すでに申上げたとおり新樹が彼の母を通じて兎も角も通信を開始したのは、昭和四年七月の半ば頃でしたが、通信とはホンの名ばかり、
問『
答『着て居ます……白いキモノ……。』
問『飲食を
答『
問『睡眠は?』
答『睡眠もいたしません……。』
問『
答『ありません、
これが七月十七日の問答筆記で、その末尾に次ぎのような筆者の注釈が附いて居ます。――
『この日の通信の模様はよほど楽になった。自分が「昨年の今日は、
七月二十五日、第八回目の通信の記録を見ると、モー幾らか進境を認めることができます。左にその全部を掲げます。――
問『私達がここに
答『ちょっと、何にかその、ふるえるように感じます。
問『わたしの述べる言葉が
答『言葉が聞こえるのとは
問『私に限らず、誰かが心に思えば、それが
答『感じます……いつも波見たいに響いて来ます。それは眼に見えるとか、耳に聞えるとか言ったような、人間の五感の働きとは
問『生前の記憶はそっくりそのまま残って
答『記憶して
問『満鉄病院へ入院してからの事を少しは覚えているか?』
答『入院中の事、それからドーして死んだかというような事は全然覚えていません。火葬や告別式などもさっぱり判りませんでした……。』
問『
答『僕自身は何も知りません……。今守護霊さんに伺ったら、全部守護霊さんがやってくだすったのだそうです……。』
問『いつ
答『伯父さんに呼び起された時です……。』
問『あのまま放任して置いてもいつか気がつくかしら?』
答『さあ……(しばらく過ぎて)只今守護霊さんにきいたら、それは本人の信仰次第で、真の信仰のある者は早く覚めるそうです。信仰のないものは容易に覚めるものではないといわれます。』
これが当日の問答の全部です。例によりてその末尾には筆者の註釈がついている。――
『右の問答後、妻に
初期の通信の標本紹介はこの辺で打ち切り、
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