続幽魂問答

五 地理の穿鑿

宮崎。さて前に戻りて問い申し度し。其許そこもとは先刻話されたる博多のみなとより、直ちに当地に来られしや。

幽魂。博多より当地に来る間には度々川を渡りたり。姪浜という地より此所ここに来る船ありとききし故に、出船の時刻に遅れじと急ぎたれば、途中の事は目に止まらず。地名とても尋ねざればくわしくはおぼえず。

宮崎。博多の津と姪浜との間には家は無かりしか。

幽魂。道のそばには無かりしが、遠くには四五軒も見えたり。

 この時山本氏が福岡という地は無かりしやと問いましたが、主人傳四郎及び吉富の両人が、側から、福岡は慶長後の市街なれば、泉氏通行の時には無かりしならんと注意し、その話はそれで止みました。

宮崎。姪浜はいかなる地にて家数は何程ありしや。

幽魂。塩焼きを業とせる貧しき里にて、家数凡そ三十軒ばかりもあらむと見えたり。其所そこの渡しを過ぎ、少しく来て又渡船に乗りたり。

宮崎。その渡しは川なりしか。

幽魂。イヤイヤ大河に似たる海にて、南北は山々なりしが、渡り終えて上陸せし所よりこの地まで一里半も二里もあらむと思いたり。

宮崎。その着船せし所より直ちにこの地に来られしや。

幽魂。父のこの地より唐津に渡らぬ内に到着せねばならぬと思うまま急ぎて直ちに着したり。

宮崎。先達てのお話しに、この地に家は無かりしと申されたり。今は新浦、本浦とて家居多く、又前に新町というもあることなるが、其許そこもとの来りし時には半里此方こちらに人家は無かりしにや。

幽魂。この渡しの辺には家無く、前方の山の根には少しありたり。又津場あたりの山の根にも少し家ありて、其所そこにも小き渡しありたり。

宮崎。この次ぎに芥屋という村あり、御出ありしや。

幽魂。余は行かねども、さぞありしならむ、路ありたり。其辺には諸国の船の入る所ありて便船多き由をききたり。

宮崎。姪浜の渡しよりこの地迄はいかなる道路を通られしや。

幽魂。渡船より上りて後は山の根を通りしに、上にも下にも少しづつ家居ありたり。小さき渡しを越したる後は吹上の白砂地を通りたり。その吹上の沙原より西南の方を見れば、海を隔てて島の如き所ありて、白砂の州崎つづき、向いの山の尾にも人家数々見え、又此方の山の尾にも、通行せし道路の附近の山の尾にも、家屋少しづつありたり。

宮崎。吹上の州より渡しはなかりしか。

幽魂。渡しはなかりし。されど元は潮の満干せし地と見えたり。

 宮崎氏はここに附記していう。大渡しというは今の中通なるべし。貝原氏が元禄十六年に著したる、筑前国風土記の中に『二百年前は今津より前原に海通り云々』とあれば、泉氏のこの地に来りしは今より凡そ四百年余昔しの事なるべし。又小き渡しは御床と香月との間なる今のサヤという辺りか、さなくばワタ内よりアベヒの間ならむか。又吹上の沙原より西南に方り、海を隔てて島の如き所に白砂州の続きたりといえるは、今の久我浦船浦なるべし云々。


四 不浄と災厄

目  次

六 黄金十一枚


心霊図書館: 連絡先