霊界通信 新樹の通信 第一篇
(八)一週忌前後
光陰の経つのは迅いもので、前後五十幾回かの招霊を重ねている中に、早くも新樹の一週忌の二月二十八日が近づきました。
心弱いとお笑いになる方があるかも知れませんが、その日が近づくと共に、彼の父も母もドーしても亡児の霊を招び出す勇気が起りませんでした。
『とうとうあの児の紀念の日が近づいて了った。大分あきらめがついたようでも、あの児は矢張りありし日の事を追憶して悲んでいるだろう……。』
そう考えるとツイ気おくれがして、昭和五年の二月十六日に招んだきり、一時ぱったり招霊に遠ざかって了いました。
その中二十八日が来ましたので、当日は自宅でホンの内輪の縁者のみを招いて心ばかりの祭事を執行し、いささか亡児生前の面影を偲び合いました。同時に彼の臨終地たる大連に於ても、亦彼が生前お世話になった古河電機の方々をはじめ、多くの友人達が集まって盛んな追悼祭を営んでくだすったと承りました。
『斯んな事はきっとあの児の方に感応しているに相違ない……。一つ思い切って招び出して様子をきいて見ようかしら?。』
三月も十日になった時に、彼の父は初めて亡児に逢って見る気になりました。彼の母も漸くそれに賛同しました。
『では坐って見ましょうか……。』
間もなく彼女の躯は、例の通り亡児生前の姿態そのまま、少し反り気味になりましたが、心なしか、今日は少しその様子が沈んでいるように見受けられました。やがて言葉が切れました。――
『新……新樹です……。しばらくでしたね。』
『イヤ大変どうもしばらくだった。少し取り混んで居たものだからゆっくり坐って居る隙がなかった。幽界に昼夜の区別がないと言っても、時日の長い短いぐらいの観念はあると見えるね?』
『そりァお父さんありますよ。今度は大分ゆっくりだナ、と僕そう思っていました。』
『それは大へん済まなかった……。近頃汝の方に何か変ったことはなかったかい?』
『別に大したこともありませんでしたが、ただこの間僕の方に非常に強く感じて来ることがあって閉口しました。いろいろの人がしきりに僕の事を思ってくれている……それがひしひしと僕の方に感ずるのです。で、こりァきっと僕の命日がめぐって来たのに相違ない。僕が死んでモー一年になるのだ……そう僕は感づきました。そんなことがあると、僕の方でもツイ現世の事を想い出して困りました。可けないと知りつつツイ地上生活が眼に浮んで……。
』
いつの間にか大粒の涙がポロリポロリと彼の母の両頬に伝わるのでした。
彼の父は成るべく平静な態度で談話をすすめました。『実は今日は三月十日で汝の一年祭は十日以前に済んだのだ。伯父さんだの、伯母さんだの、ホンの内輪の者ばかり招んで、神主に祝詞をあげてもらったのだが、それが汝の方に通じたと見える……。』
『何やら遠くの方で祝詞のようなものを感じました。そしていろんな人がしきりに僕に逢いたがっているのです。そんな時は僕だって矢張り逢いたいのです……。』
『汝の執着が薄らぎさえすれば、それにつれて現世がだんだんはっきり見えて来るのだから、そう悲観したものじゃないさ。まァゆっくりやるさ。』
私は軽く受け流して置きました。亡児の態度にもだんだん落付が見えて来ました。
『僕の宅の方も何ですが、その頃大連の方にも多勢集まって居るように感じました。いろいろの人達がガヤガヤと僕の名を呼んだり何かしているのです。余り細かい事は判りませんが、何にしろ僕の事をしきりに追憶してくれている事はよく通じました。大連には僕の友達の青柳も居るようでした。青柳はモー帰って来たのでしょうか?』
青柳君は満鉄の社員で、予ねてロンドンに留学して居たのですが、二月の末には任地に帰って来ていたらしいのです。青柳君が旅行免状の手違いで、ロシアの官憲に一時抑留された話は、当時の新聞電報にも載って居ました。
『さァ俺もよく知らないが』と私は答えました。『二月二十八日頃には多分大連へ戻って来て居たのだろう。帰って居れば、汝の追悼会には必らず臨んだ筈だ。ロンドンでもしきりに汝の風評をしていた位だから……。』
『そうでしょうね。僕にはたしかに青柳が居るように感じられたのです。あの男にはお父さんもロンドンで大へんお世話になったそうですね。』
『イヤ大へん世話になった。青柳君は、ロンドンで新樹君と一緒だと面白いがなア、としきりに言って居たよ。』
『そうでしたろう。そんな話をきくと僕、まだ残念だという気がします。可けない事と知りつつドーも現世の執着が容易に除れ切れないで困ります。』
