附録 長南年惠物語

五 年惠女の大阪入り

 監獄署に差出した証明願は空しく却下され、それによりて姉年惠の奇蹟を天下に公表せんとした長南氏の計劃けいかくここに一頓挫を来しましたが、しかし一且心霊に目覚めたる同氏は、それしきの事でその計劃けいかくを放棄しようとはしませんでした。氏は考えました、姉の神懸りは別としても、単に両便不通、絶食絶飲等の生理的現象だけで優に学界の研究材料とするに充分である。それには不取敢とりあえず姉を帝国大学に提供して見るのが順当であろう――そう思いまして、東京の井上圓了博士などとも相談の上、その手続を執らうとしたのでしたが、事情ありてその計劃けいかくまた実行されずに過ぎてしまいました。長南氏おさなみしは語りつづけました。――

『私の姉というのは、前にも申上げました通り至って無邪気な、まるで赤児のようなもので、何とでもひとの言いなり次第になります。所が、んな霊覚者の周囲には、一方に正直な善人も集まりますが、他方には又物の道理の判らない、頑固ながた連中やら、神をダシに使おうとする宗教策士達やらが兎角とかく集まって来たがるもので、それ等は研究とか実験とかいう事には常に極力不賛成を唱えます。姉の場合においても矢張りそうで、取巻連が無邪気な姉を動かして、うしても東京へ出ることを承諾しないのには弱りました。

『で、私はがっかりして一旦大阪へ引返しましたが、姉の不思議なからだを学問研究の対象としたいという念慮は抑えんとして抑うるに由なく、何とかして素志を貫徹しようと脳漿を絞った結果、とうとう私は伊勢参宮を口実に一と先姉を大阪に呼び寄せ、その上で京都大学に連れ込む計劃けいかくを樹てました。

『この計劃けいかくは私の思う壷に嵌りました。姉も伊勢参宮は年来の希望でありますし、又周囲のものどもも之に対して不服を唱うべき理由を発見し得ません。とうとう明治三十三年の春、姉は山形を立ち出で梅田の停車場へ姿を現わしたのですが、姉を取巻いてる三四の頑固連はどうしてもその身辺を離れず、御苦労にも大阪までいて来たのには驚きました。

『兎も角も、首尾よく大阪へ出て来るには来ましたが、姉がまだ到着せぬ先から、不思議な神女が来るという風評うわさが私の友人からその友人の、その又友人にも伝わるという有様、私の空堀からほり町の住居は、たちまち病気直しを頼む人やら、伺いを立てる人やらで、朝から晩まで雑沓するようになってしまいました。うなりましてはなかなか予定通り京都大学へ連れて行く隙とてもございませんでした。イヤうも心霊方面の仕事となると騒ぎが大きくなり勝ちで困ったものです……。』


四 鶴岡監獄支署の
事実証明

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六 霊水忽ち壜中に湧く


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