幽魂問答

六 幽界の秘事

 幽界の事情につきての質問に会いますと、幽魂はとして答えました。

幽魂。ここに申し置くべき儀あり。そは顕界の事情を濫りに幽界に漏らし難きと同じく、又幽界の秘事を顕界には漏らし難し。幽界の事情は生前に思いるとはいたく異なるものぞ。この事は各々にても一且死なばたちまちにさとるべし。我は今幽中の者なれど斯く人体に憑り居る間は幽の事いと微かなり之と同じく人体を離れて帰幽せば人界の事頗る微かにして心を籠めし事ならでは明かには知り難しすべて人生に漏らし難き幽界の秘密又人間の知りて却って害ある事は決して答ふることなければその心得もて問を発せられよ

 かくべて威儀厳然として質問を持てる有様はとても病める市治郎とは思われず、あだかも傑れたる武士の座敷にる心地して、看病人が湯など汲みて行くときも思わず平伏して捧げ、父も平素市治郎に対して使用せし言葉は口に出なかったそうであります。

宮崎。切腹の後は、其許そこもとは常に墓所にのみたるか。

幽魂。多くは墓所にのみ居りたり。切腹のみぎりは一応本国に帰りたれど、たよりとすべき地なく、帰心切なりしが故にたちまち墓所に帰りたり。

吉富。本国に帰らるるには、いかにして行かれしぞ。

幽魂。飛行の法には種々あり。百里千里も瞬間に行くを得べし。されどその法はいかに説くとて生者のよく理解し得る限りにあらず。ただし汝も死せばたちまその理法を覚るべし。

宮崎。本国に帰りし外他所にも行きたることありや。

幽魂。七年以前に他所に行きて九ヶ月ほど滞在したれど、ただただ帰りたきまま還り来ぬ。

宮崎。その九ヶ月の間は、ただ一ヶ所にりたるか。

幽魂。九州に幽魂の集る所あり

宮崎。九州外にもありや。

幽魂。何れの地にもあり。高山の頂点など幽静の浄地には集まること多けれど、その何地なりやは白地あからさまには告げ難し。

宮崎。其許そこもとの行きしは何地なりしか。

幽魂。白地あからさまには告げ難けれど、大凡おおよそは豊前国なる彦山ともいうべき地なり。

宮崎。いかなる縁因いわれ にてその地には赴かれしぞ。

幽魂。一人の武士の魂と一つになりて行きたり。

宮崎。一ツに成るとは形を一つになすことか。果してしからばその二人一体となるは如何なる幽理に由るものか。

幽魂。五十にても百にても魂の一つに成る事は自在にて、集合して一体となりしものが、却って元の形よりも小くも成り得るなり。又一人の魂にても怒る時は百の魂より太く成り得る場合もあり。かかる幽理は人智にては解し難ければ言わず。

宮崎。一人の武士と一つに成りて行きたりと言われしが、その武士は如何なる人ぞ。

幽魂。生前九州に来りし時、豊前国小倉に九十余日滞在せし事ありしが、その時件の武士と兄弟の如く交わりたり。この人と別れたる後、猟に行きて山中に死し、その魂久しく死所の附近に留まりしが、ある時その魂とめぐり合い、誘わるるまま山中に同行せり。されど其所そこはわが心に染まぬのみならず、我身切腹して死したる故にや、人並みの場所には居苦しく、わずかに九ヶ月程にて辞し去りぬ。

宮崎。しからば其許そこもとは数百年間此地に住める筈なり。これより当時の事を問わむ。

幽魂。イヤ幽界に入りたる者は顕世の事には関係せぬものなり。顕世の事は見聞するもけがらわしきのみならず、幽魂は顕事にあずからぬが掟なり。ただ生きてありし時に心を遺し思いを籠めたる事は霊魂となりて後も能く知り得之を知るが故に苦痛は絶えざる也およそすべての幽魂は顕世の成行きは知らぬが常なり。されば予も顕世の委曲は之を知らず。ただ人体に憑きて其耳目を借り得る間は顕事のすべてを知り得らるるものぞ。さてく人の肉体を借るに当りて、その人を悩ますは如何なる義かというに、そは之を悩まさざれば人の魂太く盛んなるを以て我魂の宿るべき所なければなり。気の毒なれど予は市治郎を悩ましてその魂を傍に押遣り、その空所に己れの魂を充たしぬ。されば市治郎の肉体は今見らるる如く大病人の肉体なれど、内実は我魂の宿なり。されば前にも述べたる通り幽界に入りては人事を知らぬが道なれど、ただ人体に憑きたる間の事は能く知りれば、何事にても問われよ。又生前に心を籠めし事も知りるなり。

宮崎。さらば顕世より弔祭などすとも幽界の魂には通ぜぬ道理ならずや。

幽魂。なかなかしからず。よく思われよ。神を祀り、魂を祭る事は、縦令たとえ顕世の業なりとも、そは皆幽界に関せずや。かるが故に祭祀は神にも通じ又幽魂にも通ず。金銭の取り遣り、又婚姻等一切の人事は穢はしければ幽魂は之が見聞を避くるなり。幽魂となりては衣食共にその要なきが故に欲しき物もなく、唯だ苦を厭い楽みを思うのみなり。さて祭事を行うに当り、人々俗事を忘れつつ親しく楽める心は幽界に通じ、祭られし霊魂に感応してこれを歓ばしむ。歓べば自然に魂も大きくなり、徳も高くなり、祭り呉れたる人も幸福をくるものにて、人より誠を尽せばその誠よく霊に通ずるものなり。

宮崎。人の幽魂は皆各自の墓所に鎮りるものにや?

幽魂。常に墓地に鎮り居るは我等の如く無念を抱きて相果てし輩か又最初より其墓に永く鎮まらんと思い定めたる類にして其数至って少し。多数の幽魂の到り集る所は、幽事なれば言うことを得ず。

宮崎。墓地にらざる総ての幽魂は何地において祭祀を受くるや。彼等は祭場にも来るか。

幽魂。顕世にて五百年の間も引続きて行い来れる祭事は幽界にても大体その如く定まれるもの也。されば不図ふと祭りの月日を改め、霊魂に告げずして執行すれば、之が為めに却って凶事を招くことあり。そは霊魂が従来規定の祭日を思い出でてけに来るに、その事なきが故なり。又顕世にて同時に数ヶ所にて祭祀を行うことあらむには、霊魂は数個に分れて、各々其所そこに到りて祭をくべし。縦令たとえ百ヶ所にて祭るとも、霊魂は百個に分れて百ヶ所に到るべし。もっとも我等の如き者の魂は一つに凝りてさる自由は得難し。

宮崎。墓地にらざる幽魂は何地にるものか、大凡おおよそにても承り度し。

幽魂。幽魂の到り集る所は此所彼所ここかしこに多くあれど、そは現界に生をくる者の知らでも済む事なり、ただ死後人の霊魂の行くべき所はあるものと心得し。死したる後は生きたる人の考とは大に異なるものにて、幽事は生ける人の耳目の及ばぬものなり。耳目の及ばぬ事は言うだけ愚かなり。死すればたちまちに知れるものぞ。

宮崎。その儀一応はもっともなれど、仏法にては死後行くべき所を人に知らしめて安心せしむるを主眼とし、儒道もまたこれを説かざるにあらず。されば今日の所にては、これを世人に知らしむるの要なきにもあらず。右儒仏の唱うる所いずれが実説なりや。

と宮崎氏の質問は次第次第に急所に向って突き込むで行くのでありました。


五 武士道の意気地

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七 秘中の秘事


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