『無理もないが、しかし男らしくあきらめが肝腎だ。そんな話はモーこれで止めるとしよう……。』
『ではお父さんから、大連の皆さんに宜しく言ってあげてください。お祭りをしてもらって、非常にうれしかった、とそう仰っしゃってください。』
『承知した。』
私達の対話はそれでちょっと中絶しましたが、しばらくして亡児の方から切り出しました。
『実はね、お父さん』と彼は割合に快活な語調で『僕あの時分、余んまりくさくさしたものですから、思い切って散歩に出て見たのです。序でにその話をしましょうか?。』
『幽界の散歩――そいつァ面白い。話して貰おう。』
『こちらの散歩は現世の散歩とは大分気分が異います。僕はどことあてどもなく、あちこち歩いて見たのですが、イヤ何とも言われない、のんびりした感じでした。行ったのは公園見たいな所ですが、少しもせせこましいところがなく、見渡すかぎり広々としていて、そして一面にきれいな花が咲いている。それ等の花の中には、生前ただの一度も、見たことのないようなのもありました。その色がいかにも冴えざえしていて、地上の花とはどことなく異うのです。で、幽界の花にも矢張り根があるかしら……僕そう思ったので、一本の花を手で弄って見ましたが、根は矢張り張っているものらしく、なかなか抜けなかったです。』
『面白いねどうも……。汝その花を摘んでは見なかったのか?。』
『イヤ摘んで見ました。そしてそれを自分の室に持って帰って花瓶に挿し、幽界の花が何う現世の花と異うかを研究して見たのです。僕達の世界には昼夜の区別がなく、従って日数を申上げる訳にはまいりませんが、花瓶の花は別に水を与らなくてもいつまでも萎れないのです。ちゃーんと立派に咲き匂っているのです。其所が地上の花と大に異う点ですね。ドーも僕が花を忘れずに居る間は、花はいつまででも保存されていたように思いますね。その内、僕はいつしか花の事を忘れて了いました。不図気がついて見た時にはモー花は消え失せていました。僕にはそれが不思議でなりません。あの花は一たい何所へ行ってしまったのでしょう……。』
『さあ俺にも判らんね、幽界の花の行方は……。兎に角そいつは大変面白い研究だった。花を摘む時の具合は地上の花を摘むのと同じだったか?。』
『同じでした。茎がポツンと断れる具合が些しも変りませんでした。』
『時に、汝の行った、その広い公園には誰も人が行って居なかったか?。』
『最初は誰も見かけませんでした。僕一人で公園全体を占領したようなもので、実にのびのびした良い気持でした。第一、いくら歩いても暑くもなければ、寒くもなく、又少しも疲労を感じないのですからね。そうする中に不図、僕の歩るいて居る背後から、二人連れの男女がやって来ました。男は二十二三、女は十七八で、どちらも日本人です。僕が言葉をかけようかと思っている中に、二人はツーッ! と向うへ行って了い、碌に顔を見る暇もありませんでした。僕は何だか少し飽気なく感じたので、今度誰か来たら話かけて見ようと思いました。幸に其所に一脚のベンチがあったので、僕はそれに腰をおろして、人の来るのを待ちました。するとしばらくして、十五六の男の児が出て来ました。僕は非常にうれしかったものですから、丁度生前やったようにその小供に言葉をかけました。小供の方でも歓びましたが、しかしよほどびっくりしたものと見え、何とも返事をしないのです。その児は可愛い洋服を着て、半ヅボンを穿いていました。しばらく僕の傍に腰をかけている中に、ようやく談話をするようになりました。いつ幽界へ来たかと訊いたら、モー随分以前に僕は死んだのです、と言っていました。よほど家柄の生れらしく、なかなか品位のある児でした。僕は、爰で又逢うからその内出て来玉へ、と言って置きました。左様なら、と言いも終らぬ中にその児の姿は消えました。そんなところは非常に飽気なく、何んだか頗るたよりないのが幽界の生活の実状です。慣れないせいかも知れないが、僕にはまだまだ地上の生活の方がなつかしいです。現に地上の人達は僕の一週忌を忘れもせずに、多数集まって懇ろに追悼会などを催してくれるのですからね……。』
亡児が再びしめり勝ちになりそうな模様なので、私は急いで話頭を他に転じ、数分間よもやまの話を交換してその日の座を閉じたのでした。
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