。こちらで一番の難問題は、矢張り執着を棄てることでございます。私としても随分つらい、悲しい事がございましたが、一生懸命修行によりて、それを忘れるように努め、只今では少しは汚ない念慮ねんりょが失せて参りました。これでも人の守護霊となりますのには、よほど心をしっかりともって、向上の心掛けがないとなりませんもので……。』

問『それは大きに左様でしょう。――あなたはそちらでどんな住宅にお住みになられています?』

答『こちらの住宅というものは、御承知の通り、本人の性情に合ったものでございます。で、私の住宅は矢張り笛の響きがうまく立つような、天井の高い作りで、……別に装飾などの必要はありませんが、ただ天井が高くて、室も相当広くないと、響きが立ちませんので、その点だけは充分注意して造られてります。私には山水の景色だの、贅沢な装飾だのというものは少しも用事がございません。その点新樹の住宅と同様で、ただ私の住宅の方が、ずっと広々としてります……。』

問『そうすると、あなたは幽界へ行かれてからも、盛んに笛をお吹きなさるか?』

答『時々は一心不乱に笛を吹くこともございますが、不図ふとした調子で、全くらなくなることもございます。こんな道楽ばかりしていてはならないというような気がしまして、しばらくは全く笛などは無きものにしまして、静坐して精神統一の修行に浸るのです。それを致しませんと、決して向上ができませんので……。』

問『一体あなたは、新樹の幾歳の時から守護霊になられましたか?』

答『あの児が六歳か七歳かの時と思います。』

問『なァーるほど!』と、私はおぼえず感歎の声を放ちました。

『考えて見ると、あの児の幼少の頃は可なり乱暴な、どちらかというと、軍人向きの性質のように見えました。ところが、だんだん生長するに連れて、だんだん優さしい気性になり、後には絵だの、音楽だのの好きな優男になりました。矢張りあなたの性格趣味が感応して行ったのでしょうネ。』

答『あるいはそうかも知れません……。前にも申上げました通り、守護霊の感化は、普通六割にも七割にも達するものでございますから……。』


 ここに至りて私は、いよいよ日頃心にかかっていた疑惑の中心に触れた質問に取りかかりました。――

問『さて折入って一つお訊ねしたいのですが、これまで亡児の知らぬことで、蔭からあなたがその代理をつとめられたことがおありですか?』

答『ハイ』と守護霊は低い、しかしきっぱりとした語調で、『時々は左様な場合もないではございませぬ。』

問『第一に新樹が死んだ当日のあの通報しらせ――悲しい電報が着く約三時間以前に、大きな火の球が、鶴見の自宅の棟に現われましたが、あれはあなたのお仕業ですか?』

答『ハイあれは私が致しました。本人にはまだ何の働きもありませんから、ああした場合には、大抵その守護霊が代理をつとめるのでございます。』

問『それから昨年の三月五日、大連で告別式を営みました際に、洋服をつけた新樹の姿が現われて、脱帽して一々会衆に挨拶するのが、一二の霊視能力者の眼に映じました。あれもあなたのお仕業ですか?』

答『ハイ、あれも私が致しました。新樹は大へんよく勤めた児で、上役の方からも、又同僚の方からも非常に信用され、心からその夭折を惜まれました。それだによって、その告別式において何のしるしもなく、そのまま平凡に終ったとありましては、余りにわたくしとして可哀想に感じましたので、新樹になりかはりまして、私が一と通りの挨拶をしたのでございます。』

問『本年六月十四日の夜、龜井という霊媒の交霊会を催した時、新樹の姿らしいものが現われましたが、あれは誰の仕業ですか?』

答『あれも私の致しました事でございます。新樹は一図にただ母親のみにかかりたがってりますので、印度人の方から出て貰いたいとたのみましても、それはあの児の方に響きません。私にはその事がよく判ってりますので、代理で姿を現わすことに致しました。モゴールという印度人のたのみも、もともと別に悪意から出たのではなく、むしろ霊界の事を知らせるのには、はなはだ有益なことと思われましたので、思い切ってあんな真似も致しました。私からも早速、新樹にその次第を言いきかせて置くことに致しましょう……。』

問『いヤ大変事情が明かになり、日頃の疑団ぎだんが氷解したように感じます。して見ると死の直前、直後、又その瞬間等に於ける死の予兆というものも、大部分守護霊の働きと考えればよろしいようで……。』

答『全部そうだと申すことはできますまいが、その七八割乃至八九割は、守護霊の働きでございます。尚ほ他の方々につきて、充分おしらべを願います。未熟者の私が申すことに、誤謬ごびゅうがないとは限りませぬから……。』

問『最後にモ一つ私の問いにお答えを願います。――何故あなたは、これまで新樹から離れてられたのです?』

答『それはういう次第でございます。誰しも帰幽後しばらくの間は、少し厳びしくしてやらなければ、なかなか執着が抜け兼ねるもので、それには本人の守護霊よりも、モ少し年代を経た、経験の多い方々が、指導される方が効果が挙ります。で、誰しも帰幽した当座は、その守護霊が蔭に隠れて、出て来ないのが普通であります。ことに私などは弱輩の身で、そこには必ず手落もあるだろうと思いまして、かたがた成るべく永く蔭にかくれてることに致しました。しかし、時節がまいりまして、いよいよかく名告なのりを挙げました以上は、最早もはや逃げも隠れも致しませぬ。私の力量ちからの及ぶ限り、お手伝を致しますから、何卒どうぞ御遠慮なく御尋ねしていただきます。そうすることが、新樹の勉強になると同時に、また私の勉強にもなります。又私の力量に及ばぬことは、これまでの老巧な指導者達をはじめ、上級うえの方々にお尋ねしてお答え致します。イヤこちらの世界の事は、探れば探るほど奥が深く、ちょっとやそっとでは、とても御返答はでき兼ねるように感じます……。』

 この日の問答は、これで終りましたが、時計を見ると、約二時間ばかりこの問答にかかって居ました。(五、八、三一)


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乃木さんと語る
(一)彼岸の調査


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